遥か彼方(ヒロアカ)

□助けられて
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三月は教師の仕事が無駄に多くなり、イライラも倍に増える。普通の授業、学年末テストの採点、入試…。挙げればきりがない。

それは合理的が口癖な相澤消太も例外ではなく、仕事が終わりノートパソコンを閉じて、鞄を開けてみると晩御飯の飲料ゼリーをイライラして買い忘れてしまったのが分かり、余計ストレスが溜まる。

折角、今日はいつもより早く帰れるよう頑張ったのに。

舌打ちをしようとするが周りに教師がいるので抑え、お疲れさまでしたと一応声をかけて、職員室を出た。後ろから今日はいつもより機嫌悪いな、と教師仲間が囁き合う。それが耳に届いたが無視して学校から出た。

今日の分と買い置きを買おうと、家ではなくコンビニに向かう。自動ドアを抜けて陳列棚を覗いてみるが、こんな日に限って売り切れている。

カロリーメイトでも買おうかと思ったが、今は飲料ゼリーが食べたい気分だ。

こうなったら意地でも飲料ゼリーを買ってやる、と店員のやる気のない挨拶を背中で聞き流し、コンビニを出て近くのスーパーに足を向ける。
胃が音を立てて、空腹を知らせた。それを聞きながら歩道を歩くと、ふと思い出した。


(俺、いつ飯食ったっけ)


早朝から出勤する途中で敵と会って、昼は放課後の負担を減らすために採点や提出物の点検をして、放課後は質問しに来た生徒の相手をしながら、明日の授業の準備に朝に倒した敵の報告…。

これを何日前からか思い出せないほど、繰り返してきた。自分で思い出しておきながら、食事をする暇が朝と夜しかなかった。

そう自覚すると、くらりと目眩がした。しかし、気分が悪く起きる目眩ではなく、何故か心地よく夢の中にいるようだ。この感覚はどこかでしたような気がするが思い出せず、眠るように倒れた。



* * *



何かを煮込む音が聞こえて、相澤は目を覚ました。ふかふかとした布団に包まれ、天井には蛍光灯がぼんやりと暗めに光っている。まだ夢心地な頭を働かせて、記憶を辿ると布団から飛び起きた。


(記憶通りにいくと、確かあの後道で倒れたはず。なのに何故、布団の中にいるんだ)


敵に拐われたかと考えて、周りを見渡し、音が聞こえた方にそっと歩く。すると、キッチンで呑気に料理している後ろ姿を見つけた。

相澤は教師だがヒーローでもあるので倒れている所を拐い、金か見世物にする可能性はある。こんな奴に油断した自分につい、舌打ちをしてしまった。


「…おはよう。生きてるね。よかったよかった」


料理していた少女は、舌打ちに気づいたのか相澤に振り返り、近づきながら話しかけた。

庇護煤竹色の髪と目に、白銅色の、透き通るような肌。少しつり上がった目は蔑んでいるようにも、心配しているように見えて不思議だった。口はそれが元々なのか、への字に曲げている。

相澤はその姿に記憶の底から、ある事件を思い出し、事件の関係者に少女が似ていることに気づいて、話しかけようと口を開いた。しかし、相澤は事件の内容が聞かせるほどよくないことを思い出し、話しかけるのをやめた。

少女が近づけば近づくほど、倒れたときと同じように目眩がする。相澤は不安定になる頭を片手で押さえた。

その様子に少女はあぁと納得したような声を出して、キッチンに戻り柑橘類が乗った皿を持ってきて食べ始めた。皿に乗った柑橘類の数が少なくなるごとに、目眩が収まっていく。少女の行動を相澤は理解できずに、ただ見つめた。


