星月夜1

□17.永遠の秘密
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郊外の住宅街の整えられた舗道から、森の妖精が棲んでいるような大きなくぬぎの樹を曲がると、林の中に築百数十年の大きな日本家屋があった。
その離れは、赤煉瓦造りの洋館になっていて、梨華はそこにずっと住んでいる。
この静かな土地には、人間以外の気配も漂う。それは決して恐ろしいモノばかりではなく、自然の中にひっそりと棲んでいるような妖精のようなモノたちだ。
だから、梨華はひとりでも寂しくなかった。
ある晴れた日の昼下がり、窓から外を眺めていると、長い茶色の髪をツインテールにした女の子が迷いこんできた。
その子の着ている物は、ネットや雑誌でよく見かける、ふわふわとした甘いピンクのロリィタなファッションだ。
まるで砂糖菓子の妖精みたいだと梨華は思った。漆黒の髪に黒い服の自分とは対称的だ。
「ごきげんよう。あの、桜町一丁目はどちらでしょうか?」
「ごきげんよう。桜町一丁目は、さっきの大きなくぬぎの樹を曲がらずにまっすぐ行った方ですよ」
妖精みたいな女の子は、桃華と名乗った。
ここに越してきたばかりらしい。
それが桃華との初めての出逢いだった。
それ以来、桃華はよく遊びに来るようになった。
美しいものや、可愛いものが好きだと言う桃華は、梨華と話がよく合う。
「ごきげんよう、梨華様」
「ごきげんよう、桃華ちゃん」
桃華と挨拶を交わすと、甘い香りのモノが手渡された。
「あ、そうだ、これお土産です。お揃いなんですよ」
可愛いうさぎのぬいぐるみが差し出された。
「ありがとう。可愛いわね。大事にするわ」
「それだけじゃ、ありません。中も、開けてみて」
「あら……」
紙袋の中からは、梨華が以前好きだといったチョコレートが出てきた。
さっそく、それをお茶のお供にして、紅茶を淹れた。
静かなふたりだけのお茶会は、いつも楽しい。
楽しい時間は、楽しければ、楽しい程、終わる時が切なくなる。
梨華には、まだ桃華に話していない秘密があった。
「ねぇ、梨華様」
桃華はティーカップをテーブルに置いて、梨華にぴとっと身を寄せた。
「梨華様って、物知りですよね。私も、本は好きですけど、梨華様の小説に、一番ドキドキするようになりました。綺麗な言葉と洗練された知性を感じます」
「そうかしら?誉めても何にも出ないわよ」
梨華は小さなピンク色のリボンを結んだ桃華のツインテールを優しく撫でた。
今ならまだお互いに傷付いても、引き返せる。
秘密を打ち明けるのは、今しかないと思った。
似たものを好んでいる友人や、愛した人は過去にもいた。
それでも秘密を打ち明けた途端、みんな疎遠になってしまった。
世界は不条理で、誰かに愛されたくても、他人と繋がりたくても、努力だけでは、どうしようもない事も多い。
だから、今までの梨華は、人間はみんな孤独なのだと割りきって生きてきた。
でも、美しいもの、可愛いものに囲まれていれば満足出来るという、桃華の瞳は純粋で、いつも妖精のように自由なココロで居たいのだという。
本人は多くを語らないが、前に暮らしていた街では、ココロが壊れそうになったらしい。
繊細なココロでは、なにかと生きにくい世の中だ。
でも、梨華はそんな彼女だからこそ、一度だけ秘密を打ち明けて、一緒に希望を持ちたいと思った。
「あのね、桃華ちゃん。私は普通の人とは違うのよ」
「どういうこと?」
「それは──」
梨華は苦しくなりながら真実を打ち明けた。
実は、梨華の母方の家系には、ヴァンパイアの血が流れている。
太古の昔に、現在の東欧から和の国に流れてきた一族だ。
現在では、その血も薄くなり、ヴァンパイアとして目覚める者はまれだ。
梨華の祖母も母も、普通に生きている。
だが、梨華は18歳の頃から、その古の血が目覚め始めて以来、24歳の時、肉体の成長が完全に止まり、ヴァンパイアとして目覚めた。
そして、永遠の命と引き換えに、結界が張られているこの家と庭から、昼間は外に出る事が出来なくなった。
今では夜更けにこっそりと、近くのコンビニへ行く事しか出来ない。
時の止まったドールのように、俗世からは忘れ去られてゆく一方だ。
「信じられないよね、こんな話」
「…………」
「本来ならば、ここは普通の人間には立ち入れない筈の領域なの。本当は、ここはもうただの雑木林で、家もないわ。だから、桃華ちゃんがここに初めて訪ねてきた時、私、本当にびっくりしたの」
「私は、ただ迷って通りかかっただけで……」
「分かってるわ。桃華ちゃんに出逢えたのは、本当に嬉しかった。でもね、もうここには来ない方がいいわ。桃華ちゃんには広い世界が待っているのよ」
「そんなの、イヤです…」
桃華は梨華の問いかけに、首を横に振った。
桃華は、自分が何故、ここに来られるのか分からない。
本当に妖精になってしまったのかも知れない。
梨華と一緒に結界の中に幽閉されてしまう運命なのかも知れない。でも、それなら本望だ。
愛する人と、ずっと一緒にいられるのなら、それは不幸ではない。
「梨華様は、どんな姿でも怖くないです」
「本当にいいの?」
「あの出逢いも、こうなる運命だったのかも知れません」
秘密を打ち明けて、こんな展開になったのは初めてだ。
「私は、貴女の血が欲しいの」
「えぇ、私も梨華様と永遠を分かち合いたいです。これからも」
「桃華ちゃん…ありがとう…」
奥にある寝室のベッドで、梨華は桃華を抱きしめると、その首筋にそっとキスした。
やがて、梨華の八重歯が小さな牙になり、桃華の白い首筋を軽く噛むと、パッと赤珊瑚のような血の珠が一粒、落ちた。
「っ!」
「ごめんなさい。痛かった?」
「いえ、ちょっとびっくりしただけです。これで良いんですか?」
「うん」
しばらく、ふたりは抱きあったままでいた。
お互いの心臓の鼓動がいつの間にか、一つになっていく。
これで永遠に一緒だと、ふたりは、口に出さなくても、同時に思った。

fin.
2015.10.4.

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