片想い
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漸く胃の違和感が落ち着いてきた頃。
ほんのちょっとの倦怠感と共にトイレから出るとそこには申し訳なさそうに俯いている乱歩さんが立っていた。
「ごめんね、僕が白米を洗剤で洗ったりしたから……」
今にも泣きそうな顔になっているそれに驚いて辺りを見回すと気まずいのか下を向いた国木田さんが視線に入った。
遂には嗚咽を上げながら泣き出したそれを力強く抱き締める。
「乱歩さん、料理は失敗をして学ぶものだから、仕方ないよ。」
頷きながらも一向に涙が止まらないそれの背中を撫ぜる。
「昔、お味噌汁にほんだしと間違えてコンソメ入れて出した時あったでしょ?あの時、乱歩さん凄く笑ってたよね〜」
意地悪く笑うと弱々しく「ごめん」とだけ返すそれの背中をポンポン、と叩く。
「けど、全部食べてくれたよね。“これはこれでアリだ”って言いながら。僕には出来なかったなあ」
「そりゃそうだよ、名無しさんが食べたのは洗剤だもの」
「ふふ、やっぱりそう?……でも、其の時にお兄ちゃんが言ったんだよ。“料理とは失敗をした回数だけ上手になるんだよ”って」
「あ、あの時は名無しさんが泣いてたから、それに母上の受け売りだよ……」
「……欲しい言葉をスラって言ってしまうお兄ちゃん、憎たらしくて嫌だけど、愛しくて好きだよ」
「……へへ、矛盾してるよ、名無しさん」
顔を上げたそれは今度は優しい眼差しで微笑んでいた。
***
「ところで名無しさんちゃん」
リビングに入るとソファに脚を組んで座っている太宰さんが白い紙を右手の指の間に挟み、ヒラヒラと揺らして見せた。
「この文字、私には凄く見覚えがあるんだ」
左手をおでこに当て悩まし気に眉を寄せるその仕草に態とらしさを感じながら記憶を辿る。
思い当たるのは一つしかない。
「なあに、このお姫様って。名無しさんちゃんは私のだよね?」
「否、ですから付き合ってないですよね」
「なら今から付き合おう」
なんで、と言いかけて言葉を詰まらせた。
ゆっくりとそれを理解して、目を大きく見開く。
驚いて言葉も出ず硬直するそれを真面目そうな面構えで窺っている太宰さんの瞳を見据えた。
少し考えて出てきたのは一つだけだった。
手紙の主はキス魔だったとはいえ、ポートマフィアの幹部である。
そして、僕はあの決断の日に“愛する人のいる場所にいきます”と宣言したのだ。
乱歩さんは僕の行く場所に行く、と。
僕の気持ちは変わらず太宰さんに向いているのだがもしも、太宰さんが勘違いをして気持ちが中也に移ったのだと思っていたとしたら。
探偵社にとってはとても大切な社員である乱歩さんが居なくなるのは見過ごせないだろう。
途端に、お気に入りのグラスが落下して強烈な破裂音と共に砕け散った時のような感覚が胸を襲った。
「……軽いですね」
ただ、そう呟く事しかできなかった。
「私は本気だよ。……名無しさんちゃんは私の事が好きでしょ?悪いことはないよ」
ふと、目を伏せた。
何処までも綺麗に見えるのにそれは、闇に吸い込まれるようで、とても瞳を見てられなかったのだ。
「悪いようにもしない」
ポロり、と零した様なそれは高い所から突き落とされる様な感覚を残した。
所詮はその程度。
僕のありったけの気持ちなど、その程度なのだ。
最早、涙は無かった。
そのかわり、胸中にドス黒いものがグルグルと漂っていた。
途端に、右手を強く握られた。
伏せ目がちに視線を移すと少し濡れた手が目に写った。
「太宰なんかに名無しさんは渡さないよ」
凛とした声色だった。
視線を上げ、顔を見るとそれは今まで見たことがない程に冷たい表情だった。
「これは私と名無しさんの問題だと思うのだけれど……」
戸惑っているような声にまた態とらしさを感じてしまう。
疑ってしまう自分に嫌悪感を抱いた。
「それでも、僕はやだよ。そいつは、名無しさんの?友達?なんだから好きにさせればいいじゃん」
「……乱歩さん」
堂々としていた。
それは何処までも真っ直ぐで、胸がじわりと温まるようだ。
「まさか、友人関係も縛るつもりなの?名無しさんが太宰を好きだからって。名無しさんも、このままだと太宰にとってただの都合のいい人でしかならなくなるよ。それでもいいの?」
「……もうそうだし」
ぼそりと呟いた。
確かにそうなのだ。
あれやこれやと尽くしてきたが、それは太宰にとってそんな僕の存在は?都合のいい人?に過ぎない。
解っていたのに、気付いた時には身動きが取れなくなってきた。
心と行動は別に動いていた。
――でも
「でも、アピールを初めてまだ2ヶ月しか経ってない。まだ頑張るよ、僕。」
努めて笑顔で宣言する。
「本当に好きになった時だけでいいんです。僕の気持ちはきっと、変わらないですよ」
おどけて笑って見せた。
少し嘘っぽい所も、優しい所も、強引な所も、たまに意地悪な所も、拗ねた横顔も、目を細めた笑顔も、何かを企んでいるような笑顔も、まだ、どうしようもなく、好きなんだ。
恋をしたんだ。
想うより、もっと。
「だから、安心していいんですよ、太宰さん。」
これ以上堕ちれば戻れないと心は知っているのに――。
それは、泣きそうな笑顔だった。