桜月夜3

□82.桜の雫
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満開の桜は、美しい春にふさわしいのに、手に触れば、溶けてしまいそうに儚げで薄紅色の雪のようだ。
それを見ていると、胸の奥が切なく、きゅんとするのは何故だろう。
みちるは、そっと膝の上に乗せていた読みかけの本を閉じた。
胸のざわめきは、まだ治まらない。
そんな時、ピーとスマホが鳴ったので、とりあえず、通話ボタンを押し電話に出た。
後から思うと、それからの数分間は、とても長いように感じられた。
電話の内容は、はるかが事故に遭い、大怪我をしたのだという。
それを聞いたみちるはショックのあまり、その場に凍りついたように立ちつくした。
不安がどんどん押し寄せてくる。その不安と戦いながら、どうにか電話を切った。
急いで、みんなの携帯に連絡事項を入れ、はるかの着替え等の準備をし、愛車のナビを病院にセットすると、満開の桜が咲きほこっている高速道路を走り抜けた。
どこをどう運転していたのかは、記憶にないが、事故もせずに無事、病院に着いた。
案内された病室のベッドには、全身には様々な医療器具がくっついており、白い包帯も痛々しい姿のはるかが、ぐったりと横たわっていた。
いつもは白く透けるようなはるかの頬や腕には、傷がたくさんついていて、とても痛そうだ。
はるかの指先をそっと握ってみると、トクンと微かな脈が伝わってきて、ほんの少しだけ安心する事が出来た。
しばらくすると、主治医が来て、別室で、はるかの怪我や今の状態を説明してくれた。
それによると、命が助かっただけでも奇跡のような事らしい。
ただ、頭を強打している為、重い後遺症が残ると言われた。最悪の場合、このまま、一生ずっと寝たきりの状態で、二度と回復を見込められないと告げられる。
例え、そこまではなくても、頚椎に受けた傷が深かった為、車椅子での生活になると宣告されている。
何よりも自由を、あれほど愛していた彼女にとっては、これほど酷く辛い仕打ちもないだろう。
病室に戻り、はるかの手を握っていると、もう一度、あの笑顔が見たいと思った。
もう二度と見る事は出来ないのかもしれない。そう思うと切なくて、自分は彼女の為に何もする事が出来ない事が悔しくて、辛くて涙がこぼれる。
「ねぇ…目を覚ましてよ!いつもみたいに笑ってよぉ…。はるか」
そう呟くと、握っていた彼女の手が微かに動いたような気がした。偶然かもと思い、軽く握り返してみると、はるかの目がゆっくりと開いた。
「…みちる?」
意識が戻ったらしい。
「えぇ。ここに居るわ」
「…ねぇ、僕の体はどうなったの?動かないんだ。正直に言ってよ!」
「うん…」
私は覚悟を決め、一部始終を話した。
「…そっか。正直に言ってくれてありがとう。ごめん」
いつもの微笑みがかえって痛々しい。
「もう…何も言わないで…」
「うん」
もう見ていられなくなって、病室を出ると、すすり泣く声が聞こえてきた。
私は売店で紅茶を買うと、部屋に戻った。
泣きはらした瞳のはるかが、ぼんやりと天井を見ている。
「はい。紅茶よ。温かいうちに飲まないとぬるくなっちゃうわ」
はるかの唇に口移しで、そっと紅茶を含ませた。
甘いはずのミルクティなのに少ししょっぱい。
切ない味だった。
「ねぇ、もう僕は二度と君を抱く事は出来ない。これから、悲しい思いばかりをさせてしまうけど、一緒に居てくれる?」
そう言うはるかは、細くて消え入りそうな声だった。
「例え、嫌だと言っても、私はずっと貴女と一緒に居るわよ」
「そっか…」
やっと2人で、いつものように笑いあう事が出来た。
それから、一年が過ぎ、今年も桜の季節がやってきた。
病室の窓からも大きな桜の木が見える。
「桜、綺麗だね」とベッドに上半身を起こしたはるかが、傍らのみちるに呟く。
「えぇ。本当に…。今年もこうやって、はるかと一緒にいる事が出来るだけで、すごく嬉しいわ」
外では、薄紅の花びらが雪のように静かに舞う中、2人はそっと幸せなキスをした。
END.
2015.3.30.

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