吹きすさぶ風の中で

□序章
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夕日が沈みかける、午後19時過ぎ。

今年の夏が始まりに向かって駆け足になる頃、オフィス街の二車線道路は退社したサラリーマンやOLで賑わい始めていた。
高低入り乱れるビル郡に、会社や上司の愚痴、案件の相談事、社内ゴシップ等の他愛もなくつまらない類いの話し声がごった返す。

その中でも若干小綺麗な「幸野ツーリズム」のビルの21階、私は自分のデスクに向かって資料を纏めるべく、一人パソコンのキーボードをカタカタと叩いていた。
同じ階には誰もいない。もうすでに残業時間で、このビルに残っているのは私と警備員の数人くらいだろう。

「…………ふぅ」

Enterキーを押して、小さく息を吐きながら背もたれに凭れかかる。

社長でさえ既に家で暖かくて美味しい夕飯を食べている。
元女優の妻に、幼い息子と三人できっと笑い合いながら食べている。
断定できるのには理由がある。
……社長は、私の父だからだ。




私は、小さい頃に親に捨てられた。
聞いた話では、とある孤児院の前に、梅雨の小雨降る中で傘を差した揺りかごに入れられて寝息をたてていたそうだ。
揺りかごには、私の名前と誕生日の書いてある紙切れと、センニチコウの花が一輪添えられていたらしい。

それから孤児院で過ごし、物心ついた頃に、引き取り先が決まった。
それが私の両親……幸野夫妻。

夫、優丞は旅行会社を経営する若き天才。普段は穏やかな性格だが、仕事になるとその顔はとても凛々しいものへと変わる人だった。
妻の麗子は元女優。おっとりとした聡明な女性で、今は仲のいい監督の作品にだけ出演する、どこまで行っても演技が好きな、内側から美しい人だった。

二人の間には子供ができなかった。
既に親もない孤独な二人は、家族を欲した。だから引き取るという選択を取った。

――――――二人は、まるで春の木漏れ日のように暖かく、愛してくれた――――

幸せだった。愛情と笑顔に満ちた、絵にかいたような家庭が。
なに不自由なく、自分のためになることは全てさせてもらえたし
勉強だってなんだって頑張れば褒めてくれた。

それでも甘やかすだけではなく、何かに躓いたら黙って立ち上がるのを待っていてくれる、そんな人たちだった。

そんな親を愛していた……―――いや、愛していると、今でも言える……―――

高校一年生の梅雨だった。
私の誕生日に、それは起こった。
家に帰ると母が、幸せそうな笑顔で泣いていた。
父がそれを抱いて泣いていた。
何があったのか聞くと、

「……妹弟ができるよ」

絞り出すような声が聞こえたのを、私は忘れない。

安心と共に、焦りがうまれた。
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