そのオトコ、甘党につき
□第五章 紅玉とシナモン
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忙しくしているうちに、いつの間にか紅葉が始まっている。あと二か月もすれば、今年も終わるのだ。
ベランダに設置したウッドチェアに座りながら、木崎は渋い顔で考え事をしていた。
非番の日は、溜めこんだ洗濯と掃除を終えた後…あさひの店に行ってゆっくりするのが楽しみのひとつであった木崎だが…今日はそれが出来ない。
なんと木崎は、あさひから店への接近禁止令を出されたのである。
『…今日、お店に来ないでくださいね』
今朝の事だった。店まで送ると言った木崎の申し出を断ってあさひは下を向いたままドアを開けた。
そしてその際、こう言ったのである。
いつも木崎の訪問を嬉しそうに大歓迎しているあさひが突然、しかも深い仲になった途端である。
『は…恥ずかしくてっ!普通にしていられませんからっ…!お願い。今日はお店には来ないでくださいっっ!!』
『……』
なぜなのかとしつこく問いただすと、予想外に可愛すぎる返事が返ってきたため、木崎は軽くダメージをくらって無表情のまま頷いてしまった。
この娘は早朝、恥じらいつつも自分を誘ったのと同一人物であろうか。
顔を真っ赤にして目を潤ませて懇願するあさひを、木崎が再び玄関に押し倒しそうになったという事実は……勿論彼だけの秘密である。
というわけで、木崎はベランダで日光浴しているのである。
ちなみに…日光浴のお供は缶コーヒーでなく、つぶつぶ入りのしるこドリンクの缶であった。
◆
あさひは、あの約束を覚えていなかった。
『一人にしない』
ああ言った時、木崎はもう覚悟を決めていたというのに。
しかし彼女は、誰でもいいから甘えたいというようには見えなかった。
自分だから、甘えたのだと自負している。
一人にしないでと自分を見つめるあさひの瞳には、確かに自分への恋心が見え隠れしていたのだ。そこらへんは年の功である。
昨夜、何か勘違いしているあさひに真相を明かそうかとも思った。だが結局、木崎は黙っておく事にした。
聞けば初めてのキスだったという。酒に酔っぱらって記憶にないなんて…なんとなく可哀想な気がしたからである。
何がなんだかよくわからないまま他人の家の、しかも玄関で無理やりされたキスでもちょっと可哀想な気がするが…それは考えない事にした。
顔は怖くとも、木崎だって三十超えた立派な大人。それなりに恋愛経験もある。
今までの相手は恋愛にこなれていて大人な感じのタイプがほとんどであり…そして皆、木崎の仕事の忙しさと甘党ぶりに愛想を尽かして去っていった。
それならそれで、仕事に打ち込むだけだった。正直、女は面倒で煩わしいとすら思っていた時期もある。
だが、あさひに出会ってしまった。人の事を言えないが、彼女は変わっている。
最初っから木崎の顔の怖さを指摘したくせに、自身は木崎を怖がるでもない。
ニコニコと木崎に甘い物を振る舞い、父親や佐原の影響があるからだとは思うが刑事である木崎の不規則な生活にも特に思う所はないらしい。
彼女のすべてを知ったわけではない。だがこうなった今、ストンと納まるところに納まった…この不思議な感覚はこれまでに感じた事のないものだった。
出逢って数か月しか経過していない。ゆっくり進めていこうと思っていたというのに、木崎の理性はあさひのあのピュアな告白の前にあっさりと崩れ去った。
あの色気は反則だろうと木崎は思う。
あの娘は自分の持っているものを知らなすぎるのだ。知らないから無意識にフェロモン大放出…してしまうのだろう。
放っておくのは危険だ。間違いなくどこぞの誰かに掻っ攫われる。
あさひを名実ともに自分のものにしてしまいたい。つまり結婚してしまいたい。
木崎は昨夜、唐突に決意したのだった。
どうにもこうにも突っ走っている。
さすがにドン引きされそうなのであさひには黙っているが、木崎は本気だった。
だがまず、自分の目論みどうこうは置いておくにしてもである。自分達の関係を知らせなければならない人物がいるのだ。…佐原である。
自称、ではあるが「あさひの父親がわり」の佐原に黙っているわけにはいかないと、生真面目な木崎は考えていた。あさひと共に、佐原家を訪れなければ、と。
佐原のこれまでの言動から考えれば、なんとなく気づいている節がないでもないし、もしかしたら二人をくっつけようとしているような気もしないでもない。あの人はわからないのだ。
昔、もう引退した先輩刑事が言っていた事を思い出す。
『娘が刑事と結婚したいなんて言いだしたら、俺は命をかけて阻止するね!』
自分が刑事であるがゆえに、家族にかなりの苦労をかけた。
身を以って知っているからこその言葉だった。
妙に重みがあった。木崎には娘どころか子供どころか妻すらいなかったくせに、ウンウンと頷いてしまったくらいだ。
(さて、佐原さんがこのパターンで来たら…どうすっかなぁ…)
秋特有の高い空を眺めながら、木崎は久しぶりのゆっくりした時間を過ごしていた。