桜月夜3

□84.Dear my angel
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急に陽射しが夏めいてきた午後。窓からは、爽やかな風が優しく吹き抜けていく。
居間のソファで読書をしていたほたるは、ちょうどキリの良いところで読書の手を止めると、ゆっくりとキッチンの方を眺めた。
その視線の先には、洗い物をしているはるかの姿があり、平和な光景だった。
相変わらず、ほたるは病気がちで、友達と外で遊ぶよりも家の中でゆっくりと過ごしている。
でも、いつも楽しそうに笑って過ごしているから、そんなほたるにいつも癒されている。はるかは、そんな事をぼんやりと考えながら洗い物を終らせると、ソファの方がやけに静かだ。
心配になり、ほたるの方を覗き込むと、さっきとはうってかわり、彼女の顔色は蒼白に近い状態で、ぐったりとソファに座り込んでいる。
「どうした?ほたる、どこか痛むのか?」
「急に…全身が痛い」
いつもの発作だろうか?
それにしては何か様子が違っていた。
僕はすぐにほたるの額に手を当ててみる。思っていたよりも熱い。そして、いつもは透けるような白い頬がやけに赤い。
とりあえず、僕はほたるをベッドに寝かせ、体温計を口に差し込んで熱を計ると、思っていたよりも熱は高かった。この状態がヤバいという事だけは、すぐに解った。
「大丈夫か?病院に行こう」
「うん」
意を決して、はるかはほたるを抱きあげると、愛車の助手席をフラットにして寝かせ、急いで病院に向かった。
病院に着くと、すぐに応急処置をされ、苦しそうな呼吸の中、ほたるが何かを言いかけ、右手がはるかのシャツの裾を無意識のうちに掴んだ。
しばらくすると、薬の効果と高熱の所為で、ほたるは意識を失った。
しばらくして、主治医が来て、別室で、今の状態の説明をしてくれた。それによると、どうにか命を取りとめた事だけでも奇跡のような事らしかった。
ただ、この高熱の為に、意識が戻っても、全身を動かす事も、食事や排泄も、ひとりでは出来なくなり、言葉も二度と元のようには回復をしない後遺症が残る。おそらく一生、ずっとベッドに寝たきりの生活になると、非情な宣告を受けた。
部屋に戻ると、白いベッドに、ほたるが、血管まで透けて見えるような白い頬に長い睫毛が深い陰影を落として眠っていた。
その様子は神話や童話の中に良く出てくる永遠の若さのかわりに、眠りの魔法をかけられた乙女のような美しい寝顔だった。
その寝顔をみていると、なんともやりきれない暗く哀しい想いが襲ってくる。
いつのまにか、ほたるが目を覚まして僕の方を見つめていた。
「…あ」
「気が付いた?側にいるよ」
「…(ごめんね。急に身体が動かないし、言葉も出なくなっちゃった)」
「ほたる、大丈夫だよ」
僕はほたるの身に起こった事を言葉を選んで、ゆっくりと話す。
ほたるの顔が一瞬こわばり、大きな瞳からは涙がこぼれた。
「…ぅ(そうだったの。もう動く事も、話す事も出来ないの。怖いよぉ)」
涙をそっと拭いて、ほたるの小さな身体を優しく抱きしめてあげると、少し安心した表情になった。
良かった。こちらの言っている事は、ちゃんと理解出来ているんだ。
ほたるが少しでも微笑んでくれるのなら、僕は何だってするよ…。
「ねぇ、僕の小さなお姫様。君だけを愛してる。ずっと一緒にいるから、僕の為にも元気になってよ」
「…(ありがとう)」
その言葉に安心したほたるは眠ってしまった。
その寝顔に僕はキスを落とすと、微かに甘い味がした。

* * * * * * *

そして、数年後。
リハビリを頑張って退院したほたるは、家で療養している。
自分で身体を動かす事も出来ないし、話す事も出来ないけど、その代わり、最近は、よく色々な表情を見せてくれるようになった。
「おはよう、ほたる。具合はどう?身体を起こすよ」
「…う」
はるかが、ベッドから私を抱きあげ、上半身を起こしてくれる。
あの高熱から、一命は取りとめたけれど私は、おしゃべりをする事も、身体を動かす事も、食事も、排泄も、ひとりでは、もう何も出来なくなってしまった。
ボーっとしていると、はるかが、ホットタオルで顔を拭いてくれる。
「熱くない?」
「あぅ(大丈夫よ)」
それが終わると、はるかは、私をネグリジェから可愛い部屋着に着替えさせて、眠っていた間に、濡れて汚れた紙おむつを新しい物に替えてくれる。
排泄も高熱の後遺症で、自分の出す感覚が麻痺して無くなってしまい、ずっとおもらしをしちゃう為、下着はいつも紙おむつをするようになっちゃった。
「終わったよ。すっきりしたでしょう」
なんとなく表情で、ほたるの気持ちが分かるのだけど、やっぱり紙おむつをするのは、辛いし、恥ずかしいよね。素早く、汚れた紙おむつを交換して、あえて普通に接する。
「…(うん。これだけは今だに恥ずかしいよぉ)」
私はずっとネグリジェでもいいのだけど、朝は起きたら、きちんと着替えをさせて、そうして着替えが終わると、抱き寄せて、リクライニングの車椅子へ乗せて、キッチンに連れて行ってくれる。
もちろん、具合がいい時だけど、食事を食べさせてもらう。
今日はとろみのついたコンソメスープだった。むせないように少しだけスプーンで飲ませてもらう。
「最近、調子良いよね。美味しい?」
「あぃ」
はるかに優しくしてもらえるのは嬉しいのに、私の方は、後遺症だから仕方ないとはいえ、ずっと赤ちゃんみたいな身体が、ちょっと切ないよ。
私の表情から、その気持ちを察したはるかが魔法の言葉を優しくささやく。
「大好きだよ。ほたる」
「ぅ(私もよ)」
この一言で、いつも切ない気持ちが消えて、笑顔になれるの。
ほたるの顔が薔薇の蕾のように、ほころんだ。
僕の最愛の人は、ひとりでは何も出来ないドールのような天使なんだけど、そこに居てくれるだけで、微笑んでいてくれるたけで、僕は幸せなんだ。
fin.
2015.4.26.

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