小説本文

□チョコレートシェア
1ページ/1ページ

 ニジのちょっとした変化に気がついたのはレイジュが最初だった。料理長であるコゼットはもっと早く気がついていたかもしれない。
 食事中、ニジの手が時折止まる。眉間に皺を寄せるので出された料理に文句があるのかと思えば手を止めた皿ほどきれいに平らげる。好き嫌いが激しく口に合わないものは平気で不味いと言って跳ね除ける性格なのだからコゼットは頭を悩ませているだろう。
 レイジュはナイフとフォークを動かしながら静かに微笑む。原因不明の理由を作っているのは部屋に閉じ込めている可愛い猫のせいだろうと根拠もなく思う。からかいたくなる気持ちをなんとか堪えてワインのグラスを傾けた。


 勢い良く扉が開いた音にナミは咄嗟に天候棒を探した。いくつもの荒波を超えてきた武器はとうに取り上げられているにも関わらず、癖で手が彷徨う。

「ナミ!戻ったぞ!」

 ニジの居丈高な声が薄暗い部屋に響き渡りナミは枕元を探る手を止めた。とびきり上機嫌で大またで部屋に入ってくるとベッドの傍で胸を張り任務の成功を語りだす。
 帰ってくるのは三日後だったのではないか。
 ナミは二度寝を訴える体に逆らいながら体を起こす。ちらりと窓を見ればカーテンからは少しも日差しが入ってこない。自分軸で動くニジには時間の概念がないらしい。なんて非常識なんだと心の中でニジに拳骨を落としていると、

「おい、聞いているのか」

 鋭い声を共にナミは引っ張られた。首輪に指がかかって無理やり顔を上げさせられる。常識があれば爆弾付きの首輪をつけて監禁するなんて真似はしないだろう。

「全然」

 聞きたくもないわと言いかけた言葉をなんとか飲み込んで嘘を吐く。殴られるのは御免だった。

「寝起きでびっくりしたんだもん。着替えて、ご飯を食べて、お茶でも飲みながらゆっくり聞かせて?」

 今のニジとは話したくないと暗に拒絶する。嫣然と下がる目尻に気持ちが全く入っておらず、傲慢な王子にわかりやすく伝わった。振り上げられた拳が寸前で止まる。
 ナミは瞬きもせずにニジを睨み続ける。頬を殴っていたら蔑んだ目を向けていただろう。
 不愉快そうに舌打ちをしてからマントを翻してニジは離れる。扉を乱暴に開け控えていた部下達に当り散らしながら出て行ってしまった。


 滅ぼした国の話を朝から聞かされてどんな反応をすればいいのか。朝食もそこそこに紅茶のカップを傾けるナミは首を傾げ、そんな些細な仕草でもニジは気を良くして戦功を語る。
 一方から見れば悪夢、角度を変えれば国を救った救世主の話。華々しい話ならば王族を敬う侍女達にでも聞かせれば感嘆して褒めちぎるに違いない。
 相槌もそこそこな自分に話して何が楽しいのかとナミが適当にニジを眺めていると饒舌だったその口が不意に噤む。

「…おいゴミはどこに捨てている」
「ゴミ?」

 話が飛びすぎてナミはわけがわからない。
 ニジは突拍子もない話を振った気まずさもなく、いつも通りせっかちにナミを睨みつけて早く答えろと圧力をかけてくる。

「脱衣所か洗面所が多いと思うけど」
「扉の脇は?」
「そんな所にゴミ箱はないでしょ」

 入浴は数少ない気晴らしだった。高価な入浴剤も使い放題、基礎化粧品もどんなハイブランドの物でも与えられる。風呂場とトイレくらいしか監視の目が離れる事はない。
ナミを貴賓扱いする侍女達は主たるヴィンスモーク家と同じように抜かりなく仕える。ナミの手を煩わせないよう座っているだけで何もかも用意されていく。ニジの命で茶の支度をしてから出て行った彼女達の後には当然ながら塵一つ落ちていない。
 上機嫌な様子を一転させニジは乱暴に立ち上がって扉に向かった。出て行く気だと喜んだのも束の間、壁際に置かれた銀の筒に手を突っ込む。
 繊細な細工のそれはナミの感覚で言えば売れば良い値段になりそうな調度品でゴミ箱に使えるほど気軽ではない。
 口をへの字に曲げたまま戻ってきたニジはナミの前に小箱をがんと置いて元の場所に座った。

