小説本文
□太陽のひと
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波の音を聞くとその深い青まで瞼に浮かんだ。いや、今日の波は七色かもしれない。見たこともない海獣や海王類が姿を現せば景色は一変するだろう。
グランドラインの海は気まぐれで私はいつも胸が高鳴った。
この海で存分に力を発揮できる喜びはきっと陸にはない。
目を開けて空を見上げればサニー号のマストが鮮やかな雲の合間に堂々と聳え立っている。マストの天辺で歓声を上げていたルフィが私に気がついてひとっ飛びでやってきた。
「ナミ!何やってんだ?」
「航海日誌を書いていたの」
デッキチェアとパラソルの脇に用意した折り畳み机には羽ペンとインク壺が置いてある。
好奇心丸出しのルフィは、
「俺も書く!」
と、大はりきりだったが即却下する。大事な日誌がインクまみれになるのが目に見えているからだ。ブーイングも勿論無視。さりげなく話題を逸らすことにする。
「上から何か見えた?」
デッキチェアから降りながらルフィの髪をなでた。潮風に当てられてばりばりと音がしそうな硬さが新鮮だった。そのまま甲板に腰を下ろすとルフィは満面の笑みで膝の上に頭を乗せて大の字に寝転がった。
「ああ、すげーんだよ!波が高くなったと思ったらサイダーみてえに泡を立てて崩れてよ!その後金色の魚が海面を埋め尽くしたんだ!」
おとぎ話ではなく本当の話。私はルフィを覗き込みながらあふれてくる話に耳を傾けた。
「その魚をフランキー達が釣ったからサンジがメシに出すって!楽しみだなー」
まあ、話のおちはそうなると思っていたから苦笑するしかない。
きらきらと屈託なく笑ってはしゃいで怒られて。これを世間に触れ回っても嘘だと呆れられるに違いない。こんなに無邪気な奴がまさか世界中を騒然とさせている麦わらのルフィだとは信じられないだろう。
ばんっとキャビンの扉が勢いよく開き、潮風に乗って香ばしい匂いが広がった。
「ナミさん!お茶の用意ができました」
サンジ君がお盆を片手に持ちながら軽やかにやってくる。恭しく差し出すついでにさりげなく手を取って甲に口付けようとしてくるので、さらりとあしらって盆だけ受け取る。
「わーおいしそう」
「サンジ俺のは?」
「お前のは厨房だ」
サンジ君はルフィを火を吹きそうな形相で睨んでいる。
「お前どこに居るのかわかってんのか?ナミさんの膝の上だぞ?膝枕なんて羨ましいんだよこの野郎!」
「あー悪いなサンジ!ここは俺の場所だからな!」
「そうね、ルフィの場所ね」
「でも胸だったら貸してくれるかもしれねえぞ?」
瞳がハートになったサンジ君とのん気に笑うルフィににっこりと微笑むと同時にパンチをお見まいして吹き飛ばす。とぼとぼと厨房に戻るサンジ君を追ってルフィも中に入ろうとするが、咄嗟に服をつかんで止めた。
この数秒で空気が変わった。風の動きも臭いも燻って何かが起ころうとしている。
「ルフィ…」
口を塞がれた。
瞬きが触れる距離でお互いを凝視する。唇が離れた時、全身に熱が走って腰が砕けそうになる。
「ナミ、任せたぞ」
にかっとまっさらに明るく笑って全幅の信頼を寄せてくる。
この人たらしめ。
私は航海士。ルフィを海賊王にする為に世界一の航海術を奮ってみせる。
海とルフィが居る場所が、私の生きる場所だ。
船を操る号令をかける為、大きく息を吸って背筋を伸ばした。
《終》