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□奮い立たせる
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▽話題にする、の続き



学校でエクボの姿がふと見えなくなって、ああまた師匠のところにでも行ってるのかなあなんて。その時はまるで気になんて留めていなかったのに。エクボが視えるようになったことをとても嬉しそうに話す名無しのさんを見た瞬間、エクボの口から名無しのさんの名前を聞いたその瞬間に、ふたりが僕のいない間に一体何をしていたのか、何故か急に知りたくて仕方がなくなってしまった。そわり、胸がざわつく。


「そうだ名無し、お前さんに話したいことがあるんだが」
「……っ」
『あ、はい!なんですかエクボさん』


僕が黙ったままなのを不思議に思ったのか名無しのさんは気遣わしげな様子でこちらを窺ってくれていたが、エクボに呼ばれ弾かれたように顔を僕から逸らしてしまった。僕も声のした方へ目を向ければ、少し離れたところに浮いているエクボが彼女にちょいちょいと手招きしていて。すると名無しのさんはそのまま僕に背を向け、何の躊躇いもなくエクボの方へ足早に駆けていってしまう。牛乳の入ったビニール袋がガサリと音を立てた。手元へ再び視線を落とせば、どうやら無意識のうちに強く握っていたらしい。牛乳を貰って確かに嬉しかったはずなのに、今は何も思わなくなってしまった。そのまま袋の中の紙パックをぼんやりと眺めていれば、僕の肩に手を置く人物がひとり。師匠だ。


「どーしたんだよモブ、やけに元気ねえじゃねえか」
「いや、あの……師匠、」
「ん?」
「……名無しのさんとエクボって僕が来るまで何してたのかなって、思って」
「なんだ、気になんのか?名無しのこと」
「……」


そわり、まただ。名無しのさんの名前を耳にする度に言葉で言い表せないような謎の焦燥感が胸を蝕んでいく。経験のない感覚に思わず手を胸に当ててみるが、心臓はいつも通り規則的に動いている。しかし師匠はそんな僕の背中を突然思いきり叩いてきて、当然ながら体は前のめりになり数歩前に出てしまう形になった。これには向こうで話していた名無しのさんたちも気付いたようで、顔を上げれば目を丸くした名無しのさんと視線がぶつかって思わず顔を逸らしてしまう。本当はこんなことしたくないのに。


「いいかモブ。男ってのはそんなことでウジウジしてないで、言いたいことがあるなら相手に直接伝えるもんだ」
「おーおーなんだシゲオ、さては俺様とコイツが何しゃべってたのか知りてえんだな?」
『えっ、そうなのモブくん?』
「……」


名無しのさんの問いかけに僕が小さく頷いて肯定すると、彼女は嬉しそうに微笑んで『私たちずっとモブくんの話してたんだよ』と教えてくれた。今度は僕が目を丸くする番だった。ね、エクボさん!彼女がエクボに同意を求めれば「俺様もさっき同じことを言ったんだがなァ」とエクボは若干呆れた表情を僕に向けてきたけれど今はそれどころではない。名無しのさんのその言葉を聞いて先程までの不鮮明な蟠りが嘘のように消え、ほっとした気持ちと嬉しいという気持ちが胸を満たしていった。じわじわと頬が熱くなるのがわかる。すると名無しのさんは『それとね、』と少しはにかみながら口を開いた。


「助けてくれたお礼にモブくんの言うことを何でもいいから一つ聞こうって、今エクボさんと決めてたところだったんだ!』
「え……?でも、もう牛乳貰ったし」
「命の恩人に牛乳パック1個はさすがにあり得ねえだろ」
『そうそう!それじゃ私も納得できないし、何かいいものないかなって思ってたらエクボさんが提案してくれたの!だからさ、」


願いごと何でも叶えちゃうよモブくん!!!と両手を広げて言い放った名無しのさん。そんな彼女を前に僕はただただ狼狽えるばかりだった。僕の願いごとを叶えてくれるなんてそんなの申し訳なさすぎるし、それ以前に唐突すぎて何も浮かばない。しかし一方で両手を広げながらにじり寄ってくる名無しのさんはいつもみたいに瞳を爛々と光らせていて、思わず後ずさるもまたもや師匠に背中を押されてしまい更に前へ出ることになってしまった。


「ほらモブ、千載一遇のチャンスじゃねーか。JKパワーの一つや二つ貰って来いよ」
「い、いやでも……」
『何でもウェルカムだよモブくん!!!』
「貰えるもんは貰っておいた方がいいって。名無しもこう言ってんだし」


そわり。さっきの名無しのさんの言葉で完全になくなったと思っていたはずの違和感が再び胸に芽生えて、そこで僕はようやく理解した。僕はずっと、彼女と親しげに話す2人が羨ましかったんだ。そして同時に浮かんだお願いは年上である彼女に対して失礼になるかもしれないし、いざそれを言葉にするのはものすごく勇気のいることで。
それでも、師匠の言っていた“言いたいことを直接相手に伝えられる”男に僕もなってみたいと、そう思ったから。


「……名前で呼んでも、いいですか」
『、え?』
「師匠やエクボみたいに僕も、……名無しさんって、名前で呼びたいです、」


体じゅうが熱くて仕方ないし、顔だってみっともないくらいに真っ赤だと思う。規則的に動いていたはずの心臓がいつの間にかうるさくて呼吸をするのもやっとだ。ぎゅっと目を瞑りながら彼女の返答を待っていると、しかしながらいつまで経ってもその声は聞こえなくて。もしかして駄目だったのかもしれないと熱かった顔がサーっと引いていくのを感じながら恐る恐る瞼を開ければ、何故か放心状態の名無しのさんと目が合う。すると僕を捉えた彼女の顔がみるみるうちに赤く染まったかと思えば、やがてその場に泣き崩れてしまったのだった。それは彼女が車に轢かれそうになった時と同じくらい背筋が凍りついた瞬間だった。


モブを奮い立たせる
(ぼ、僕が、泣かせて……!)
(落ち着けシゲオ、こりゃ嬉し泣きだ)






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