「ねえ、これなに?」

 箱の隅はひしゃげているが両手に納まる小箱はラッピングされリボンが揺れている。ニジはナミを無視して紅茶をがぶがぶと飲んで取りつく島もない。爆発物じゃないでしょうねと言えば流石にこめかみに青筋を浮かべたが、開けてもいいのかと聞けばそっぽを向き、それを了解と受け止めてリボンを解く。
蓋を開けてナミは歓声を上げた。
 規則正しく並んだ宝石のようなチョコレート。

「金箔!金が乗ってる!」
「やっぱり食いつくのはそこか…」
「だってよ金よ!私こういうの大好き」

 険がどこかに吹き飛んで小箱に喜ぶナミにニジの歪んでいた口元が少しゆるむ。

「食べてもいいの?」
「勝手にしろ。おい茶を煎れろ」
「やだ」

 軽やかに拒否をしたナミはチョコを一粒頬張ると幸せそうに蕩けてしまったのでニジの怒号も引いてしまう。
 金箔おいしいと両目をベリーにしている姿に本当にチョコの味がわかっているのか別の不満も湧き上がる。ニジはむくれてソファにもたれかかった。
 何をしようと思ったわけでもなく、柑橘色の髪を引っ張ったり指に絡めたりしているとうっとおしそうにその手が払われる。

「ちょっと食べるの邪魔しないで…それ私の紅茶じゃない」

 いつの間にか空いた手にはナミに用意されていたカップがあり、目の前で飲み干されてしまう。
感情的になるほど青い髪の王子の機嫌が良くなる。悪戯好きな子供そっくりのその顔が見たくなくてナミは冷然とふるまっていた。

「…なんでチョコなの」

 こんな悪餓鬼に熱くなるなと言い聞かせながらも甘くておいしいチョコについ手が伸びる。

「お金や宝石が好きだって知ってるし、今までのお土産もそういうのばっかりだったじゃない。食べ物って正直以外」

 なぜと聞かれてニジは口ごもる。
 戸惑う気配は一瞬。言葉に詰まったのも一瞬。
 すぐに偉そうに胸を反らした。

「海賊風情はチョコを食べたことがないと思ったから恵んでやったんだ」
「馬鹿にしないでよ!…でもこれ本当においしい…」

 不本意そうにナミは口いっぱいに広がる幸せを噛み締める。
 口ではなんと言ってもその顔を見れば喜んでいると一目でわかる。ニジは満足そうに足を組むと機嫌の良い証拠に歯を見せて笑っているが滅多に見れない猫の素直な姿にそわそわしている。落ち着きなさを隠す為にカップを傾けても中身はとうに空っぽだ。
 遠征する国の噂話を聞いたのは偶然だった。
 有名なショコラのお店もなくなってしまうのね。
 一度でいいから食べてみたかったわ。
 兵士の方におねだりしたらお土産に持ってきてくれないかしら。
 躾けの行き届いた侍女達でも他愛ない話をしている時は声が高くなる。
 チョコレートはニジの好物だ。
 戦禍の燻る国に降り立った時、真っ先に店を探した。幸い店は残っていた。店員は居らずショーケースも空だったがプレゼント用にラッピングされた箱がわずかに残っていたのでニジはその場で包みを破った。国外にまで噂される味に間違いはなく争い事で潰れていなければ部下を買いに寄こしてもいい位だと思った矢先眉間に皺が寄る。
 まさか毒でも仕込まれていたのかと従っていた部下達は慌てたがニジはなんでもないと手を翳して治める。
 敵を屠る為にここに来たのだとニジは踵を返して店を出る。最後の一箱を部下に投げ生み出した雷で襲いかかってきた影を黒焦げにした。

