短編2

□殺し屋と警察官――満月
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流れ続ける甘ったるいメロディー。
甲高く響く女性の笑い声。
地鳴りのような男性の笑い声。
あちこちでグラスのぶつかる音。
ヒールが流れるクラシックに合わせてかつかつとタップを踏んでいる。


瑠璃はウエディングドレスのような真っ白のドレスをベールのように纏わせながらその様子を壁にもたれ掛りつまらなさそうに眺めている。

全く、仕事のためとはいえ趣味の悪いパーティーだわ。


「どうぞ」


『ありがとう』


もらった赤ワインを顔の前でくるりと回すと上質な香りがふわりと漂った。
今日のターゲットはまだ現れない。80歳を過ぎたおじいちゃんを殺すだなんてなんともまぁ世知辛い世の中なことだ。何をしたのかは知らないがここまで生きたのだ、それももう余命幾ばくもない病気だとも聞いている。
このまま天の導きに任せて逝かせてあげればいいのに。
そう思う私は昔と変わってしまったのだろうか。


「綺麗なお姫様、私と一曲、是非」


『ありがとう、でも、人を待っているの。また後で』


仕立ての良いスーツを着た人が声をかけては去っていく。そろそろ踊らないと怪しまれるかな。ワインを持ったままふらふらと屋敷の中を移動する。
趣味の悪い建物。趣味の悪いパーティー。テラスに備え付けられている白い柵でさえ趣味が悪い。いや、きっと名のある建築士が丹精を込めて作ったのだろうがこういうところに来る度、日本はどうしていつも西洋に憧れるのだろうかと思う。山の上に聳え立つまるで絵から飛び出してきたようなお城。日本の大富豪が気まぐれに造ったと聞いているが中で行われていることはとても汚く、見た目に反した悪行ばかりだ。

小綺麗に着飾った男女がお行儀よくダンスパーティーを行っているのは表だけ。
その裏では名のある政治家たちが女を買い、麻薬の売買をし、時には人殺しが行われる。世も末なことだ。その狂った歯車に組み込まれている私の言えたことではないが。

だから趣味が悪いというのだ。

空には薄い雲が浅くかかっているのにやけに明るく見えている。
ドレスというのは本当に窮屈で息苦しくなる。佇まいひとつにしても気を払わなければいけないから余計に疲れるのだ。


「大丈夫かい、イザヨイ」


『ッ!?』


背中に冷たい汗が流れた。そんな、――まさか、嘘でしょ…。
背中越しに痛い程突き付けられる殺気。まるで後ろから銃口でも向けられているかのような重圧感。ゆっくりと振り返るが、そこには車椅子に座った優しそうなおじいさんがこちらを見ているだけだった。
見ただけで高いと分かるスーツこそ着ているが武器らしい武器は見当たらない。
こんな車椅子に乗った人が近づいていたのに気づかないなんて。それにこの殺気。今までのどのターゲットのそれよりも重く、濃く、威圧感のあるものだった。流石の私も一瞬たじろいでしまう。この人を私が――殺すのか。そこにいるのは紛れもなく今夜の獲物だったから。


「疲れているようだね」


おじいさんがふっと笑うとたちまち充満していた殺気が気配を消した。空気まで軽くなったように感じて思わず深呼吸をする。
彼は車椅子を回し私の横に並んだ。こうしているとただの小さな小さなおじいさんだ。


「パーティーは楽しんでくれているかな?」


『…ハン、趣味の悪いパーティーだこと。とても楽しませていただいているわ』


「やるじゃないか。私の殺気を受けてまともに立っていられた人は久方ぶりだよ。最近は皮も骨もない殺し屋ばかりでうんざりしていたところだ」


『逃げないの?自分の命を狙っている殺し屋が隣にいるのよ』


「君には私を殺せない」


『やってみる?』


あの殺気には驚いたが相手は足の立たないご老体だ。勝算は十二分にある。彼は不敵に笑い空気がぴんと張りつめた。簡単なことだ、脚に巻いたホルダーから拳銃を引き抜いていつものように脳幹を打ち抜けばいい。周りには誰もいない。目の前には無抵抗なターゲット。こんなに良い条件はない。
なのに。…なんで。私は躊躇っているのだろう。何を恐れているというのだろう。優しい目。全てを見透かし、私を見守るような瞳。私、こういう目をどこかで見たことがあるような気がする。私がなにをしようと否定しない、試されているような、背中を守ってくれているような、不思議で柔らかな誰かの瞳。


