くそう、また今日も駄目だった。私は無様にも床へ這いつくばりながら自分の失敗に臍を噛んでいた。例のごとく私の教育係である島崎さんに気付かれぬよう後ろから不意を突こうとしたものの、残り僅か数センチといったところで難なく躱されてしまいこの有様だ。そして勢い余って倒れ込んだ私の背中へ何の躊躇いもなく腰を下ろした島崎さん。女の上に座るなんていつもの紳士的な物腰からはまるで想像もつかない粗暴さである(もとより私を女としてなんて見ていないんだろうけど)。
「今日はどうして飛びついてくるような真似をしたんです?これじゃあ躱された後は敵に背中を狙ってくださいと言っているようなものだ。こんなふうに、ね」 『ひっ、!』
そう言って私の背中へ跨ったまま、島崎さんはあろうことかその背筋に沿ってゆっくりと指を這わせたのだ。予想だにしていなかったアクションとそのくすぐったさに思いきり体を仰け反らせれば、上からまた可笑しそうに笑われた。性悪すぎる。そしてようやく気が済んだのか島崎さんが私から離れてくれたので、私はすぐさま立ち上がり彼と一定の距離を取った。本当にこの人は何を考えているんだ。全くもって理解ができない。
『……、勢いをつければいけると思ったんです』 「まったく、その根拠のない自信はどこからくるのやら」 「で、でも!峯岸さんには通用したんですよ!」 「……は?」 『だから島崎さんにももしかしたら、って思ったんですけど』 「…………」 『すっ、すみません。考えが甘かったです』
同じ5超の一人だし、これならいけるかもと思って挑んでみたがやはり島崎さんには敵わなかったわけだけれど。それにしてもおかしいな、ここは島崎さんの部屋だが若干さっきよりも空気が薄くなった気がする。見ればいつも上向きなはずの口角が下がっていて、思わず冷や汗が流れた。やばい、これは怒らせてしまったかもしれない。
「で、峯岸はなんと?」 『え、えっと、急に驚かせるな馬鹿と怒られて頭を叩かれました』 「それで?」 『そっ、それだけです』 「…………」
基本笑みを携えている人が急に真顔になるとき程怖いものはないと思う。再度すみませんと謝ったものの島崎さんの表情は変わらなかった。けれど峯岸さんにはちゃんと謝って許してもらったし、彼を怒らせた理由がどこにも見当たらないのだ。相当機嫌が悪いのかといえばついさっきまで笑っていたわけだし、考えれば考える程わからない彼の思考回路の読めなさにはほとほと困ってしまう。訪れた沈黙の中ひたすらに頭を抱えていると、しかしながら目の前にいたはずの島崎さんの姿が不意に消えて。
「君のやったことはつまり、こういうことですよ」
そして次に声が聞こえたのは私のすぐ後ろで。しまったまた締め上げられる、そう覚悟した私はしかしながら、次の瞬間島崎さんによって上から覆いかぶさるように抱きすくめられていた。あまりに信じ難いその事実に最初何が起こっているのか理解できなかったのが、背中越しに感じる熱とその腕の力の強さのせいで一気に現実へと引き戻される。自覚した途端顔がこれ以上ないくらいに熱くなって、心臓も派手な音を立てて騒ぎ始めた。これは、これはまずい。
『し、島崎さん!!!』 「こうして後ろから抱きつかれる気分はどうですか?」 『どうですかって……!は、離してほしいです、っ』 「おや、それはどうして?」
そんなの恥ずかしいからに決まってるじゃないですか!そんな思いも込めて身を捩るも更に強く抱き締められて叶わなかった。しかも一層島崎さんと密着する形になってしまって、吐息が耳元を直接掠め思わず息を詰まらせてしまう。それを聞き逃さず敢えて囁くように「どうかしましたか?」なんて聞いてくるこの人は本当に性格が悪い。
「峯岸は大して親しくもない、ましてや下っ端である君にこんなことをされてどう思ったでしょうねえ」 『っ……嫌だったと、思います』 「そうでしょうね、私だったら虫唾が走ります」
ですから今後二度とこんな馬鹿な真似はしないように、そう言って島崎さんはようやく腕を離してくれた。極度の緊張から解放されたためか足に力が入らず私はそのまま床へと座り込む。その様子を見た島崎さんは満足したように笑みを深め、そして自らも屈んで私の顔を覗き込んできた。先程までの殺伐とした空気では決してないはずなのに、どうしてか息が苦しくて仕方ない。
「目に見えずとも、君の反応は手に取るようにわかる」 『っ、』 「本当、癖になりますね」
そう言って島崎さんは右手を伸ばし、まるで私の熱くなった頬を確認するかのようにゆっくりと指を滑らせた。その表情はいつになく楽しそうで、そんな彼を私は何故か直視できずに呼吸は一層苦しくなるばかりだった。
(あ、あれ……?) そしてぎゅっと心臓を掴まれたようなその妙な感覚に、私は確かな違和感を覚えるのだった。
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