そのオトコ、甘党につき

□第四章 フェアリーケーキの魔法
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定休日。あさひは連絡を受けて、とある老舗ホテルへ向かっていた。

「あさひ、ここよ」

エントランスを入って目的の人物を探していると、カフェ&デリスペースのほうから声をかけられた。

いかにもキャリアウーマン、という出で立ちの女性がコーヒーカップ片手に手を軽く振っている。あさひの親友、春霞だ。

あさひは少し早足で、彼女の元へ急ぐ。

「ごめんね、ちょっと遅くなっちゃった?Rホテルのロビーラウンジでアフタヌーンティーしようなんて急に言うんだもん。支度に困っちゃって…」

春霞の事だから余裕をもって待ち合わせ時刻を決めただろうとは思うものの、あさひ自身、あまり遅刻を好まない性質のため焦ってしまった。

「ドレスコードはカジュアル・エレガンスでしょ?仕事用のスーツでもいつも何も言われないわよ」

「春霞のスーツは高級ブランドのものでしょ。でも私の普段着って…。考えてもみて。あの格好にスッピン、て訳にいかないでしょう…?」

「…まぁ、そうね」

春霞は仕事柄、高級ホテルにも出入りする事が多い。だから慣れているかもしれないけれど…あさひにとってはまだまだ敷居の高い場所だ。

普段着で気軽に入れる場所のほうが、利用する機会は多い。というか…ホテルのアフタヌーンティーなど、ほとんど縁がない。


格式高いホテルでお茶をするとなれば、たかがラウンジであってもドレスコードがある。

シャツにデニムにカーディガン、というわけにいかないのだ。

あさひは急な誘いを受けてから、待ち合わせまでの短い時間で必死で慣れない化粧道具と格闘した。

コーデが面倒だという理由でツイード素材のAラインワンピースをチョイスし、母の形見のイヤリングをつけた。

一応ヒールのあるパンプスも持ってはいるのだ。だが当然、こんなものを履いて歩くのが苦手である。

9センチくらいのピンヒールで、颯爽と歩く背筋の伸びた女性を本当に素敵だと思う。

春霞など良い例だ。彼女は本当にカッコいい。けれど自分には無理だ。

普段スニーカーで動き回っているあさひには、5センチほどのヒールでも絶望的に足が疲れる。

「コックコートじゃないと落ち着かない。すでに足が痛いし…」

「…あさひも呆れた仕事人間ね。人の事言えないけど。じゃラウンジへ行って早く座ろう?もうすぐ予約時間だから」

春霞が立ち上がり、あさひを伴ってエレベーターへと向かう。

「よく席が確保できたね…ここのアフタヌーンティー、予約取れないので有名でしょ?」

「ちょっとね…仕事で社長に貸し作ったのよね」

春霞があさひに向かってニヤリと笑う。

「御礼は何でも希望通りにするって言うから、今日の午後から明日午前中一杯の臨時休暇と、ここのスイート一泊を要求してやったわけ。御曹司に出来ない事はないってわけね」

「えっ…?」

「断られると思ったから無理言ったのに、あっさりOKだったんだもの。ラウンジも宿泊者枠があるの、利用しなきゃ損じゃない。払いはすべてぼっちゃん持ちなのよ?」

何があったのか分からないけれど、春霞が只者でない事だけはわかった。いや、以前から春霞は只者ではないけれど。

自分の雇い主に貸しを作るって一体…。

「そ、そうなの…」

「あさひが休みだって気がついちゃったのよ。一人でお茶したってつまらないんだもの。急に誘ってゴメンね」

そうは言っているが…

春霞が自分を誘ってくれたのにはそれなりに理由がある事を、あさひはもちろん気が付いていた。

ホテルの提供するスイーツを食べるという事、それは菓子店を営むあさひにとっては大きな勉強の場でもある。

スタイルも、価格設定も、ターゲット層も違うとはいうものの、作り手にとっては、そういった経験というのは多ければ多いほうがいいのだ。

これは、春霞なりの優しさなのだ。照れ屋だから、決して本当の理由を言ってはくれないけれど。

「ありがとう」