私はごくりと生唾を飲み込むと肩の力を抜いた。いたたまれないような気持ちになって彼から目を逸らす。冷めた夜の風が優しく私の頬をさらった。


「…そう。それでいい。君は自分の気持ちに嘘を吐けない」


『…どういうこと。私は殺し屋よ。…人を殺さない殺し屋なんて、……。それに、勘違いをしないで。貴方を殺さなかったのはどうせ、私が殺さなくても時期にお迎えがくる』


「ほう、分かるのかい」


『貴方が一番分かってるんじゃないの。…もう長くないんでしょう』


風は穏やかに木々を揺らす。ダンスパーティーは節目を迎えたのか遠くの部屋から拍手が聞こえた。彼は空を眺めている。


「…私は今まで、どれだけの人を殺してきただろう。不幸にしてきただろう。死んでも天国にはいけまい。私はあまりにも罪を犯しすぎた。もう少し早く誰かが私を殺してくれていれば、ここまでの業を背負わずに済んだのかもしれない」


彼は誰に語りかけているのだろう?それは私のようであって、私ではない誰かのようにも感じた。


「だが、私はこの歳になるまで生きてしまった。あまりにも多すぎる犠牲に上にのさばってしまったのだよ。だからこそ見えてくるものもある」


雲がうっすらと晴れていく。空が僅かに明るくなる。


「医者も殺し屋も、同じようなものさ。生と死というのは、我々人間が軽々しく扱って良いものではないのだよ。君が今、少しでも自分の仕事に疑問を持っているのなら、それは君の中にとてもかけがえのないものが生まれかけている証拠さ。いや、もう生まれているのかな。だから君は私を殺さず天に裁きを委ねた」


再び流れ出すクラシック。繰り返されるタップダンス。


「…イザヨイ。君の本当の名前を聞かせてくれないかい」


『………。…瑠璃』


「そう、瑠璃さん。忘れないでほしい。君は殺し屋である前に、ひとりの人間だということを。私の歳になってから気づいても…もう遅いのだから」


不意に彼の人生を垣間見たような気がして泣きそうな気分になった。感傷に浸るなんて私らしくもない。今にも旅立ってしまいそうな、枯れ木のようなかつての極道者を見て同情したのだろうか?人の死というのは誰よりも生業にしてきたはずなのに。


と、突然、スーツを身に纏った長身の男が近づいてきた。私たちの姿を認め、焦ったように声をあげている。


「こんなところにいたのか。あまり手間をかけさせるな」


「すまんな。あまりに警備が手薄だったものでな」


その男は眼鏡越しにちらりと私を見ると興味がなさそうに厳しい目を再び彼によこした。…何、こいつら。雰囲気を考えてもどうみても味方のようには見えない。当の本人は車椅子に座りながらも余裕綽々の目でその男をからかうように見つめていた。それを知ってか、ますます長身の男の目が鋭くなる。


「あまり老人を無下に扱うものではない」


「貴様が丁寧に扱ってもらえると思うな」


「フ…、だからお前たちは私たちに上手くあしらわれるのだよ」


「その身体で、口だけはいつまでも達者だな」


眼鏡の男も強がってはいるが、完全に彼のペースに乗せられていることは間違いない。この男では先程の殺気を浴びせられたらひとたまりもないだろうなと考える。男は苛立ったように電話を始めた。その声は何故か鮮明に、新鮮に私の耳に飛び込んできた。


「もしもし。…ええ、確保しました。今6階のテラスに居ます。…降谷さん」







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