短編

□A
1ページ/1ページ





──おねえちゃん、すき!
まんまるな瞳をこちらに向けながら抱きついてくる弟の姿が、とても愛おしかった。だから私も彼を優しく抱き締め返しながら『わたしもすきだよ!』と、そう伝えればまた照れたようにはにかんでくれて。守ってあげたくなるくらい可愛いこの弟が、果たしていつまで好きと言ってくれるんだろう。ふと子供ながらにそんなことを考えたことがあった。


「……僕、姉さんが好きだよ」
『っ、』


嫌な予感が確信に変わる。
ああ、中二の弟からまさかその言葉を聞くことになるなんて。しかしあの時聞いた好きと今の好きがまったくの別物だなんてことは、未だに熱くて仕方ない自分の唇がそれをありありと証明していた。心臓も一向に治まる気配がなく、すぐにでも逃げ出してしまいたい衝動に駆られる。けれど、それよりも私がすべきことは、いち早くこの彼の過ちを正してあげることだと考えた。きっとシゲは好きな異性に向けるべき感情を、誤って最も近い異性という存在の私へ一時的に向けているだけなのだ。他人と、特に女の子とはあまり関わりを持たないシゲにとって、それは最早仕方のないことなのかもしれない。だから私はそんな彼の勘違いを指摘し、先程までの彼の言動をすべて笑って許してしまおう。シゲにとってさっきのキスはしばらく黒歴史に残ってしまいそうだけど、それが姉としての務めだ。


『あのね、私はシゲのお姉ちゃんだからその好きには応えてあげられないんだ。シゲが思っている好き、っていうのはツボミちゃんに向けて言うのが正しいんだよ。私たちは家族だからね』


だからほら、早く宿題持ってきて一緒に勉強しよう?それから学校のこととか、大好きなツボミちゃんの話とかたくさん聞かせてよ。今までみたいに、ずっと仲のいい姉弟でいたいよ。
(ねえシゲ、シゲもそうでしょ?)


「嫌だよ、」
『……え、?』
「僕は姉さんしか、好きじゃないよ。この気持ちは間違いなんかじゃない」


強く主張するシゲの言葉が部屋に響く。見れば同じくらい強い眼差しで、彼は私をまっすぐ見つめていた。私は何も言い返すことができずに、その場で立ち尽くす他なかった。また胸が苦しくなる。こんなの駄目だ、だってシゲは私の弟で。弟で。なのに。


「好きだよ、名無し姉さん」
『! 待って、シゲ……っ、』


遠ざけていたはずの私たちの距離を、再びシゲがゆっくりと詰めてくる。私は逃げるように、一歩また一歩と後ろへ下がっていく。しかし脚に突然何かが引っ掛かったと思えば、そのまま私の体は重力に逆らえずに後ろへと倒れ込んでしまった。背中が柔らかいものに沈み、ようやくそこが自分のベッドの上だということに気付く。しまった、私がそう思うも束の間、まるで逃がさないとでも言うようにその上からシゲが覆いかぶさってきた。ギシリとベッドが軋む。この状況は非常にまずい。これ以上は、これ以上は本当に。


『や、やめてよシゲ……!こんなの駄目だよ、私たち姉弟なのに、っ』
「関係ないよ。僕が好きなのは姉さんなんだから」
『っ、だからその好きは、』
「間違いじゃない。ドラマとかで好きな人同士がキスするみたいに、僕も姉さんとそういうことしたい、っ」
『! んっ、』


シゲの吐息がまた近付いて、今度は強引に唇を塞がれる。抵抗しようと肩を押してもびくともしなくて、それどころか両手を掴まれベッドに縫い付けられてしまっては最早何もなす術を持たない。一体彼のどこにそんな力があるというのか。私の知っているか弱くて頼りない弟の姿は、もう既にどこにもいなかった。どくどくと心臓が痛いくらいに打ち付ける。そんな私のささやかな抵抗なんて物ともせず、シゲの柔らかい唇は更に口の端や頬にまで落ちてくる。そして少し下にいったところ、顎から首筋にかけてもするすると唇をあてがわれて私の体が大きく跳ねた。途端に目の奥が熱くなり、やめてと訴えるようにシゲに視線を向ける。しかしシゲはそんな私を見てやめるどころか、いっそう頬を熱っぽく染めあげては姉さん、と声を湿らせた。その妙に艶かしい声色に私の訴えが逆効果であったと知り目を見張るも、次の瞬間には再び唇を塞がれてしまう。くっつけているだけでは物足りないのか、何度も唇を擦り合わせてくるシゲにどうしようもない羞恥が私の身を蝕む。今にもシゲの熱がうつってしまいそうで、呑み込まれそうになる理性を私はどうにか奥歯で噛み込んだ。


『シゲっ、も、ほんとに、もうやめて、っ』
「……名前で呼んでよ、姉さん」
『、え……?』
「シゲじゃなくて、ちゃんと名前で呼んでほしいんだ」
『っ、や、だよ……そんなの、』


私は首を横に振った。だってそんなの、もし私がシゲの名前を呼んでしまえばそれこそシゲの想いを受け入れることになると、なぜかそんな気がして私は固く口を結ぶ。しかし僅かに眉を下げながら「お願い、」と再度彼が哀願してくるものだから、私は思わず息を詰まらせてしまった。シゲのこの表情に私が弱いことを知ってか知らずか、彼は私に劣らないくらいの涙目でこちらを見つめてくる。強く閉ざしたはずの口元が、徐々に緩んでいくのが自分でもわかった。駄目だ駄目だと心が叫んでいる。しかし一方ではじわりじわりと侵食してくるそれが決して嫌ではないのだろうと、そう誰かが嘲笑った。涙が込み上げて、視界がゆっくりとぼやけていく。そして大好きだったはずの"弟"の顔も、遂には見えなくなってしまって。


『しげ、お』
「うん……ありがとう、名無し」


ああ、きっともう貴方が私を姉さんと呼ぶ日は来ないのだろう。やがてぽつりと涙が一筋、私の頬を伝っていった。けれど縋るようにまた口付けを落としてくる彼にはそんな私の想いなど、当然見えているはずもないのだ。



好きを越えた日




─ ─ ─ ─ ─
す、すみませんでした……(土下座)
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました…!




[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