短編

□敗者への教え
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あの日、影山くんとの決闘に敗れてからというもの、僕は極力日常生活で超能力を使わないようにしていた。今まで超能力という完全装備のもと虚無を演じ続けてきた僕が、突然それらすべてを放棄したのだ。何をやらせても完璧だった偽物の花沢輝気はただの凡人に戻り、勉強も運動も人並みかそれ以下になった。当然ながら僕に対する他者からの視線は明らかに違うものになり、人気者の僕はいとも簡単に姿を消していった。コソコソ。ああまた噂してる。どうせまたこの頭を指しているのだろう。けど別に今となっては気になんかならない。これが本当の僕なんだから。


『花沢くん、おはよう』


――でも、そんな目まぐるしく変わっていった環境の中でたった一人だけ、僕に話しかけてくれた子がいたんだ。


「……おはよう、名無しのさん」


名無しの名無しさん。同じクラスの女の子だけど、直接話したのはつい最近になってから。というのも、以前の僕……超能力をいいように使っていた頃には一度も話したことがなかったのだ。当時僕のまわりには常に女の子が取り巻いていたからね、自慢にもならないけど。名無しのさんはそういったタイプの子ではなかったから、自然と接点はなかったわけだ。けれどもある日、係の仕事なのか名無しのさんがノートの山を重そうに運んでいたのを手伝ってあげて。嫌がるかなと思ったけど彼女はにっこりと屈託のない笑顔を向けてありがとうと言ってくれたんだ。僕はそれが素直に嬉しかった。

それからというもの、僕たちは気軽に話のできる友達……のような関係になっていた。どうしても位置づけが曖昧になってしまうのは、僕が今まで誰とも彼女とのような特別な関係を築いてこなかったからだ。いたのは自分が都合よく扱っていただけの不良たちと、偽りの僕に群がる女の子ばかりだった。今思い返せば本当にくだらないことをしていたと自分が心底嫌になる。彼女と過ごすうちにああ今の方が何倍も幸せだなと、僕はそう断言できるようになっていた。


『花沢くんって、前よりも話しやすくなったよね』


放課後の教室で二人、机を並べて話す。昨日のテレビの内容とか、英語の先生の愚痴とか。今回のテスト危ないかも、なんて。どうってことのない話で盛り上がって、けたけた笑って。こんな当たり前なことが幸せだなんて、超能力を自由に使っていた頃の僕はまるで考えもしなかった。名無しのさんからすればそれはごくごく普通のことなんだろうけれど、僕からすればすごく感謝しているんだ。

そして彼女は大笑いして浮かべた涙を拭きながら、僕に向かってぽつりと呟いた。話しやすくなったねと。最近彼女の言葉一つ一つが、妙にくすぐったく感じるようになった。決して嫌じゃなくて、むしろ嬉しいと思うこの感覚は何だろう。


「……そうかな?」
『そうだよ。前は近寄りがたいっていうか、まあ他の女の子がいたっていうのもあるんだろうけど、そんな雰囲気があったからさ』
「そうだったんだ、」
『あ、でも今は全然だよ。話してすごく面白い人なんだなってわかったし、花沢くんとお友達になれてほんとよかった!』


そう言って彼女はまた屈託なく笑った。
友達、友達か。間違っていなかった僕らの位置づけは、しかしながら確かに僕を傷つけた。あれ、どうしてだろうか。友達と聞いて嬉しいはずなのに。初めての友達のはずなのに。僕はどれだけ欲張りなのだろう。まだ、足りないというのだろうか。強欲は超能力と共に捨ててきたはずだ。それなのに。


『……花沢くん?』


反応のない僕を不思議に思ったのか、名無しのさんが顔を覗き込んできた。どくり。心臓が大きく跳ねて、体は魔法がかかったみたいに動かなくなる。彼女は超能力者でも何でもない一般人なのに、今日の僕はなんだかおかしい。

だってほら、こうやって目線を合わせて心配してくれる彼女に僕はまた苦しくなってしまうのだから。


「……あのさ、名無しのさん」
『?』
「テルって、呼んでくれない?」


僕の愛称なんだ、と。おどけてそう言ってみせれば名無しのさんは少しだけ目を見開いて、それから照れくさそうにその目を細めた。そしてテルくんテルくん、と練習するように何回かその名を口にして、なんかちょっと恥ずかしいね。なんて、そう言ってはにかむものだから、僕は慌てて視線を逸らした。ああもう、駄目だよ。そういうことしちゃあ。


「じゃあ、僕もこれから名無しって呼ぶね」
『え……?』
「名無し。ね、いいでしょ?」


僕たち友達なんだし。と付け足しておいた。今度は名無しが固まる番だった。
「ほら名無し、一緒に帰ろう?」と構わず彼女の手を取って笑いかければ、名無しはゆっくりと頷いて立ち上がる。『テルくんってやっぱり手慣れてるよね』そう小さくこぼした彼女の頬が少し赤い。それがまたおかしくて、やっぱりくすぐったくて。そして何よりも心地いい。


「……そう見える?」


けれども僕がそんな彼女に恐らくそれ以上に赤いであろう自分の顔を向ければ、名無しは目をまんまるにして僕を見て、それから大きな声で笑った。僕もつられるように笑った。

(……ああ、今すごく幸せだなあ)
二度とこの幸せを手放すことのないように、僕はぎゅうっと彼女の手を強く握る。
きっと僕のこの想いは、今よりももっと膨らんでいくのだろう。それは友達という枠を容易に超えていくのだろう。今でさえ邪魔なくらいなんだけど、でもそれよりも初めて本当の僕を見てくれた彼女への感謝の方が大きいから、だからもう少しだけ、このままでいようと思うよ。



敗者への教え
(――僕が我慢できるまで、だけどね)




― ― ― ― ―
突発的に思い浮かんだテルくんのお話。
あのネタキャラ感が堪らなく好きです。特にあの内股。好きです。





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