短編

□チョコレートのゆくえ
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小学校中学年頃から始まった、友達に自分の作ったチョコを配りまわるというバレンタインデーという名の毎年恒例であった儀式が、今や中学3年生を目前にして終わりを告げようとしていた。いや、実際には友達にもあげるのだが、今年は他の子のものよりも一回り大きく且つ完成度の高いチョコを作らなければいけないことになった。しかし本命チョコだと堂々と明言するにはいささか憚られて、『今年だけ、今年だけ特別だ』と自分の中で言い聞かせそれでもやはり他のものよりも豪華な包装紙まで使い、気合を入れてラッピングを施してしまった次第である。その様子を見ていたお母さんはニコニコと嬉しそうに笑いながら「ついにうちの子にも春が来たのかしらねえ」と溢した。しかしこのチョコを渡す相手が“ヒト”ではないことを知ったら、お母さんはどんな反応をするのだろうか。私は曖昧に笑って返した。


『あ、あの、モブくん!』


バレンタインデー当日、放課後私は意を決してクラスメイトのモブくんこと影山茂夫くんに声をかけた。仲の良い友達である彼に話しかけることすらままならないのは、チョコを渡す張本人が彼の近くにいるはずだから。ごくりと唾を飲み込む。


「なに? 名無しのさん」
『も、モブくんこれ、チョコどうぞ!』
「え、え、僕にもくれるの……?」
『うん、モブくんにはいつもお世話になってるから』
「あ、わわ、ありがとう……!」


チョコを受け取り感動したように顔を輝かせるモブくんにほっと胸を撫で下ろす。まずは第一関門突破だ。私は横目で、モブくんの右肩あたりを盗み見る。心臓の音が速くなるのを確かに感じながら、私はバッグの中にある包みに触れた。


『今日は、さ。エクボさん、いる?』
「あ、うんいるよ。僕の頭の上でふよふよ浮いてる」
『そっ、そうなんだ』
「どうかしたの?」
『……っ、じ、実はさ!エクボさんにもチョコ作ってきたんだけど、よかったらた、食べてくれるかなって思って!』


彼がそこにいると知った途端、顔が熱くなって空気も上手く吸えなくなってしまう。それでも何とか口を動かして、私はバッグからそれを抜き取りモブくんの前へ差し出した。
そう、私は霊体であるエクボさんの姿を視ることができないのだ。にもかかわらず私が彼の存在を知っているのは、以前不良に絡まれていた私はヒトに憑依したエクボさんに助けて頂いたことがあるから。あの日からずっと私の片想いは続いている。形の無いはずの彼に、私は不毛にも恋をしてしまったのである。けれどそんな彼が果たしてチョコを受け取ってくれるのだろうか。私は震える手をなんとか抑えながらモブくんの答え、正しくはエクボさんの返事を静かに待つ。するとしばらく上を見ていたモブくんは僅かに眉を寄せ、やがて私の方へ気まずそうに視線を移した。淡い期待は音もなく崩れ去っていく。


「エクボ、霊だから食べ物は口にできないって……ごめんって言ってる」
『あ……そっか、そうだよね、』
「ごめん、」
『っ、なんでモブくんが謝るの!霊がチョコなんて食べられるわけないもんね、私ってばすっかり忘れてたよ〜!エクボさんには感謝の気持ちだけ受け取ってもらえれば十分だからさ。引き留めてごめんね、それじゃあまた明日!』


ついつい口調が矢継ぎ早になってしまうのは、一刻も早くこの場を離れたかったから。ああ、断られてしまった。そもそも形を持たない霊にチョコをあげること自体間違っていたのだと、今になって後悔しても既に遅い。恥ずかしさを取り繕うように笑顔を貼り付け、私は何の意味もなくなってしまったそれを両手で抱えながら教室を逃げるように飛び出した。教室を出たあたりで「あ、ちょっと!」というモブくんの慌てたような声が聞こえたが、それは私に向けた言葉だったのだろうか。当然ながらそんなことを思考する余裕すらなく、私は無我夢中で走った。


『……ほんと、馬鹿みたい』


帰宅しすぐさま自分の部屋へ直行した私はカバンを放り投げ、抱えていたエクボさん用のチョコも乱暴に机の上へ置いた。綺麗にできたはずのラッピングも、見れば見る程に虚しくなるだけで。食べられないにしても、せめて受け取るくらいはしてくれてもよかったんじゃないのか、なんて。そんな風にしか捉えられない自分が嫌になる。つまりエクボさんにとっての私は、たったそれだけの存在であったということで。そんなの、深く考えなくてもわかっていたはずだったのに。


『でも……初めての、本命チョコだったんだけどなあ』


はは、と乾いた笑い声とともに吐き出した言葉はやがて夕日に溶けて消えていく。本当に、本当に彼のことが大好きだったんだ。少し荒っぽい口調の中に垣間見える確かな優しさも、余裕を感じさせる悠然とした態度も、彼のすべてに惹かれてしまった。助けてくれたあの瞬間から、彼を忘れる日なんてなかったのだ。しかし当然のように彼を目にすることも触れることも許されない私は、ただひたすらにこの想いを募らせることしかできない。チョコのような固形物なんて意気込んで用意したところで、今日みたいに結局は何の意味も成さなくなってしまうのだから。

(……くるしい、)
とうとう我慢できず落ちた涙が一粒、静かに頬を伝っていく。そこで私の意識は途切れた。



***

この感覚、少しの間寝てしまったんだと思った。けれども再び目を開けた私の体はベッドへ横たわってはおらず、なぜか自分の机の前に立ち尽くしていた。まさか立って寝ていたなんて考えられないし、一体どうなっているのか。しかし意識が徐々に鮮明になってくると同時に視界へ飛び込んできたその光景に、私は思わず絶句した。
なぜならエクボさんに渡すはずだったチョコが机の上でラッピングから綺麗に剥がされ跡形もなく消えていたからだ。そして更に驚くことは、その光景を目の当たりにした瞬間自分の口内に広がった甘くてほろ苦いチョコの味だった。作る際何度も味見をして確かめたのだから間違えようのない、彼の為に作ったはずのそれ。突然の事態に開いた口が塞がらない。あまりのショックで無意識のうちにチョコをやけ食いでもしてしまったんだろうかと、そこまで考えたところで、私は剥がされた包装紙と一緒に置いてある紙切れに気が付いた。


『……!』


手に取って見てみれば、そこには私のものではない豪快な字で「うまかった」と、一言そう綴られていた。まさかと思い背後を振り返る。いつもと変わらない自分の部屋の風景がじんわりと歪んだ。


『エクボさん、いるの……?』


返事はない。けれど涙が溢れて止まらなかった。
好きです、大好きなんですと、私はこの空間にいるかも定かではない、形の無い彼に向かって何度も繰り返す。すると不意に不自然な風が吹き抜け優しく頬を撫でた。まるでここにいるぞとでも言っているかように。そして同時に額へ落ちた熱は、果たして彼からの返事として都合よく受け取ってもいいのだろうか。



チョコレートのゆくえ
(なあシゲオ、あいつのチョコ俺様にも一口くれねえ?)
(嫌だよ。自分だって結局名無しのさんから貰ったチョコ食べたんでしょ)
(そうだけどよォ)
(そんなに好きなの?チョコ)
(……、まあな)



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同夢サイトの櫻様が企画してくださった『モブサイバレンタイン企画』に、恐れながら私も参加させて頂きました!このような場を設けてくださって本当に感謝しております。半日クオリティで大変申し訳ないです……エクボ様難しい。参加させて頂いた企画ページはこちらからどうぞ!



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