短編

□先生の様子がおかしい件@
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『ジェノスくんジェノスくん』
「……? どうかしたのか」


バシャバシャと皿を洗う音が響く。キッチンで私はジェノスくんと二人、肩を並べていた。私が洗った大量の皿をジェノスくんが手際よく拭いていく。その過程をぼんやりと眺めながらも、私の心はもやもやと霧がかかったように不鮮明で。
その理由はたった一つ。私は目の前へ視線を送った。


「何だ、またサイタマ先生のことか」
『うわああっ、声が大きいよジェノスくん!』
「っ、おい、泡のついた手で口を塞ごうとするな」


何の前触れもなくジェノスくんの口からズバリとその人の名前を言い当てられてしまって、私は慌てて手を伸ばしたが呆気なく手首を掴まれてしまった。(頼むから大きな声は出さないでくださいジェノス様、心臓に悪すぎる……!)

――そう。私が頭を悩ませているのは紛れもなく、今目の前で絶賛くつろぎ中なサイタマさんなのである。彼はそんな私の悩みなんて露ほども知らないように漫画を熟読していた。はああ漫画を読む姿もすごくかっこいい。思わずため息がこぼれた。


「……で、今回は何だ」
『いやあの、サイタマさんってさ、その……』
「先生がどうした」
『……彼女さん、いたのかなって』
「…………は?」


私が意を決して声を絞り出せば、しかしながら次の瞬間ジェノスくんのポカンと訳もわからないと言うような顔が返ってきた。あ、ちょっと今の顔レアかも。じゃなくて。


『だから、彼女さん。いたのかなって!』
「何のことだ?」
『ほら、さっきまでいたあの美人さんだよ!』
「ああ、地獄のフブキのことか?アイツはただ懲りずに先生をフブキ組に勧誘しているだけだ。彼女などあり得ん」
『でもすごく仲良さそうだったし……!』
「……あれが仲良く見えたのか、お前は」


ジェノスくんから心底呆れたような視線が突き刺さる。でも私は今それどころではないのだ。私がいつものようにサイタマさんの家を訪れたら、玄関には見たことのない女性の靴があって。そのまま上がれば見知らぬ美人さんがいて。そしてサイタマさんと親しげに話していた。その人は先程帰ってしまったが、私は当然気が気ではなかったわけで。
サイタマさんへ密かに想いを寄せている私はこうやって時々ジェノスくんにひそひそと相談するのだが、ジェノスくんはこの通りまともに相手をしてくれなくて。


『あの人もサイタマさんのこと、好きなのかなぁ』
「いや、あのフブキに限ってそれはないだろう」
『わからないよ、サイタマさんの魅力は天井知らずだよ』
「む、それは一理あるが」
『どうしようジェノスくんんんん』


私は感情のままにぐりぐりと頭をジェノスくんの胸辺りに擦りつける。はああどうしよう、もしあんなスタイル抜群な美人さんがサイタマさんのことを好きになってしまったら、私みたいな凡人に勝ち目なんてこれっぽっちもないじゃないか。もう泣きそうだよ。


「俺は別に心配する必要はないと思うが」
『何を根拠に』


私のその問いには何も答えず、ジェノスくんの皿を拭き終わった手が頭へ伸ばされそのままわしゃわしゃと豪快に撫でられる。ゴツゴツして痛いけど、まるで頑張れと言われているようで少し元気が出た。ジェノスくんまじ偉大です。

――ガシャン!
しかし次の瞬間何かが割れるような音が部屋に響いて、私とジェノスくんは弾かれたように顔を上げた。するとそこにはいつも通りポケっとした顔のサイタマさんがいて。その手には湯呑みが握られて――否、湯呑みが握り潰されていた。
…………え?


『ささささ、サイタマさん!!?』
「っ、先生!?」
「……あ、悪い。力入れすぎた」


困惑する私たちとは裏腹に、ぼんやりと上の空なサイタマさん。どうやったら片手で湯呑みを木っ端微塵にできるのだろう。まぁ隕石でさえも粉砕できる彼ならばそうかもしれないけれど、でも力の入れ加減ひとつでああなってしまうなんてサイタマさんも大変だ。そんなことを考えながら私は床に飛び散った破片を箒と塵取りで片付けていく。


『っ、!!?』


しかし不意に箒を持つ手を掴まれて、私の心臓は大きく跳ね上がった。それはジェノスくんのようなサイボーグのそれではなく、紛れもない人間のそれ。ということは、今私の手を握っているのは。


『さ……サイタマ、さん?』
「…………」


震える声で彼の名を紡ぐ。すると彼はゆっくりと顔を上げて、そしてまっすぐに私を捉えた。途端に私の体温が急上昇する。みあ、見上げられてる……私、サイタマさんに見上げられてる……!!!心の中で大悶絶しつつ、しかしこのままでは心臓がもたないのでジェノスくんにヘルプを出そうと後ろを振り返ろうとした。が。


「おいジェノス、悪いけど新しい湯呑み買ってきてくんね?」
『!!!』


それよりも先に、サイタマさんの言葉が部屋に響いた。
え……ちょっと待っ、え?


「新しい先生の湯呑みですね、わかりました」
「あとZ市のパトロールも頼んだ」
「了解です、先生!」


サイタマさんの申し出にビッと背筋を伸ばし二つ返事で引き受けたジェノスくんは、言うが早いかスタスタと玄関へ歩いていく。
待ってじゃあ私も一緒に湯呑み買いに行く!そう言おうと口を開いたが、まるでそれを阻止するようにサイタマさんの重なる手に力が込められた。とはいっても全然痛くはなくて、その優しさに再び大悶絶しながら彼へ視線を戻したのとジェノスくんが玄関のドアを閉めたのはほぼ同時だった。


『あ……、』


こうして私は、この空間で見事サイタマさんと二人きりになってしまったのである。



先生の様子がおかしい件
(誰か……助けて!!!!)





― ― ― ― ―
後半に続きます。





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