そのオトコ、甘党につき

□第六章 スイート・ホーム
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あさひのアパートを出た後、木崎はタクシーが通る大通りまでの道をめちゃくちゃ怖い顔して歩いていた。

無論、暗い夜道に怪しい人物がいないかチェックする事も忘れない。

こんな暗がりで誰かとすれ違えば、自分のほうが通報されかねない恐ろしい顔をして…木崎は神経を集中させながら歩く。

だが、あさひのアパートを振り返る事はない。

だからあさひが自分の背中を切なく見つめている事には、気づかないままだった。




例えば──、身内が事件に巻き込まれた場合、捜査からは外れなければならないといったルールがある。

身内が危険に晒されれば当然私情にかられて冷静な判断が出来ない為だ。

実際そういったケースで帳場から外され、歯噛みしながら見守るしかないという状況の刑事を木崎は何人も見てきている。

だが、これまで木崎は「感情など、押し殺せば済む事だろう」と思ってきた。

自信があったのである。事件なのだから自分の事は後回しにするのが公僕としての義務だ、自分は私情など挟まない、と。

だがそれは、そう簡単な事でもないのかもしれないと、考えを改めざるを得なかった。


あさひに届けられた白い封筒。そして彼女に気持ちを伝えてきたという男の存在。

それを聞いただけだというのに、いきなり私情を挟みまくってしまったからである。…身内でもないのに。

自分に呆れながらもなるほど感情のコントロールが難しいとはこういう事かと、どこかで納得してしまう。

告白して断られすぐに嫌がらせを開始する。そんなわかりやすい事をすれば、真っ先に疑われる。取引先の人間だという事情を考えても、可能性はゼロではないが低いとすぐに思ったのだ。

だが木崎はあさひにはそれを告げず、逆に疑わしいような言い方をして無駄に怖がらせた。

封筒の送り主についての見当はつかなかったが「うらぎりもの」という簡潔な文面は、どこかで見た記憶があった。

たぶん、過去に自分が担当したか関わった事件だろうと瞬時に考えた。

関係があるとは言い切れないが、違和感を持ったなら放っておいてはいけないというのは木崎の信条だ。

鑑識に話の通じる奴が誰か残っていれば、封筒の指紋照合ぐらいはしてくれるだろう。

気にかかる過去の捜査資料を確認しようと思い立ち、木崎はあさひの家を出てすぐに本庁へ向かったのである。

怖くないと言ったあさひの言葉など信じてはいなかった。

だがそれでも、木崎はあさひを一人にしたのである。





木崎は渡辺のデスクの上に置かれた渡辺が貰った渡辺の菓子をまるで自分の物のように勝手に食べながら、資料を読み込んでいた。

その行為の名を窃盗という。

警察官の癖に、やっている事は泥棒である。

だが木崎は悪い事をしているなんて、これっぽっちも思ってやしなかった。

「ああそうだ…この前の暴行殺人の参考にしたケースだったな…」

アルファベットの印字されたチョコレートを口に放り込みながら、木崎は捜査資料をめくる手を止めた。

うらぎりもの

まだ手元にある、あさひから預かった手紙を拡げて見比べる。

鑑識にはもう人が残っていなかった為、指紋採取と照合は朝一で頼む事にしたのだ。

メールと封書の違いはあるが同一文なのが気になる。もっと気になるのは、犯人がまだ捕まっていない点だった。

一瞬、胸騒ぎともいえぬ予感が胸をかすめる。

だが木崎はそれを、さすがに考えすぎだろうとやり過ごした。

そもそも、なんだかわけのわからない封筒が3、4通届いたぐらいで警察は動かない。

事件とみなさないからだ。

だいたい、個人的な事情で刑事が動くことも本来ならば禁じられている。

単独行動もダメだ。常に情報を共有し、お互いを監視し合う為にバディがいるのである。

だからあさひの為に何かを調べたいと思えば、夜中しかないのだ。だから、あさひを置いてここへ来た。



だがそれは…言い訳なのかもしれない。

木崎はあさひに灸を据えたかったのだ。

もしくは自分が傍にいない事を不安に思わせたかったのかもしれない。

無防備にしているから言い寄られるのだと言いたかったが我慢した。

相手を庇う態度にもイライラしたが、それも我慢した。

困っているのなら何故頼らないのか?

どういうつもりだと怒鳴りつけてしまいそうで、頭を冷やしたかったのも理由のひとつだ。

(こんな時こそ傍にいてやるべきだったんだろうな…)

抱きしめてほしいと怖がっていたのに、さらに怖がらせるような真似をした。

小さな声で待ってと言っていたのに、聞こえないフリをした。

泣いているだろうか。

眠れていないかもしれない。

今回の事で自分は案外独占欲が強く、狭量な人間だったのだと思い知った木崎は、人のいなくなった深夜の捜査一課で一人、深いため息をついた。


(…さて、佐原さんに連絡しとかなきゃな。なんたって父親代わりだ)

あさひに告白したというけしからん男の件は佐原に任せて問題ないだろうと考え木崎はスマホを手に取った。

「「なにぃ!?あさひちゃんがっ?よしこっちは任せとけ!」」

細かい説明を終えると、佐原はそう言って勢いよく電話を切った。

あの様子だと、あさひのアパート前で張り込みぐらいしかねない。いや、するだろう。実際木崎はそこまで計算していた。

やはり木崎はあさひが可愛い。

自分が傍にいなくても、今夜のあさひの安全を確保したかったのである。

そして佐原であれば、木崎の指示などなくても隅々まで調べ上げてくるだろう。


木崎はあさひの家に届けられた封筒の件を、決して軽く考えていたわけではない。

たかが手紙であろうとこれから先、一週間も二週間も続けば立派な脅迫行為である。

オオゴトになる前に自分の出来る範囲で手を打とう、そう考えてはいた。

だがしかし、必要以上に重く考えていなかったのも事実だ。

まさか、翌日…あさひが何者かに連れ去られるなど、木崎は思ってもいなかったのである。


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