短編

□03
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「そこの貴方、ちょっといいですか?」


私と島崎さんは海外旅行中のボスの命により、外で不穏な動きがないか確認、または優秀な人材がいないか調査するため街を歩いていた。そしてある程度見回ってそろそろ本部へ戻ろうかというところで突然声をかけられ、私達は足を止める。見ればスーツを身に纏った七三分けの男の人が立っていた。この場合の貴方、というのは私ではなく十中八九隣に佇む島崎さんのことだ。影が薄く地味な私とは違い島崎さんの人気はどうやら外へ出ても一緒のようで、先程から美人なお姉さん達に声をかけられては断るを繰り返していた。島崎さんからすれば異性から声をかけられるなんて悪い気はしないのかもしれないけれど、巻き込まれるこちらの身にもなってほしい。しかもその美女達は横にいるはずの私に一度も気付くことがなく島崎さんの腕を引っ張っていくものだから何度はぐれそうになったことか(一回ハイヒールで足踏まれたし)。そして今声をかけてきたこのスーツの男性の目にさえ私は映っていないのだろう。もう慣れっこだが、肉体的にも精神的にも疲れて私は一刻も早く帰りたかったのだ。
げんなりとした気持ちでその男性の様子を窺っていれば「わたくしこういう者なんですが、」とその人は内ポケットから名刺を取り出し、そしてそれを島崎さんに渡してきたのだ。えっこれってもしかして芸能関係のスカウトなんじゃ……?さすが顔だけイケメンの島崎さん!とテレビの中でしか聞かないような出来事に若干興奮しつつその光景を眺めていると、文字が読めない島崎さんは片手でそれを受け取り、私に読めと言わんばかりにこちらへ寄越してきた。なんて手荒な。不服に思いつつもそこへ視線を落とそうとしたが、それよりも先にスーツの男性が嬉々とした表情を浮かべて口を開いた。


「プロのタップダンサーになる気はございませんか!?」
「……、はい?」
「もし興味がおありでしたら是非そちらの番号にご一報ください!!!」
『ブフォ』


ここ最近で一番のパワーワードに吹き出さずにはいられなかった。だめ、無理すぎる。堪えきれずに体を震わせていると、島崎さんが私の肩を掴み次の瞬間人気のない路地へテレポートしていた。あ、これは説教タイムかもしれない。そう思うと同時に島崎さんの大きな手が今度は私の頭を掴んだ。


「私を前にして爆笑するなんて、随分と命知らずですねえ」
「ま、待ってくださ、ひい、これはしょうがな、ぶふっ」
「……」
「タップダンサーの勧誘なんて聞いたことな、っあははは!だめ面白すぎる、っ』


説教タイムだと理解しつつも込み上げてくる笑いに抵抗できない。こんなにお腹が捩れるくらい笑うなんていつぶりだろうか。とりあえず早く止めないと島崎さんに殺されかねないので必死に別のことを考えようとするのだが、タップダンスという衝撃的ワードが頭から離れずなかなか笑いが治まらない。それどころか島崎さんが華麗にステップを踏みポーズを決めている姿の想像が容易すぎて更に腹筋が崩壊した。ひいひいと私が軽い呼吸困難に陥っていると今まで頭を押さえていた島崎さんの手が不意に離れ、すかさずぺしっと頭を叩かれる。しかしながらいつも容赦のない島崎さんからはまるで想像もつかないようなその痛くも痒くもない攻撃に、私は咄嗟に疑問を抱かずにはいられなかった(だからといって痛いのは嫌なんだけども)。


「君のその阿呆みたいな笑い声を聞いていたら怒る気も失せました」
「す、すみません』
「……寧ろ」


そこで島崎さんの言葉は途切れ、しばらくの間沈黙が流れた。一体どうしたのだろう。いつもの彼の雰囲気とは明らかに違う気がして、私は目の前に立っている島崎さんの顔を窺うように視線を持ち上げる。すると同時に島崎さんの両手が私の頬を挟み、そのまま背中を曲げて自分の顔をぐっと近付けた。その距離の近さに思わず息を呑む。


「今まで生きてきて一度も後悔したことなどなかったのですが、ね」
『っ、』
「……君の笑った顔は少し、見てみたかった気もします」


そう言って自嘲気味に笑いながら、島崎さんは閉じられたままの目をゆっくりと開いた。そこに瞳は存在せず、何もかも呑み込んでしまう闇のように真っ暗で。以前は怖いと思っていたはずのその瞳が、今は愛おしいとすら感じてしまうのは何故なのだろう。そして以前にも感じた胸が締め付けられるようなこの感覚は、一体何というのだろう。


「おや……泣いているんですか?」
『!』


島崎さんの指に涙が伝ったのか、指摘されてそこでようやく自分でも気が付いた。本当に無意識だった。私は必死に笑おうとしながら泣いてないことを主張するも、どうしてか声が震えてしまう。意思とは裏腹に涙で視界が霞んでいくなか小さく笑う声がして、そして目の前に映る島崎さんの顔が更に近くなった気がした。


「この私に対して泣くほど笑うなんて、本当に命知らずな部下ですね」
『!や、違っ』
「言い訳は聞きませんよ、」


息がかかるくらいの距離で囁く島崎さんの声はとても優しくて。ぎゅっと目を瞑ればまるで涙を拭うようにして目尻へ押し付けられた柔らかい何か。それが島崎さんの唇だと理解したのは、本部に帰ってシャワーを浴びている最中だった。



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