安室狂愛
□あなたの心
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「………瑠璃?」
不意に名前を呼ばれ、意識を安室さんに戻す。
『安室さん!気がつきましたか!…良かった』
まだ少々目は虚ろであるがそれでも意識を取り戻したことに少しだけ安堵する。
「僕は…?」
身体を起こそうとするが、力が入らないのかくたっと空を仰ぐ安室さん。
『動いちゃ駄目…。…覚えてないんですか?さっき帰ってきて倒れたんですよ』
「…ポアロに行って、体調が悪そうだから帰れと言われて…そこからの記憶がないです…」
私が倒れた時と同じように辛かったんだろう。私はまだ家の中だったから良かったけれど、安室さんのように外でああなってたら…考えただけでぞっとする。
ここまで帰ってくるの、辛かったんだろうな、となんだか悲しい気持ちになる。
「では、瑠璃は…ずっと傍に?」
ええ、まあ、と言ってもまだ30分くらいですけど、と苦笑する。
すっと安室さんの手が私の頬に伸びる。
「また…泣いてたんですね…」
悲しそうに言う安室さんに胸が詰まり何も言い返せない。ぽろぽろ、また涙が溢れだす。
「やっぱり…僕は君を泣かせてばかりだ…」
弱々しい声。柔らかく頬を撫でる燃えるように熱い手。苦しくなってその手をそっと握りしめる。
『…寝て、ください…。今は…』
「…逃げなさい」
『……え』
思いもよらない言葉。ぎく、と心臓が嫌な音をたてた。
「今の…うちに…逃げて…」
消え入りそうな声で呟くと、安室さんはすうと眠りにおちた。
心臓が痛い。張り裂けそうだ。…ずっとその言葉を待っていたはずなのに。どうしてこんなに苦しいんだろう。また涙が溢れだす。…どうしてそんなこと、言うの?
小さく呻く安室さんはまだ苦しそうで、その姿に涙が止まらなくなった。
逃げなさい、声が頭に響く。何度も何度もリピートされる。足元に転がるキーケースをできるだけ見ないように机の下に投げる。それでも…まだ胸が痛い。
ごろごろと外は不穏な音をたてていた。安室さんは狡い。こんな状態でそんなこと言われたって。そうだ、今は安室さんのせいにしよう。心の声を聞かないように。安室さんが全部悪いんだ。
『…っ……うっ…』
それでも涙は止まらなくって、そっと安室さんのお腹に頭を預ける。本当は私、気付いてる。でも…逃げてるんだ。私は、安室さんのこと…。
…やめよう。今はまだ、安室さんのせいにさせて…。
久しぶりに身体を動かしたからか、急に疲れが身体を支配する。ここ何日かで何度も嗅いだ安室さんの匂いが酷く私を安心させる。少しだけ…。そっと目を閉じて意識を手放した。
さらさらと頭を撫でられる感覚が心地よい。
ふと目が覚める。
『あ……』
顔を上げると身体を起こし、安室さんが私の頭を撫でていた。
『起きて、大丈夫ですか?』
「ええ、先程よりは。……どうして」
また、悲しそうな顔をする安室さんに涙がこぼれそうになる。
『…こんな安室さんを置いて、出ていけなかっただけです』
頭を撫でていた手を外して、リビングに向かう。私には、あんな言い方しかできない。一瞬揺れた安室さんの瞳。そのことには深く考えないようにした。
冷蔵庫をのぞくと林檎が入っていたのでそれを剥き、お皿にうつして薬と水を一緒にもっていく。
『…どうぞ』
そっと口元に林檎を差し出すが、安室さんは一向に口を開こうとしない。
『安室さん?ちゃんと食べないと…』
じっと布団をみつめ、何かを考えているようだ。
「…今日、帰ったら話をしましょう、と言いましたね」
重々しく口を開く安室さんに嫌な予感がする。
「僕は今日、君を家に帰す話を…」
『やめて!』
気が付けば大声で叫んでいた。頭が考えるより先に言葉が飛び出していた。
それからまた、涙が頬を伝う。お皿を棚に置き、両手で涙を拭う。
『やめて…今は…そんな話、しないで…っ。お願い…っ』
胸が苦しい。ふと頭を抱きかかえられる。
「すみません……泣かないで、瑠璃…。でも君は僕のこと…嫌いでしょう?僕は君を傷つけるだけ…」
弱々しい言葉に、やめて、やめてと繰り返す。今はそんな話聞きたくない。涙が止まらない。ようやく安室さんも口を閉ざす。
外の雷と雨足は更に強くなっていた。窓を叩きつける雨の音が部屋に響く。煩い、雨。お願い、止んで…。部屋はいつのまにか、奇妙な静寂に包まれていた。
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