短編2

□殺し屋と警察官――上弦の月
1ページ/1ページ






ビル風がむっとした湿気を孕んで吹き上げてきて瑠璃は思わず顔を顰めた。
嫌な空気。なんだか居心地の悪い空。
瑠璃は明日が雨だというのに頭上でその存在を照らしている月を見て短く溜息を吐いた。





「今日は随分浮かない顔してますね」


『…当たり前のようにいる理由を10文字以内で述べてくれる?』


「ファンだからですって」


『あぁそうだったわね』


最早ビルの上から対象の観察をしている時に声を掛けられるのにも驚かない。突っかからなくなったのはこの男に気を許したわけでは無く、これと口論したところで埒が明かないし体力の無駄だと気がついたからだ。それに、ただでさえ今日は仕事に気乗りしないっていうのに。心なしか拳銃も重く感じる。
これは非常に危険なサインだ。瑠璃は思わず舌打ちをしそうになる。


「どうしたんです?何かいつもと様子が違うように感じますが」


『いつも、っていう程私のこと知らないでしょ』


「まあそうですが。でもそう感じたんです」


スコープを仕舞い首を大きく回す。日時指定の依頼じゃなければ私も今日の仕事を中止していただろう。特に何かがある訳では無いけれど、――何か引っかかる。胸騒ぎにも似た予兆。
勿論、それでもスムーズに仕事が進む時もあるが大抵の時は予想外の出来事が起きたり獲り損ねたり、自分自身が危険な目にあうことも少なくない。
それに、物理的に湿気が多く空気が重い。ほんのわずかな気がかりではあるが。


『次の日が雨だと気が滅入るわ』


「湿気ですか、それとも低気圧?」


『それもあるけど。………月が』


「月?」


空を見上げる。煌々と輝く黄色い月。まるで黒い風船の中にそこだけぽっかりと穴が空いてるみたい。


『湿度が多いと光が散って明るく感じるの。全く、夜だからって嬉しそうに輝いちゃって』


「月が嫌いなんですか?」


『あら、言ってなかった?』


特に理由がある訳では無い。改めて理由をつけるとしたら「眩しいから」と「その存在感」だろう。月の存在感は不気味と言ってしまってもいい。太陽は当たり前のように存在していて厭味ないのに、月はどうしてこんなにも主張が激しいんだろう。ビルの間からぬっと明るい満月が出てきたときには思わずぞっとしてしまう。
――まるで、いつでも見てるからな、とでも言いたげな。


「コードネームに折角月を背負っているのに」


『だから余計嫌いなの。あのオヤジ、私が月が嫌いって知っててつけたのよ』


そろそろ仕事の時間だと身支度を整える。といっても拳銃と、あとは身一つあればいい。スコープや携帯は仕事用のバッグに仕舞い、駅前のロッカーに入れてしまう。
気乗りはしないが仕事は仕事。依頼されたら行くしかない。


「瑠璃さん」


『何』


「どうか、気を付けて。何か嫌な予感がします」


そう言いながらこの間拳銃が掠め、微かについた頬の傷に触れられる。その手を振り払い反射的に身を引く。


『さ、わ、る、な』


「心配してるんですよ」


『どうもありがと、じゃ、せいぜい仕事が上手くいくように祈っておいてくれる?』


彼の横を通り過ぎ階段への扉を開ける。やはりむっと重たい空気。これは相当気を引き締めないといけないなと無意識のうちに思う。なんてことはない、この時間にターゲットは向かいのビルの屋上に一旦煙草を吸いに行く。喫煙している時というのは人は無防備なものだ。仕事や人間関係、ありとあらゆるしがらみから逃れて大きく呼吸をしている瞬間。





だから、今日もその瞬間を訪れ、静かに命を奪い、一服にも満たない時間で仕事を終わらせるつもりだった。
殺し屋の仕事というのは下準備は時間をかけた方が上手く行くのに、いざ本番となると時間が過ぎるごとに失敗のリスクが高まるというなんとも不毛で努力が報われないものだ。

空には眩しく月が輝いている。
真っ二つに割れた月。こういうのなんていうんだっけ?
瑠璃は後ろから真っ直ぐ拳銃を突き付けられながらも酷く冷静に空を眺めていた。


「頭に拳銃を突き付けられてるってのに、えらく冷静なんだな、アンタ」


『突き付ける、ってことは殺さないってことだわ。私を殺すつもりなら初手で打ち抜いても良かった』


「それしてたらアンタ、避けただろ」


『さぁ、どうだか』


目の前で薄ら笑いを浮かべながら話しているのはまさしくターゲットである。そして、私の後ろに拳銃を構えた男がもう一人。話は簡単だ。命を獲ろうと屋上に入った。撃とうと思ったが妙な感覚がした。まるで私が来るのを分かってた、みたいな。
やられたな、と思った時には既に遅し、だ。そもそも日時指定の仕事が突然舞い込んできた時点で疑うべきだった。つまりは私は「仕事」をエサにまんまと嵌められたという訳だ。


「冷酷無比の殺し屋って聞いてたからどんないかつい男が来るのかと思いきやこんな可愛いお嬢さんとはね」


『私を捉えてどうする?言っておくけど有益な情報は何もないわよ。私たち殺し屋は言われたことを言われた通りにするだけ。その裏に隠れている事情なんて何も知らないわ』


「ん〜、じゃあ俺の愛人になってくれよ」


『悪いけど私、ブスのくせにナルシストな奴って嫌いなのよね』


「ハッ」


ごり、と骨が金属に擦れる音がした。ターゲットは苦々しく笑って右手で拳銃の形を作って見せる。


「気の強い女だ。勘違いするなよ、お前の命は俺が握ってんだ。俺を怒らしたらお前の頭なんてすぐにこうだぜ」


バン、と拳銃で撃つ素振りをする。こういう芝居がかったところがキモいと言っているのにどうして分からないのだろう。
さて、どうしてやろうかと考える。いい加減頭に拳銃を押し付けられるのにも疲れてきた。ここは屋上。後ろの男を振り切るのは簡単だが流石にこの高さから飛び降りる訳にもいかない。そもそもこの男の目的は何なのだ?私に何をさせたいというのだろう?様々な考えが脳内を網目状に満たしていく。異常なくらい速く回転する頭と、醒めていく瞳。イチかバチか、やるしかないか。
拳銃の場所。身体は軽く動けそうだ。後ろの男の呼吸を読む。まだ、まだだ。もう少し粘らないと。
ああ、もう月が眩しいなぁ。
瑠璃は半分かけた月を見ながらそんなことを考えている。




続きます
190913

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