 ニジは食事をしている時にふと思うようになった。
 これをナミにも食べさせてやりたい。
 一言命じれば簡単な話だが、口にするには素直さが足りず自尊心は高く兄弟達に対する言い訳も上手く浮かばず、ごちゃごちゃ考えすぎて結局何もできていない。今もナミがチョコレートをおいしそうに食べる姿が嬉しいのにあえてそれを隠そうと舌打ちをして誤魔化している。

「っおい俺にも寄こせ」
「嫌よ、私へのお土産にくれたんだもん。お茶でも煎れてくれたらお裾分けしてあげる」

 どうせニジには出来ないだろうとナミは軽くあしらう。そんな事出来るかと吠えるに違いないと思っていたが、ニジはティーポットに手を伸ばした。勢いが良すぎて注ぎ口とカップの縁がかちゃんと触れ、テーブルにティーポットを叩きつけるように置けば持ち手が崩れ落ちる。

「これでいいだろ!」

 ニジは宣戦布告かと思うような口ぶりでナミを睨んだ。
 その頬は赤くなっているが照れていない証拠に血管が浮いている。ナミが思っていた通りの言葉を吐きかけ無理矢理飲み込んだ。
 睫毛の長い瞳が丸くなる。
 これで満足かと吠えかけて喉の奥で萎んでいく。
 初めて目を合わせた気がする。嫌悪を含まない眼差し、今にも突き刺さりそうな冷ややかな棘のある視線と向き合ってきたせいか、ただ見つめられて居心地を悪くする。

「…おい何か言えよ、茶を煎れたぞ」

 感謝しろ。チョコを寄こせ。続きを吐き出しかけて消えていく。ナミの双眸がほんの僅かにゆるみ、最後の一粒を指で摘んで差し出した。

「ニジ、あーんして」

 やわらかい気配に押されてニジは口を開いていた。
 チョコレートが舌に乗る。滅びた国で食べた時よりもずっと甘い。いつもの癖で噛み砕こうとするとほっそりとした人差し指が唇の上に止まる。

「最後の一つなんだからゆっくり食べたら?」

 閉じられた口の中でチョコレートがゆっくりといつもよりも長く溶けていき余韻を引きずって呼吸を忘れる。
 知らない。
 知らない。
 知らない。
 ナミのこんな表情を見た事がない。誘惑する気か、もっと財宝を寄こせという前触れか。
 指が触れている間はその行為を疑った。離れてしまうと疑う暇があれば握れば良かったと思っていた。

「私、あなたが正直嫌いよ。すぐに手を上げるし自慢話ばっかりの嫌な奴だと思ってる」

 ナミは唇に触れた手で紅茶のカップを撫でた。

「でも一緒にお菓子を食べてお茶をしたら気が変わるかもしれないってちょっと思ったの…またおいしいもの持ってきてね」

 ニジは短気だが馬鹿ではない。耳から染みこむ言葉を理解するが早いか部屋を飛び出していた。そして厨房の扉を蹴り開けるなり叫んでいた。

「コゼットはどこだ?!最高のお菓子を作るんだ!」

 部屋に残されたナミは爆弾付きの首輪を引っかいて戯れる。女の子を爆弾付きの首輪で引き止めようとするなんてまるでわかっていない。悪餓鬼にとってぴかぴかに磨いた泥団子が宝物でも受け取る方は微妙な気持ちになる。
 ナミはニジの煎れた紅茶を飲み砕けたティーポットの持ち手を手に乗せる。人でなしの傲慢な王子が初めてお茶を煎れてくれた記念にとっておこう。これは癇癪を爆発させそうになった時役に立つかもしれない。

「面白いことなんて何もないんだから少しは楽しませてよ」

 感情がないなんて冗談のようにくるくる表情を変えるニジを思い出してナミは苦笑する。
 手の平で転がしてやろうと計算高く見積もりながら、チョコレートをお土産にしてくれた穴だらけの想いにどうやって向き合っていこうかと白磁の取っ手を撫でながら考える。


 終

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