安室狂愛
□あなたの手
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どのくらい冷たい水にうたれながら泣いていただろうか。
涙も止まり、やっとのことで重い腰を上げられたのは随分経ってからの気がする。
シャワーのコックを捻り、脱衣所へ出る。
軽く身体をふき取り、さっと服を着る。
そのままリビングに入ると安室さんの姿は無かった。部屋の扉から微かに光が漏れているから、部屋にいるんだろう。
安室さんの部屋に行く訳にもいかず、ばたん、とソファーに倒れこむ。
自分の身体が、自分のものじゃないみたい…。
頭も身体も、何もかもが重たくて動けない。
髪、濡れっぱなしだ…。
ソファーがシミになってしまう、と思ってはいるのだが、どうしても身体が動かない。
明日から、私はどうしたらいいんだろう。
そんなことを考えていると気持ちまでどんどんと重くなっていく。
吐き気がしてきた。振り払うように目を閉じる。
す、と次に目を開けた時、外は少し明るくなっていた。
重たい身体を起こしてみる。安室さんはいない。部屋にいるのだろう。
身体を引きずるようにトイレへ向かう。
頭が重い。ふわふわ、と漂うように足が地を踏んでいる感触がない。
あ、と思ったとき、ぐりんと世界は反転していた。天井が見えて、ようやく自分が倒れているのだと分かった。
ぐるぐる、倒れているはずなのに視界が回る。吐き気がする。頭が痛い。
助けて、誰か…。安室さん…。
あまりにも身体が辛すぎて、声をあげることができない。何かを言おう、と息を吸い込んでも、吐き出されるのは吐息だけだ。
急速に目の前が暗くなる。熱くて寒い。身体の力が抜けていく。
白い世界に「私」を見た。「私」は泣いていた。私は第三者として自分をみていた。
白い世界の「私」は耳を塞ぎ、目を固く閉じていた。何も見たくない、何も聞きたくない。心の叫びが聞こえる。
暫くして「私」はごろんとその場に倒れるように横になった。顔を真っ赤にして、息も荒い。そういえば私、さっき倒れたんだ…。
気が付けば、私は見ていたはずの「私」自身になっていた。身体がしんどい。熱い。がんがんと頭が痛む。
ひやり、と火照った顔になにか冷たいものがあたる。なんだろう。気持ちいい…。
とくん、とくん。血が逆流するほど早く打っていた心臓がゆっくりと落ち着いてゆく。
なんだかとても心地いい…。私はその冷たいものを感じながら、深い眠りに落ちた。
『……ん』
ふと眩しい光に目を開ける。いつの間にベッドに寝ていたのだろう。頭が冷たい。水枕を敷かれている、と気づいた。
かちゃん、と扉が開く音がする。反射的にそちらを見ようとするが、身体が思うように動かない。
「動かないで」
ふってくる優しい声。身体を動かすことを諦め、そっと視線を横に移す。
「大丈夫…ではなさそうですね。熱を測っておきましょう」
そっと脇に体温計を挟まれる。さらさらと髪を撫でる手に、冷たさなどどこにもなかった。
「朝、起きたらリビングで倒れてて…」
心臓が止まるかと思いました。と悲しそうな顔で言い、頬を撫でる。冷たい手が、火照った顔に気持ち良い。
ぴぴぴ、と体温計がなり、それを見る安室さん。
「…まだ熱が高いですね。今、薬を持ってきます。食欲は?」
『…なにも食べたくないです』
分かりました、と呟き立ち上がる安室さん。
この場からいなくなる、そのことに強烈な不安感を覚えてぎゅっと裾を握る。
そのことに気付いたのか、ぱっと振り返り、優しい顔で私を見る。
「心配しなくても、直ぐに戻ってきます」
くしゃっと頭を撫でられ、その場を後にする。きっと2分もかからなかっただろうが、帰ってくるまで随分時間がかかったように感じた。
「一応、リンゴを剥いてきました。何か食べないと…」
一口サイズに小さく切られたリンゴを差し出される。が、どうしても食欲がわかない。ふるふると首を振り、食べたくない、と伝える。
それでもダメですよ、と言われ、差し出し続けるリンゴに、少しだけ口を開ける。
しゃくしゃくと噛むたびに音が脳内に響く。瑞々しいリンゴが身体に沁みわたってゆく。
3つほど頑張って平らげたところで流石に食べられなくなる。首を振ると、今度はすっと差し出していたリンゴを直してくれた。
「起きられますか?」
薬を飲まなくてはいけないのだろうが、どうしても身体に力がはいらなかった。そんな私を見かねてか、薬とお水を口に含む安室さん。
そのまま顔が近付いてきて、口移しされる。思わず口の端から水が漏れる。こくん、と薬を飲んだのを確認してから、安室さんの顔が離れる。
「…嫌でしたか?」
そっとこぼれた水をぬぐいながら、安室さんが聞いてくる。嫌じゃない、と首を振る。
「もう一度…キスしてもいいですか?」
いつもいつも強引にしてくるクセに、どうして今日はそんなこと聞くのだろう。寂しそうな瞳に私がうつっている。
気が付けば、こくんと首を縦に振っていた。
ちゅ、と優しく唇を重ねられる。きゅ、と甘酸っぱく胸が震えた。
顔を離し、また二、三度頭を撫でられる。そっとその手を握ってみる。
冷たい手が、酷く私を安心させる。とろんと瞼が重くなる。
「…ゆっくり眠りなさい」
眠ってしまうと、もう起きたら優しい安室さんはいなくなっているかもしれない、と思った。
『…目が…覚めても…そ…ばに…い…て…くれ…る…?』
なんとか言葉を紡ぎだす。
「ずっと傍にいますよ」
優しい声。初めて会った時と同じ、柔らかく、包み込むような…。
ぎゅっと無意識に手を強く握っていた。
その手を強く握り返されたのを感じ、私はゆっくりと意識を手放した。
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