小説本文

□コバルトブルーの部屋
1ページ/1ページ

 水槽で泳ぐ魚のような自然さで手が伸ばされる。顎から頬を撫でる手は滴る色香を放って媚びているが不思議と卑しさはない。絶対の自信を持って触れてくる癖に掴めばするりと逃げてしまう捉え所のなさにローは溜息を隠さなかった。

 アクアリウムバーの薄暗い灯りに眼下はさらに深く翳る。目深に被った帽子の奥で瞬く双眸は不吉な気配を放ち睨めば大抵の者が腰を抜かす。そんな眼光で後ろに立つ人物を射抜くが脅えた様子もなくゆっくりと撫で続けている。顎髭の感触が気に入ったのか細い指先が猫の顎を撫でる動きでくすぐってくる。

 女慣れしていない男ならばたちまち跪きたくなる手管をローは面倒くさそうに払った。


 「女の子は嫌い?」

 「あんたがうっとおしいだけだ」

 「あら残念」


 ナミは少しも残念がっていない声で答えた。

 部屋の中央に誂えられたカウンターチェアに座るローはナミに後ろから抱きつかれて拘束されている。後ろ頭に当たるたぷりとした感触はなかなかだが打算いっぱいのナミを前にして気を抜く暇はない。


 「相手の懐からちょっとお財布を頂くだけの簡単なお小遣い稼ぎよ。私が目星をつけてトラ男君が能力で抜き取る。分け前は私が8でトラ男君が2でどう?」

 「おい」

 「多いって?9対1でいいなんてさすが元七武海、懐が深いわ」


 ナミはローの肩に手を置くとくるりと体を反転させその懐に潜り込む。軽々と膝の上に横座りに乗ると同時に首に手を回して引き寄せる。


 「掏りが嫌なら海賊船でも襲う?私、海賊専門の泥棒だったからどこにお宝を隠しているのか見分けるの上手いの」


 耳朶を唇がかすめていく。

 内容はともかく大胆に誘いをかけられている事は間違いない。こんなにも直球かつ熱心に口説かれた経験は少し覚えがない。ローに身を預けているにも関わらずほとんど重さを感じさせない身ごなしは評価してもいいだろう。

 ローはカウンターに置いたロックグラスから琥珀色の液体を口に含むと、見事な谷間と頭の中をお宝でいっぱいにしているナミから視線を外し水槽を眺めた。

 ぼんやりとした灯りが目に優しい。青と灰色と海を混ぜた空間は穏やかな閉塞感に包まれている。水槽の下に並んだソファには鉄人と悪魔の子と音楽家がそれぞれ寛いで酒を楽しんでいた。ローがどうにかしろと目で訴えてみても、長年荒波に揉まれてきた面子にはちょっとした余興が始まった程度にしか映らないのだろう、一瞥されただけで流される。


 「それとも怖い?」


 挑戦的なリップ音が耳に降る。

 こそばゆい誘惑を無視してグラスを傾けているとナミは頬を膨らました。


 「美女がこんなにお願いしているのにトラ男君冷たい」

 「ナミ屋がふざけた話ばかりしているからだろ」

 「じゃあ何対何なら話に乗ってくれるの?」


 ナミはぱっと顔を輝かせた。

 現金な反応にローは口端を歪めた。


 「お前がうちの船に来るならいくらでも船を襲ってやる」


 ローは不安定な体勢を保つナミの背に手を回す。そのまま持ち上げて連れ去れる動きだ。ログポースを巻きつけた手がローを引き寄せ内緒話をするように顔を近づける。


 「ハートの海賊団にアクアリウムバーはある?」

 「ないな」

 「みかんの木を埋められる場所は?」

 「潜水艦にあると思うか?」

 「専用の女部屋とお風呂は?」

 「そのうちできるかもな」


 ナミは一呼吸置く。

 

 「そんな居心地悪そうな船、行きたくない」

 「そうだろうな」


 ローはアルコールを飲み干し氷の残ったグラスをナミの頬に当てた。不意の冷たさにナミは柑橘色の髪を逆立たせ猫の如く飛び上がる。

 しなを作っているよりもそっちの方が可愛いじゃないかとからかえば、恨みがましく睨まれる。ナミは頬を膨らませたまま踵の音を高らかに響かせてアクアリウムバーから出て行った。


 「ずい分気に入ったみたいだな」

 「面白い能力だもの」

 「ローさん大人ですねえ…私どきどきしちゃいましたよ」


 談笑とつまみのナッツを齧る音、酒を傾けながら勝手気ままに語り合う大人組に肩をすくめながらローは瓶を掴み手酌でグラスを満たした。

 ナミの望みを全部叶えて船に連れ帰ると言えばどんな顔をするだろうか。そんなありもしない未来を考えてローは酔いを自覚した。



 終

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