安室狂愛
□あなたと向き合って
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夜の7時を少し過ぎたころ、かちゃん、と小さく鍵の開く音がする。
やっと帰ってきた。
小説に向けていた目をリビングの入口にむける。
『おかえりなさい』
静かにリビングに入ってくる安室さんに躊躇うことなく声をかける。
私がそう言ったことに驚いたのか、一瞬私のことを凝視するとぱっと視線を外し、ただいま、と呟いた。
ぱたん、と冷蔵庫を開け閉めする音。沈黙が続く。
このままじゃ駄目だよね。
意を決して声をかけてみる。
『あの』
なんですか?フライパンを出しながらちらっとこちらを見る。
『何か…怒ってますか?』
流石にこのまま無視されるのは気分が悪かった。
この部屋に好きなように閉じ込められ、好き勝手されるのに、こんな風に自分勝手に無視されて、そのことに悩むことが癪にさわった。
安室さんは何も答えない。何かを作っているのか、じゅうじゅうと炒める音がする。
『また無視ですか?』
私が彼に気を遣う必要は無い。心まで好き勝手に操られたくなかった。
「別に怒っている訳では……ご飯、できましたよ」
机にお皿を置く音がして、お腹がすいたと食卓に向かう。
机の上にきちんと置かれている炒飯。おいしそう。いただきます、と呟き口に運ぶ。
『……おいしい』
あまりのおいしさについ顔が綻ぶ。向かいに座っている安室さんは無表情にスプーンを口に運ぶばかり。
そういえばこうして向かいあって食事を摂るのは初めてだよなぁ、そんなことを思う。
『…前のチキンライスも美味しかったけど…安室さんてお料理上手ですよね』
沈黙がどうも居心地悪い。どうして安室さんは何も言わないんだろう?
『…どうして黙ってるんです…』
「今日は随分よく喋りますね」
安室さんの顔を見ると、無表情に私を見つめていた。何を考えてるのか、読み取ることはできなかった。
「どういう風の吹き回しですか?」
冷たい言い方に少しかちんとくる。
『別に…だって安室さん、全然話さないし…笑わないし。それに、私、ちゃんと安室さんと向き合わなきゃ、って思って…』
本人を目の前にして言うと、なんだか気恥ずかしい。最後の方はかなり小声になってしまった。
じっと私を見続ける安室さんが恥ずかしくて視線を外す。急いで残りの炒飯をかきこみ炊事場に持っていく。
『あの…お風呂、お先に借りますね』
視線から逃れるように脱衣所に向かう。
あれでよかったのだろうか、と思ったがきちんと言うべきだっただろうし、ああ言って正解だろう。
安室さんと向き合う。
言葉にすると、その気持ちが更に清々しくなるのを感じた。
笑わないし…か。
そんなこと言うつもりは無かったし、安室さんが笑っていない、なんて気にも留めていなかった。
でも安室さんと話してたら、自然とその言葉がでた。
悪戯に笑う声、にやりと満足そうに、楽しそうに笑う声…。
どれも久しく聞いていない気がする。
聞きたいな…。
言葉に直すと更にその気持ちが強くなった。
きゅ、と胸が閉まるような感覚。
誰かに相手にされたい、と自分は願っているんだろう。
入浴を済ませ、脱衣所からでる。
『あがりました…』
「瑠璃」
久しぶりに名前を呼ばれ、どきっとする。
今日、初めて安室さんに話しかけられた。
『どうかしましたか?』
つい、舞い上がってしまっていたのだろうか。
私は彼の声が、表情が酷く冷たいことに気付かなかった。
そして、彼の手に握られた携帯にも…。
何も言わない。が、目でこっちに来い、と促される。
素直に従い、安室さんの元に行く。
『…あの』
ぐっと肩を強く押され、ソファーに押し倒される。
『安室さん…?』
「勝手に携帯を使いましたね」
そう吐き捨てるように言って、首元に手をかける。
絞めようとはせず、撫でるように触られる。
『…ごめんなさい。どうしても…必要で』
冷たく射抜くような視線に耐えきれず、視線を逸らす。
「成程…向き合う、なんて言っていたのは全部あの男の入れ知恵ですか」
ぐっと撫でていただけの手に力が入る。
『違うっ!』
思わず叫ぶ。違う。確かに新一にヒントはもらった。このままじゃいけないってヒントは…。だけど、安室さんと向き合おうと思ったのは自分の意志だ。
『…がぅ、私は…自分の意志で…』
ギリギリ息はできるが発する言葉は弱弱しい。そんな私を見下ろしながら、安室さんは冷たくふっと自嘲的な笑みを浮かべた。
…違う。私が見たかったのはそんな…。
その笑顔を見た瞬間、なにかがぷつんと音をたて切れるのを感じた。
『…っ離してっ!』
力いっぱい手を振り払う。
『いい加減にして!』
自分の声が、自分の声じゃないみたい。
心の声が叫びとなって身体の外に出てゆく。
『どうしてそんなことあなたに言われなくちゃならないの!?自分勝手!私はあなたのモノじゃない!』
気が付けば涙が溢れだしていた。頭がうまく回らない。自分が何を言っているのかよく分からない。
ぐいっと腕を掴まれ立たされる。離して!叫び暴れるが、強く引っ張られリビングの外へ連れ出される。
そのまま脱衣所まで引っ張り込まれ、風呂場に投げられる。
きゅ、とシャワーのコックを捻り、冷たい水を全身にかけられる。
何故か動くこともできず、さっさとその場から去る安室さんの背中を見送る。
一瞬見えた安室さんの悲しげな瞳。
冷たい水が体中にかかる。だけどシャワーを止める気力もでない。
…どうして?
冷たい水に紛れ、一筋、二筋、涙が溢れる。
私は…ただ、安室さんと向き合おうと思って…。
ただ、それだけなのに…。
身体も心も急速に冷えていく。
どうすればいいの?
風呂場の窓から、雨の音がする。
また雨が降り出した…今の私の心みたい。
冷たい水にうたれながら雨の音に耳を傾ける。
どうすればいいの。
頭の中ではその言葉ばかりがぐるぐると廻っていた。
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