短編

□A
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『あ、あの……サイタマさん?』
「…………」
『とっとりあえず、この破片だけ捨ててきますね……?』


流れる沈黙の中私がなんとか声を振り絞ってそう切り出すと、サイタマさんはようやく重ねていた手を離してくれた。私はホッと胸を撫で下ろし急いで集めた湯呑みの破片をゴミ箱へ捨てに走る。はああ危うく心臓が潰れるところだった……!サイタマさんが座るところから少し離れた場所でバラバラと破片をゴミ箱に流しながら、私は深呼吸を繰り返した。
落ち着け落ち着け、なぜサイタマさんの様子がおかしいのか冷静に考えるんだ。そもそもいつから様子がおかしかった?私とジェノスくんが話していて、サイタマさんが湯呑みを木っ端微塵にして、片付けに入った私の手をサイタマさんが……ああサイタマさんの手大きかったなぁゴツゴツしててすごく逞しくて、うわあああ駄目だ脱線してしまう!!!でもそれよりもっと前からサイタマさんの様子が変だったとしたら、その要因はフブキさんではないだろうか?フブキさんが帰ってしまって、寂しくなって少しイライラしていたサイタマさんは湯呑みを粉砕してしまい、それをジェノスくんに買いに行かせたと。あれ?じゃあ私は?私は何のためにここへ残されたのだろうか。
……もしかして、美人なフブキさんを今後ここへ来やすくするよう、お役御免な私にもう来なくていいぜ的な宣言をするために残されたのでは。あ、それだわ。さっきまでの重い空気完全にそれだわ。確かに好きな人がせっかく自分に会いにきてくれたのに毎回私みたいな女がいたらそりゃあ迷惑な話だよね。どうしよう、サイタマさんに「もうお前来んな」って面と向かって言われたら。そんなことになったら私、明日から生きていける自信がない。こうなったらその死刑宣告の前になんとか自分から出ていくしか……


「おい、」
『っ、うわああああ!!?』


そんな悲観的な妄想を次々と張り巡らせていれば、いきなり背後から聞こえた大好きな人の声。しかも思っていたよりずっと近くで聞こえて、私は思わず持っていた箒と塵取りを床に落としてしまう。しかしそんなことを気にしている余裕なんて勿論あるはずもなくて、私はただその場で固まるしかなかった。私を覆うように落ちる影、つまりサイタマさんは私の後ろに立っているわけで。逃げようも、前には忌々しい壁が立ち塞がっていた。そもそも逃げようとしたところでサイタマさんに敵うはずもないことは火を見るよりも明らかというもので。まあ何が言いたいかって、これはもう一巻の終わりってやつですよね。


『あ……あの、っ』
「ゴミ捨てんのに何分かかんだよ」
『すっすみませ、』


サイタマさんの声が明らかな怒気を含んでいて、一瞬で背筋が凍った。こんな露骨に機嫌が悪いサイタマさんは初めてだ。本当にどうしてしまったのか。もしこれらも全部私が招いてしまったことなのだとしたら、私は一刻も早くここから立ち退かなければサイタマさんの怒りは治まらないのでは。そう考えてそっと玄関の方へ視線を移したが、しかしながら次の瞬間私の視界はぐるりと反転させられそして次に映ったのはなぜかサイタマさんであった。気付けばサイタマさんの手が私の両肩を掴んでいて、そこで初めて自分が壁へ押し付けられていることを認識する。


「逃げんな」
『っ、』
「まだ話は終わってねぇだろ」


サイタマさんの眼がぎらりと光った。さっきまでのんびりと漫画を熟読していた人のものとは思えないその真剣な眼差しに、自然と顔が熱くなるのがわかる。私は慌ててサイタマさんから顔を背けたが彼はそれすらも気に食わなかったらしい。ずい、とサイタマさんの顔が急に近付いて思わず情けない声が出てしまった。こ、これ以上は本当に心臓がもたない!


