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□ずるいと言えたらいい
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 理由が必要ならば雨のせいにすればいい。
 薄暗い部屋に不安になった。
 寒くて人肌恋しくなった。
 湿気の纏わりついた頬に触れたくなった。

 ナミはソファに座るローに膝立ちで跨る。いつも高い位置にある顔を見下ろす事が出来て背筋から後ろ頭までぞくりと高揚が駆け抜けていく。
 隈の深い、だけど陰のある整った顔をナミは両手で包み額同士をつけた。何の感情も浮かべない硝子に似た瞳に見据えられると、ばつが悪くなって目を逸らしたくなるくせに酷く興奮する。
 ナミは白い帽子を奪うと額に下唇を寄せた。両手は耳朶をくすぐり額からこめかみ、耳へと唇がゆっくりと輪郭を食んでいく。ローの目を見る勇気がなくなりナミは瞼を閉じて首筋を吸う。雨のせいかいつもより肌がしっとりとしている。鼻先と顎で器用に襟ぐりを広げながら啄ばんでいくと体温が上がっていくのがわかった。
 ナミは期待を込めて目を開けた。
 ローの表情は何も変わらない。

「…迷惑ならそう言ってよ」
 
 震える声音には制御できない感情が溢れている。
 昂ぶっている反面、ゆっくりと瞬きする透明な眼球に見惚れ雨粒を弾きそうな睫毛の長さを羨ましくさえ思った。
 ナミは体を起こして立ち上がると踵を返して扉に向かう。かつんかつんとヒールが二人きりの図書室に響く。
 電気をつけようと伸ばされた手は一瞬迷ってから扉にかかる。
キッチンに行こう。あそこは火の気があっていつでもあたたかい。雨が降って底冷えする日は誰もが自然に食堂に集まり下ごしらえに忙しい料理人に熱い飲み物をねだる。
 ジンジャーティーを頼もう。
 開けた扉の隙間からすっと雨を含んだ風が足を撫でて鳥肌が立つ。

「ナミ屋」

 雨音に掻き消されてしまう囁き声をナミは拾ってしまう。恐る恐る肩口から振り返ればソファに座ったままのローが足を組んで笑っている。
 部屋は薄暗く、本の背表紙を読み取る事ですら苦労しそうな中でナミには笑っているという確信があった。少なくとも硝子のようだった瞳が爛々と瞬いているのは間違いなく、今にも哄笑しそうだった。
 刺青の刻まれた手が広がる。
 温かい場所へ向かおうとするナミを暗がりへと呼び込む。
 ジンジャーティーを飲みたかったのに。
 そう心のどこかで惜しみながら、ナミは迷わず扉を閉めていた。


 終

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