「何?お礼を言われるような事はしてないわよ。それに…」

「…?」

「あさひがこのところ変わった理由…じっくりと、聞かせてもらうんだから。ズバリ聞くわ。……オトコ出来たわね?」

「オッ……」

春霞が「ゼッタイ全部聞くからね」という目であさひの顔を覗きこんでくる。

エレベーターがラウンジ階で停止すると同時に、あさひはピタリと固まる羽目になった。




あの日。木崎の前で涙を見せてしまった日の夜。彼は約束通り夕食に連れて行ってくれた。

それ以来、何度か一緒に食事をすることもあるのだ。

彼が選ぶのは気取らないけれど賑やかで、それでいて栄養バランスのよい定食メニューの充実したお店が多い。

栄養不足気味のあさひにとってはそれがとてもありがたかった。

ただ、食が細くなってしまっていて一人分食べきる事が出来ない。

ろくに食事をしないで過ごしてきた事を反省せざるを得なかった。

忙しい彼にしなくてもいい心配をかけてしまう事が申し訳ないとも思うし、一緒にいられる事が嬉しくもあって…

あさひとしては複雑ではある。自分の気持ちを自覚したとはいえ、それを伝える勇気など持てないからだ。

こんな子供、もちろん相手になどしてもらえないだろう。

だから今はまだ、自分の気持ちに気づかないフリをするのだ。

木崎にとって、世話のかかる小娘としてでもいい。彼がそばにいてくれるのならば…。




あの日をきっかけに、もうひとつ変えてみたことがある。

「すべて一人で背負わなくてはいけない」

まずはその気負いを捨てる事にした。

頑なに責任感を背負い込んで、思い込んで…自分で自分を追い詰める事はやめよう。

もっと周りを頼っていいという木崎の言葉に背中を押してもらって、あさひはそれを実践することにしたのだ。


一人ではとても滅入ってしまって遺品整理が出来ない事。

アパートの契約更新が年明けの4月に迫っているから放っておくわけにいかない事。

母をよく知っている人と一緒なら、出来るかもしれないと思っている事。

すべて正直に告げ、都合がつく日でいいから手伝ってもらえないだろうかと春霞に相談してみた。

土日休みの春霞の都合に合わせて、店を休みにするのもやむを得ないと考えての事だ。

弱音をさらけ出すのは怖くて…どんな返事が返ってくるのだろうと身構えた。

けれど春霞はあっさりと

「あ、そう。なによ、もっと早く言えばいいのに」

そう言って、翌週の『HARUNA』定休日には有給を取得してさっさと手伝いに来てくれた。

そしてその日、それをどこからか聞きつけた芙美も家に押しかけて来た。

「どうして私に言ってくれないんですか!私にも手伝わせてくださいっ」

「春霞…芙美ちゃんに言ったのね?」

「何の事?まぁ三人でやれば早いじゃない、月子さんだって賑やかなほうが嬉しいでしょ」

「そうそう、春霞さんの言うとおりですよ」

休みもろくにあげられないのに定休日まで申し訳ないと言ったのだが、芙美はいそいそと片づけ作業に没頭し始めてしまった。

でも…結果的に、三人で良かった。

ワイワイとしゃべりながらの作業は、時には思い出に胸が痛くなっても…涙ぐみそうになっても…孤独に陥る事はなかったから。

春霞の言うとおり、どうしてもっと早くそうしなかったのだろうと思うほどに…あっさりと片はついてしまった。

母の死を…受け入れる事が出来たのかもしれないとあさひは思う。

寂しくて当然なのだと、木崎に言ってもらえたあの日から…心が生き出した感覚がある。

両親共に失ってしまったのは紛れもない事実で、あさひに家族はいなくて、そして決して時間は戻せない。

けれど一人ぼっちじゃないのだ。

春霞、芙美、佐原や、悦子…そして木崎がいてくれる。

甘ったれている事は重々自覚していた。

今は頼るばかりでも…いつかもう一度立ち上がって、それを返せる自分になりたい。


それが出来たなら、いつの日か…木崎に思いを伝えたいとあさひは思っているのだ。


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