『あああのサイタマさん、だ、駄目です……!』
「あ?」
『そ、そのですね、こういう壁ドンとかはあの、彼女さんにして差し上げれば大いに喜ばれるのではないかと、思うのですが!』
「…………」
『そ、それこそ私みたいなお役御免な女なんかじゃなくて、もっと素敵なそれこそ今日来てたあのフブキさんみたいな美人でスタイルのいい、』
「名無し」


自分で言ってて虚しくなった。でも私は、ただこの状況をいち早く回避したかったのだ。サイタマさんをこんなに近くに感じてしまったら、もっと好きになってしまったら、余計私は彼から離れられなくなってしまう。だから、こうやって本心でもない言葉をつらつらと並べておけば、解決できるだろうと。そう思っていたのに。

(なんで……っ)
もっと低い声で、もっと怒った表情で、彼は私の名を呼ぶのだろうか。
どうしてそんなに苦しそうに、顔を歪めるのだろうか。
そのすべての原因が自分にあるのだとしたら、一体どうすれば彼はまた笑ってくれる?


「お前、いい加減にしろよ」
『……っ、』


私はどうやら本当に彼を怒らせてしまったようだった。しかしその解決策は未だにわからないままで。にも拘らずごめんなさいという言葉はこんな時に限って、喉に貼りついたまま出てこなかった。
(……これはもう、愛想尽かされちゃったな)
私は堪らずぎゅっと目を瞑った。サイタマさんが今どんな表情をしているのか、見るのが怖かったからだ。まだ怒っているのか、それとも呆れ返っているのか。私は自ら閉ざした視界の中で、サイタマさんの次の言葉を覚悟していた。


『――!!!』


しかし次の瞬間不意に感じたのは、なぜか首筋を掠めたサイタマさんの吐息だった。ぞわりとした妙な感覚に声にならない声が上がる。逃れようもいつの間にか背中にサイタマさんの腕がまわっていて身動きがとれず、そしてそのまま同じところへ今度は柔らかい何かが落とされた。するとすぐにちゅ、と変な音が聞こえて。私は思わず瞑っていた目を見張った。


『っあ、』


柔らかい何かが、やがてチクリとした痛みへ変わる。まるで電気が走ったかのようなその痛みに、私はとうとう頭の中が真っ白になってしまった。
何が、何が起きたの……?状況を一つも理解できずに目を白黒させていれば、ゆっくりと顔を離したサイタマさんと視線がぶつかって。


「お前こそ人の気も知らないでジェノスと仲良くしやがって」
『、え?』
「……その顔、まだわかってねぇな」


つ、と目を細めてこちらを見据えるサイタマさんの表情が普段の彼からは全く想像できないくらいに妖艶で、ぞくりと全身が震え上がった。首筋がだんだんと熱を帯びていくのがわかる。そして今まで機能停止していた思考も徐々に鮮明になっていって。
(サイタマさんは今、私に……、!!!)
しかしそこまで思い出したところで、未だに感触が残るその首筋に再び息が吹きかかった。余裕で固まる私なんて余所に、サイタマさんは今さっき痛みを感じたばかりのそこに、あろうことか今度は舌を這わせてきて。ねっとりとしたその感覚に眩暈すら覚える。既に力の入らない脚ではそのまま立っていることすらできず、あえなく床へ崩れ落ちそうになったのをすんでのところでサイタマさんに抱きすくめられた。まるで心臓を鷲掴みされたような感覚だった。


「これでわかったか」
『さ、サイタマさ、っ』
「……俺にそんな表情向けてくるくせにお前はいつもジェノスにくっついてばっかで、いつも俺がどんな思いしてるか知らねぇだろ」
『……っ、』
「それをお前は彼女だのフブキだのと勝手に変な勘違いしやがって。ほんと、いい加減にしてくれ」


耳元でサイタマさんが低く囁く。しかしその彼の言葉を私は簡単に信じることができなかった。サイタマさんの様子がおかしかった理由は、私がジェノスくんと仲良くしていたから……?でも仮にそうだとしたら、つまりサイタマさんはジェノスくんに嫉妬していたということに、なるわけで。
それってつまり、つまり。


「……俺はお前がいいんだよ、名無し」


そう言って抱きしめる力を強くするサイタマさんに、私はとうとう涙を堪えることができなくなってしまったのだった。



先生の様子がおかしい件
(……で、ジェノス。この湯呑みと共に買ってきたのは何だ)
(夫婦茶碗です、先生!)
(おいこら)
(ジェノスくんは馬鹿なのかな!!!)





― ― ― ― ―
ジェノスくん(19)にサイタマ先生(25)が嫉妬する話を書きたかった結果がこれです皆様すみませんでした暴走しました。よって強制終了です。後編までお付き合いくださりありがとうございました。





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