「目眩、収まった?」


柑橘類を完食した少女の問いかけに肯定も否定もしないので、少女は勝手に収まったのだろうと理解して話を続ける。


「…おじさんさ、ここ最近ゼリー飲料以外でまともなもの食べたことある?」


少女は相澤に向き直ると、無表情の顔を近づけた。相澤は驚いて後ろに下がろうとするが、またも目眩がして体が動かない。

おじさん、と呼ばれたことに異論を出そうとしたが、少女から見た自分はおじさんと言ってもいい歳で言葉を飲み込む。しかし、まだ三十なので少しもやもやする。


「鼻がいいから相手が何食べたかとかすぐ分かるだけで、口臭とかはしないよ。ただ、食べものの匂いが飲料ゼリーしかないから、気になっただけ」


相澤は口臭はしないと言われてほっとするが、今なら逃げ出せると軽い目眩に耐えて、立ち上がって家を出ようとする。相手は少女だがもしかしたら他に人が来るかもしれない。帰るときに持っていた鞄を探すが見当たらない。それを気にせず、少女は袖を引っ張って、立ち上がらせず引き留める。相澤が睨むが、それを真正面から見つめ返された。大抵、睨めば勝つことが多いので、この反応は珍しい。

何秒かそのままにしていると、相澤と少女の腹が同時に鳴って、少女が吹き出した。すました顔つきがくしゃりと崩れて幼く見える。崩れた拍子に何故か一瞬だけだが目眩が収まったので、その隙に距離をとった。笑った顔を見て相澤は可愛い、と思ってしまう。この子は自分よりも一回り以上も下だ。自分にそんな趣味は無い。


「同時に鳴ることってあんまないよね。おじさん、うどん食べれる? ついでに食べていきなよ」


少女は笑いながらキッチンに行き、鍋の用意を始める。一度笑って年相応の顔を見せたせいか、少し馴れ馴れしくなった気がする。そう思いながら、相澤は手を離した隙にドアから出ていこうとした。


「言っとくけど、私は人拐いとかじゃないから。おじさんが私の目の前でぶっ倒れたから、横抱きで連れて帰ってきたんだ」


「おい、最後の横抱きってなんだ」


相澤はドアに伸ばした手を止め、下手なことを言わないように無言でいたが、少女の最後の言葉に思わず突っ込んだ。

少女は少し考えて、キッチンから相澤と目が合うと微笑み、それを見て相澤は睡魔に襲われる。仮眠をとっただけでは十分では無かったと、目を瞑って睡魔と戦うと浮遊感がした。


「こういうこと」


少女はキッチンから相澤に近寄って、素早く横抱きで持ち上げた。相澤はいきなり浮いて状況が飲み込めず、されるがままに玄関からリビングに戻される。やっと状況が飲み込めたときには、少女がゆっくりと相澤を降ろして座らせていた。

相澤は少女から距離をとる。睡魔と戦った一瞬で抱き上げられるとは思っていなかった。


「あれ、横抱きの意味分かった?」


「横抱きくらい知っている。面倒を見てくれたのは礼を言うが、何で横抱きなんだ。他にも持ち方があっただろ」


「持ち方はだっこかおんぶで迷ったけど、私よりおっさんの方が背が高いから両方しにくくて、横抱き。妹とこれでよく遊んで、慣れてたし。
なんなら、だっことおんぶここでやろうか? やりづらくて落とすかもしれないけど。
大丈夫。じっさん、身長の割に軽かったから。私、見た目より意外と力あるんだ」


確かに相澤より少女の方が身長が三十センチほど低く、ここでされて落とされたらかなわない。少女の説明に相澤は納得するが、最後の軽かったという言葉に少しプライドを傷つけられ、違和感を感じる。


「本当で軽かったから大丈夫だって。ここでもう一回持ち上げようか? わがままだねー、おじさん」


相澤の少し不満がある様子に軽いと言ったのが信用されていないと勘違いして、少女は微笑を浮かべて両手を広げて抱き上げようとする。その行動を見て相澤は気づいた。


(こいつ、俺のこと年下、女扱いしてやがる…、しかも無意識に)


年下、女扱いに苛立ちはしたものの、悪気はなく逆に気を遣ってくれているのが分かった。現に、蔑んでいるのか心配なのかよく分からない目が、心配と元気そうでよかったと安心の色になっていたからだ。

しかし、一回り下であろう、しかも少女に、この扱われ方はしてほしくない。
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