短編2

□殺し屋と警察官――居待月
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その日は、朝からずっとぐずぐずした天気でさっぱりと晴れず、薄い雲のところどころに雨雲がかかって、時折強い雨が吹き付けるような、そんな天気だった。


スマホの天気予報をぼんやりと見ながら瑠璃は小さく溜息を吐く。全く、気乗りがしないから先延ばしにした結果がこれとは。

1週間前に来た仕事の依頼は難しいものでは無く、通常なら5日、本気を出せば3日で片が付く程度のものだった。
だけど、なんとなく決行する気になれず、ずるずると猶予まで様子を見ていたのが駄目だったのだ。週間天気予報では最終日がここまでの雨になるとは言っていなかったのに、朝から今日の夜遅くまでこの雨は続くらしい。

全くもう、間の悪い。

しかし紛れもなくこの事態を招いたのは自分なので、誰のせいにもできないのが腹立たしい。
いつ、どんな不測の事態があるか分からないのだから、仕事は早めに終わらすのがセオリーだってのに。ちょっと気が抜けすぎかな、私。

しかしやる気の出ないものは仕方がない。そんな気持ちのまま仕事をするにはリスクが高すぎる。

行き場のないモヤモヤを無理やり溜息として吐き出す。渋々銃の手入れをして軽くストレッチをする。視界は悪いが私の射撃に害のある程度では無い。寧ろ、ターゲットに気付かれにくいのは好都合かもしれない――なんとか良い方向に解釈をし、動きやすい格好に着替えている途中、携帯が鳴り響いた。零からだ。


『はあい、何か用』


「相変わらず冷たいですね。久しぶりに連絡したというのに」


『それが私のアイデンティティなのでね。で?』


「いえ、良かったら今から夕食でも、と思いまして」


携帯を肩と耳の間に挟みながら準備をしているとするりと滑り落ちそうになって、慌てて手で握り直した。


『悪いけど、今から仕事なの』


「そうですか、何か忙しそうですね」


『そりゃ、準備の途中だったから』


「嬉しいです。前までならそんな時、電話に出てくれなかったでしょう?」


おめでたい男だ。思わず呆れて溜息を吐く。


「良かったら、目的地まで車出しましょうか?この天気ですし、足があったほうが便利でしょう?」


『…たまには良いこと言うじゃないの。じゃ、お願いしようかな』


「分かりました。10分くらいで着けると思います」









雨を払うワイパーが、右へ左へと行ったり来たりを繰り返している。メトロノームのように一定のリズムで刻むそれは、見ていると段々眠気を催しそうだ。


「こんな天気でも、お仕事されるんですね」


零は仕事前の私に気を遣っているのか、それともただ話題が無いだけなのか、いつもより口数が少なかった。私から話すことなどは勿論無いので必然的に車内は無言がちになる。


『今日までだからね、仕方がないわ』


雨脚が少し、強くなってきたように思う。思わず舌打ちしたくなるが、なんとか心の中だけに留めた。

その先の会話は無い。車内は叩き付ける雨の音と、ワイパーが窓を擦る音が響いているだけだ。音楽や、ラジオの類は一切かかっていなかった。やはり、私に気を遣っているのだろうか。

作戦前のいつもの私は「なるべく何も考えないこと」に尽きる。シミュレーションは前日までに頭に叩き込んでおいて、今更それを反芻するようなことはしない。仕事前の私には緊張感も高揚感も、何もあってはいけないのだ。心の乱れはえして転びやすいものだから。

…なのに、今日の私は一体どうしたというのだろう。頭を空にできない。ふとした時にターゲットの事や、今日の段取りを思い浮かべてしまう。

まさか、緊張してる?

そう考えて頭を軽く降る。
いや、どうにも緊張している、という訳ではなさそうだ。寧ろ、どちらかというと、…その逆に近い気がする。

行きたくない。やりたくない。
大体こんなひどい雨、普通なら中止するべきだ。視界は悪いし足音が目立つ。服も足も濡れて汚れるし、ずぶ濡れでは帰るのにも一苦労だ。

瑠璃は思わず苦笑する。…これじゃ学校に行きたくない子どもと一緒だな。無論、私は学校の類には一切行ったことがないのだけど。


「どうしたんですか」


『ん?んー……』


窓の外に目をやる。雨で外の気温が少し下がっているのか、結露でぼやけた世界が白々しい。


『………やりたくないな、と思って』


零は少し驚いた顔をした。だが、私は零以上に驚いた顔をしてたと思う。まさか、自分がこんな素直に、ぽろりと「本当の事」を話すなんて。うっかり、では済まされない。


『なんてね。ごめんごめん、何でも無いの。忘れて』


「どういう人なんですか?今日のターゲットは」


いつもの調子で「そんなの教えられる訳ないでしょ」と出かかったのに、その言葉は喉のところで止まって身体の奥底へ引っ込んだ。いきたくない気持ちが燻っているからかもしれない。


『…普通の人。どこにでもいるような、家庭をもったサラリーマン。ただ、その人がいないと技術的に回らない仕事が沢山ある』


身体が鉛でも飲んでしまったかのように重い。目的地はすぐそこまで来ている。


『多分、依頼者はその人を雇っている会社の、更に上の会社じゃないかな。彼がいるかぎり、いつその子会社との立場が逆転するか分からないもの。逆転するくらいなら、彼を切って別の分野で勢力を伸ばしたい…ってところかな。憶測だけどね』


「…そんな依頼もあるんですね。もっと…犯罪者同士だとか、裏社会の依頼ばかりだと思っていました」


『意外と最近多いのよ。世も末よね、便利屋感覚で一般人が殺し屋を雇うんだもの。…まぁ、こちらとしては楽なんだけど』


一旦会話が途切れた。業界としては、一般の殺しは簡単で抗争などの揉め事が少なくて済むし、依頼者は依頼者でお金さえ積めば自分の手を染めずに人を殺せるのだからWin-Winな関係なのだ。迷惑を被るのは一般人を手に掛けなくてはいけない殺し屋だけで。

実は、今日の仕事が気乗りしない理由にこれもあった。一般人というのは仕事自体は簡単だがミスをすれば面倒事に巻き込まれるリスクが格段に跳ね上がる。それになんといっても。


『…後味が悪いのよね。この手の殺しって』


ぼそりと呟いた言葉が零に届いていたかは分からない。現実は止まってくれない。車が横道に入り、少しずつ減速する。


「…殺さなければいいじゃないですか」


『そうね、ってそんな簡単な話じゃ…』


冗談だと思って笑いながら零の顔を見たが、予想に反してその瞳は真面目だった。
あまりにも真剣な、真っ直ぐな矢を放つ瞳にたじろぎそうになる。


「殺さなくても、殺すことはできますよ」


冗談みたいな、言葉遊びみたいな零の言葉に反応が遅れる。
遠くの方ではごろごろと不機嫌な雷が鳴りだした。





200315

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