小説本文
□水色落ちた
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冬島をビキニで走り回る露出狂、子供達を助けるお節介、そして掛け値なしの守銭奴。
ナミの呆れるばかりの姿を見てきたせいか黙々と机に向かって海図を書き続ける背中がローには酷くちぐはぐに見えた。
風呂場に入るためには測量室兼図書室を通らなくてはいけない。ローが部屋に入り、また入浴が終わって出ようとする時もナミは振り返りもせずに羽ペンを動かしていた。
潮風に洗い立ての黒髪が軋みしずくを切っていく。
冬から春にうつろう日差しは眩しく、僅かに残っていた底冷えが重さのないぬくもりを纏うように変わる。
麗らかな青空にヒールの音がよく響く。
「トラ男くん忘れ物」
ナミは人差し指にローの帽子を引っかけて呼びかけた。
すでに芝生甲板まで降りていたローは思わず髪を掻き上げる。隙がなく、うっかり忘れと縁のなさそうな男だけにその何気ない動作がナミには珍しく見えた。
「海図がいい所まで書けたからお風呂入ろうと思って。脱衣所に置きっぱなしだったわよ」
測量室からすぐ出たガーデニングデッキは船の上階にあたる。必然、ナミはローを見下ろす形となり眉を寄せたその顔もよく見えた。
不機嫌になったわけではなく、単純に眩しさで目を細めただけなのだが、元の顔が悪人面なのでどうしてもそう見えてしまうのだ。
浅くはない付き合いだ。ナミもわかっているのだがついからかいたくなる。
「私の利き手はこっち、汚れていない手で持ってきたんだからそんな顔しないでよ」
「…元からこの顔だ」
ひらひら揺れる手の爪は遠目に見ても鮮やかな色で塗られており、同じくらいインクの掠れた汚れも見えた。背中を見た時のように不釣合いな物が共存している。ローは今度は自分の意思で目を細めた。そして手を翳して能力を使う。
ローの元に帽子、ナミの手に蜜柑が落ちる。
「ちょっと!盗み食いしようとしたの」
「未遂だ」
「今度やったら罰金取るからね!」
声を荒げナミは踵を返すと測量室の扉を乱暴に閉める。
蜜柑一つに怒り出す後ろ姿と、背を丸めて机に座る姿がかけ離れておりローは首を傾げてから乾いた頭に帽子を被った。
羽ペンが紙の上を迷いなく走る。時折考え込みながら計算をし、あるいは机に積まれた本を広げて答えを導き出すとそれを早く書き起こしたいと手が踊る。
その繰り返しだった。
歓声も拍手もない、ただ紙に書き込む音だけがそこを支配し丸めた背から熱が迸る静かな演目がひっそりと続いていく。
伸びをしたナミは何気なく振り返って驚いた。
部屋の片隅にローが居る。椅子に座って足を組み、堂々といつも通りの仏頂面でナミを凝視している。
「なんでいるの?」
「ナミ屋が海図を書いているからだ」
説明が足りていないと思ったのかローはつけ加える。
「仕事をしている後ろ姿が好きだ」
もう一言添えた方が良いと神妙に言葉を選ぶ。
「それ以外の時はうるさくて敵わないからな」
「…説明どうもありがとう」
ナミは上手くない説明を、それでも自分の行動をきちんと言葉にしたローに一応感謝した。
「仕事をしている後ろ姿だったらウソップやフランキーは?サンジくんはだってそうでしょ」
「あいつらもいいが俺が見たいのはナミ屋だ」
気恥ずかしい話をしている自覚がないのだろう、表情を変えないまま淡々と語るローにナミは呆気に取られていたがすぐに悪戯めいた流し目を作る。
「そんなに見たいなら見学料頂こうかしら」
「払えば見せてくれるのか?」
ナミはからかって言ったつもりだったがローが真顔のまま懐から財布を取り出そうとするので、形だけ笑っていた唇に本当の微笑を浮かべた。
「やっぱり止めた。本気ならお金じゃなくて口説いてきてよ」
何を言っているんだと胡乱げな顔で固まったローが可笑しくてナミは肩を震わせる。冗談はおしまいという風に机に向き直り羽ペンを握ろうとした手が止まる。
背に熱が落ちる。
「あんたの背中が好きだ」
一瞬の灯火で勘違いかもしれないとナミが感じた事を悟り、ローは知らしめる為に再び肩甲骨の間に唇で触れる。
背骨からつたって全身が粟立っていく。
「…うるさくて敵わないんじゃなかったの?」
「嫌いだとは言っていない」
触れたまま動く唇のくすぐったさを堪えナミは羽ペンを持つ。
「本気?」
「…それが自分でもよくわからん」
「トラ男くんって冷たいふりしているけど意外とルフィに似ているわ」
再び海図が書き始められる。
名前の見つからない感情をどうやって説明しようかとローは薄い背中に額をつけたまま考えた。
終