短編2

□殺し屋と警察官――十三夜月
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1日中降り続いていた雨がやはり夜になっても止む気配を見せず、窓を優しく叩いている。
瑠璃は雨が嫌いではない。仕事にはならないがだからこそのんびりと家で微睡める天気というのが好きだった。
まぁどっちにしろこの腕では仕事にはならないけど。
未だ力を入れるとかなり痛む左手を見て、次に壁にかけた品のいいジャケットに目をやる。私の血で汚してしまったジャケット。血抜きはしたし、クリーニングにも出して血の跡は見た目では分からないが、それでも一度汚れたものを返すのはどうしたものか。
というか、そもそも会う機会もないし。
でも、捨てるのは流石に悪いし。

うーんと頭を抱えるがあの男に考える時間を割くのもなんだか馬鹿らしくなる。夜ご飯でも作ろうか、作ると言っても冷凍食品を電子レンジに入れてチンするだけなのだが。

冷凍のピラフを漁ってお皿に移そうとした時インターホンが鳴った。


『はーい、どちら様?』


「こちら様です」


『え』


モニター越しにその姿を見て固まってしまう。そりゃ、この左腕を怪我したあの一件の時に家まで送ってもらいついでに怪我の手当てなんぞしてもらったが何の用だというのだろう。というかストーカー?


『あの、ストーカーはお断りなんですけど』


「酷いなぁ、怪我を診に来たのに。雨が強くなってきたし家に入れてくれませんか。怪我を診たらすぐ帰ります」


そう言いながら救急箱のようなものをカメラの前でひらひらさせてみせる。助けてもらったお礼はあるが、それとこれとは別問題だ。とはいえこのままインターホン越しに会話をしてて他の住民や例えば同業者に怪しまれても困る。瑠璃は渋々といった風に「解錠」のボタンを押した。




「部屋に入れてくれなかったらどうしようかと思いました」


『全然入れたくないんですけど』


「そう言わずに、一度入れたんだし良いじゃないですか」


『あの時は仕方なかったじゃない。ていうか図々しっ』


左腕の傷を診ながら他愛の無い話をする。ふと彼の視線が壁に掛けられたジャケットにいった。彼は穏やかに微笑んだ。


「ジャケット、洗ってくれたんですか」


『まぁ。高そうだし、でも汚れてるから…とりあえず洗って、返すけどいらないんだったらここで捨てても構わないけど』


「優しいですね」


『そうですね。私は人の粗探しばっかりしている警察官とは違って優しい心の持ち主なのでね……いだあああああ!』


「あっ、すみません、沁みました?」


わざとらしく肩を竦めて見せる警察官を本気で殴ってやろうかと思ったがこの左腕では何もできまい。きっと睨んでやるが彼はひらりとその視線を躱した。


「…僕は嫌いです、その呼び方」


『ん?何が』


「警察官、警察官って」


『警察官じゃない』


「そうですけど、警察官は僕一人じゃないから嫌なんです」


『なんじゃそりゃ』


一通りの消毒を終え、薬を塗って手際よく包帯を巻く手捌きを見つめる。左腕はどうだろう、次の依頼は1週間後に入っているが断らずに済むだろうか。


「名前で呼んでくださいよ。この間は呼んでくれたじゃないですか」


『ぜーーーーったいに呼ばない。はい、治療どうもありがとう。お医者様?』


「意地悪ですね。どういたしまして、殺し屋さん」


包帯でぐるぐる巻きにされた左腕を動かそうとするが、やはりうまい具合に力が入らない。骨が折れていたらもっと療養が長引いただろうが、腱の何本かだけで済んだのはラッキーだったのかもしれない。とにかく今は安静にするしかない。全く面倒なことになったものだ。


「仕事、休まないんですか」


『え?ああ、まぁね』


ここまで考えていることが読まれるとは改めて侮れない男だと思う。彼はこちらを見ない。何を考えているのか分からない顔で無心に医療物品を詰めている。


『信頼の問題もあるしね、こればっかりは。くだらなくて意味のない仕事だと私は思うけど、ある人にとっては人生を変えてしまう程大きなことだし』


「瑠璃さんはどうしてこの仕事を?」


漸く顔を上げた彼から、今度は私が目を逸らす番だった。窓の外で雨の音が響く。


『…さぁ、そうね、そういう環境だったから、かな。私の父は腕の立つ殺し屋だったらしいから、物心がついたころには自然にそうなってたし』


「今の、瑠璃さんは?」


『考えたこともないな。…例えば、あなた、ご飯を食べたら歯を磨くでしょう。口が臭くなるとか虫歯になるとか気持ち悪いとか、理由は沢山あるだろうけどそれって最早自然の流れじゃない。ご飯を食べて、歯を磨く。家に帰ったらお風呂に入る、…それと一緒よ。依頼が来れば殺しに行く、深い意味も何もない。殺し屋はね』


ふうと浅く溜息を吐く。彼は真剣に私を見つめ、話を聞いている。この人は私の何を知りたがっているんだろう?私はそこまで興味を持たれるほど、中身の詰まった人間では無いのに。


『何故とかどうしてとか思っちゃいけないの。殺し屋っていう仕事に対しても、依頼主やターゲットに対してもね。私たちに意思はいらない。言われるがまま、それの手足になって動く道具みたいなものよ』


雨が窓を叩く音だけが部屋の静寂を満たしていた。彼は視線を下げ私の言葉をよく咀嚼しているらしかった。しばらくたった後、短く「そうですか」と呟く。その後の会話はない。


『ほら、治療終わったらすぐ帰るって言ってなかった?帰った帰った』


「そうですね、帰りま……瑠璃さん、まさか今日の夜ご飯」


お皿に半分移した冷凍ピラフを目ざとく見つけられ刺々しく声を掛けられる。何よ、と小声で返すとそのお皿を乱暴にひったくった。


『仕方ないじゃない、左腕がこんなんだもの、料理なんて…』


というか、どうして私が夜ご飯に冷凍の物を食べていることを咎められなくてはならないのだ。そんなの私の勝手ではないか。


「駄目です。これじゃ治るものも治りませんよ。僕が作りますから瑠璃さんは座ってて…」


『あっ!ちょっ!冷蔵庫は――!』


声を張り上げたときには既に遅く、図々しい来訪者は冷蔵庫を開けて目をまん丸くしていた。そりゃこんなにも何も入っていない冷蔵庫を見たらぽかんとしたくなるだろう。野菜は勿論肉や卵など入っている訳がない。


「これは…酷いですね」


『う、うるさいな。何食べて生きようが私の勝手でしょ』


「まぁそうですけど。あ、お醤油はありますね、塩も…包丁にフライパン、油も。…よし、僕の腕を見せてあげますよ。これで最高の夜ご飯を作って差し上げます」


『ちょっと、帰ってよ…』


私の発言は無視だ。勝手に料理を始める彼の後姿をため息交じりに見ながらソファーに座り直す。もう何を言っても聞かないのだろう。窓の外では雨が降っている。
30分もしないうちに出てきたご飯はとても美味しくて、よくもこんな何もない食材からここまで作れたなと感心したし味も美味しかったがそんなことは言わないでやった。彼自身も作ることが好きみたいで私の分だけを作るととっとと帰っていった。
全くお人好しというか、なんというか。
何考えてるか分からない奴だと窓の外を見て考えていたが、だけどそれは直ぐに次の仕事のことで塗り替えられていった。




続きます
190922

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