main

□*恋の花
1ページ/9ページ

室内に響く粘着音。異臭。吐息。
そして自分の喘ぎ声、全てが気持ち悪い。
なんでこんな事やってんだろう、と何度も思う。
だが、今の俺にはこの仕事しかないのだ。
何故なら金がねぇから。
「あざした…」
今夜も後もう少しで仕事が終わる。出て行く客に礼を言い、衣服を整える。その度に溜息が漏れる。
もう俺宛の客は来ないでくれ。
いつもその一心だ。
…しかし、この世界はそんなに甘くない。欲求不満の客は山程いる。しかもこの地域にこのような風俗店は、ひとつしかない。
だから当然、客は毎日絶えずに来る。
「犬塚くん、ラスト一人…お願いできるかな」
「…まじすか」
明らかに引きつった顔の俺から、拒否されるに間違いないと思ったのか、「給料、上げとくから」と其奴は俺を誘惑した。
そしてその誘惑にのった。
金ってこえー。



















*・*・*・
扉が開く。
最後の客だ。
これが終わりゃ帰れる。
「こんばんは」
彼方が挨拶をしたので、一応頭を軽く下げといた。
それにしても、すげぇ真面目そうな…秀才そうな感じの客だな…。こんな奴でもここに来んだな。
「あ、犬塚さん?」
いきなり名前を呼ばれ過剰に反応してしまった。客に名前呼ばれんの久々だからか?いや、初めてか?
「は、はい?」
「あー、んと…しなくていいッス」
あまりの言葉に全身が固まった。こんな客、初めてだ。
「俺、上司に無理矢理連れてこられたんで。やたらとゴリ推しするんスよ、あんたの事。」
「は、はぁ」
「だから絶対一度は経験しろって。んで、来たわけで…。今上司は違う部屋にいる。その間、此処に居させてもらっていいッスかね?出んのめんどいんで。」
「あ、はぁ」
もうなす術がない俺は、ただただ相手の話に耳を傾けるばかり。


話を聞くたびに色々な情報を得る事ができた。客の名は奈良シカマル。俺と同い年らしい。そして俺は、そこそここの業界では人気らしく、先程言ったようにこの奈良シカマルの上司が俺を相当気に入っているとの事。
「それで、いいんですか。奈良さん、折角高い料金支払うのに…」
「別にいいッスよ。つかシカマルでいいです。」
「え、あ…じゃあ、し、シカマル?」
なんだかとても変な気分だ。客を呼び捨て、なんて。
「あ、じゃあ俺も…き、キバで…」
「了解ッス。」
「あと、なんか呼び捨てで敬語とかアレなんで、タメでいきません?」
「…わかった」
なんだかこの人と仲良くなりたいと思った。距離を縮めたいと思った。多分、初めての体目当てじゃない、なんだか特別な客だから。
「おい奈良!行くぞ!早くしろ!」
シカマルの上司とやらが来たようだ。
「あ、やべ…じゃ、また。今日はありがとな」
「お、おう…」
何故だか彼の扉を開けて出て行く背中を恋しく思ってしまった。















*・*・*・*
数日経ったが、俺は彼の事を忘れられなかった。頭の中にしっかりと焼き付いた彼。もう一度会って話したい。
だが、あの日以来彼は店に現れなかった。それもそうだ。彼にとって俺は、上司を待っている間のただの話し相手。もう一度会いたいと思っているのは俺だけだろう。そう何度も自分に言い聞かせるが俺の心からシカマルは消えない。俺の心には根っこの深い深い奈良シカマルという名の花が、しっかりと植え付けられているのだから。それを掘り返して心から消そうなんて、到底無理なのだ。この花が枯れない限り、俺の心からシカマルは消えない。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