【短編】 鉄血のオルフェンズ
□月光
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仕立てのいい綺麗なドレスを身に纏って愛想のいい笑顔を振りまいたところで、私自身には何の価値も付加されない。
手を差し伸べる人のほとんどが「私」という家具を欲しがり、「私」という地位を求めている。
どの時代でも、女が主役になることはない。
女には力がない。しかも感情的で、情緒不安定だ。そんな生物は規則や義務を最優先に考えるべき「経済を回す仕事」には向かない。
だから女は、社会の支配者にはなれない。
なれたとしても、それはごく一握りの人材。
ほとんどの女は家庭に入り、男の下敷きになり、身体を食い物にされて一生を終える。
私のように。
目立つドレスを引き摺って人目のつかないバルコニーへ出ると、冷たい空気が身体を包み込んだ。
私は薄いレースの生地で覆われた腕をさする。
室内の熱に当てられた頬にはちょうどいい外気だが、末端には少し寒い。
しかし、室内へ戻ればどうでもいい小母さま方の影口や小言を聞かなければならない。
寒さで風邪をひくよりも、そちらの方が厄介だ。
私は持っていたワイングラスの中身を、会場からは見えないようこっそり庭へと投げ捨てた。
空にしたグラスを幅の広い柵の上に置き、両腕で身体を抱くように身を縮める。
この下に人がいても、まぁ私だとばれなければ問題はない。
それよりもこんな場所で酔ってどこの馬の骨ともしれない男とベットに入ろうものなら、私をしかるべき家柄の優男へ生贄に差し出そうとしている父から監禁されかねないのだ。
身体を消費させられるのは嫌だが、生贄になるまで鎖に繋がれて飼われるのはもっと嫌だ。
そうならないためにも、パーティーでは基本的に飲食をしないのが賢明である。
たとえ、大好物のローストビーフがあろうとも。
淑女の好物が肉、だなんて、口が裂けても言ってはならないのだ。
「…お腹すいた」
現在時刻、午後8時ごろ。
帰れるのはおそらく10時を過ぎるだろう。
父はどこかの偉い人と―――確かギャラルホルンのセブンスターに連なる人―――と、なにやら盛り上がっているようだし。
昼食は12時ちょうどに摂った。
あと2時間近く、この空腹に耐えねばならない。
少しだけ、サラダでも取りに行こうか、どこかのテーブルにカプレーゼがあったはず。
そう考えて脇に置いていたグラスを手に持ったところで、視界の左端に白いものが映った。
見れば、花をモチーフにしたケーキが一つ、皿に乗って差し出されている。
いや、確かに空腹だが、何も食べていない状況でこんな甘いものは食べたくない。
わざわざ外まで持ってきてくれた相手の厚意を受け取るべきか悩んでその皿をじっと見据えていると、待ちくたびれたのだろう相手が小さな笑い声と共に声を発した。
「どうぞ、レディ」
言い慣れているのか、随分とすんなり出てきた単語に口元が緩む。
レディ、とは。私の名前を知らないらしい彼は身分が低いか、高いかのどちらか。
低ければ結構だと突っぱねることも可能だが、高ければそうはいかない。
その場合は媚を売っておかなければ、周囲から顰蹙を買うことは必至。それを知った父にも何を言われるか。
私は自他共に認める箱入りだが、人を見る目に関してだけはいくらか自信がある。
これは嘘だらけの社交界で生き抜くために身につけた、私なりの武器だ。他人の嘘を見抜けなければ、たちまち良いように踊らされてしまう。
私は声の主へ視線を合わせ、緩やかに口角を上げる。それと同時に、菫色の髪が私の目に留まった。
ギャラルホルンの一角、ボードウィン家の子息。確か、ガエリオとかいう名だったか。
彼は上質で上品なスーツを着こなし、柔らかい微笑みを私に向けている。左手に持ったケーキの皿は、体格のいい彼には全く不似合いだ。
差し出されている皿を受け取るか否か。
そんな選択肢は私にはなかったようだ。相手が角笛の御曹司だというなら、私のごとき女が断れることなど一つもない。
彼に恥をかかせたとなれば、顰蹙を買うどころか彼のファンからバッシングの嵐が吹き荒れるに違いない。
更に面倒な事に、そのファンは私よりも身分の高いご婦人方だ。
私はグラスを置いてその皿を両手で受け取り、心底嬉しそうな装いで礼を言う。
「ありがとうございます、ボードウィン様」
この人は知っているだろうか。
何も知らない、何もできないような顔して笑う女の多くが、性質の悪い役者であると。
まぁ、それだけ出来のいい顔と地位を持っている男を放っておく女は少ない。そこらじゅうに掃いて捨てる程度はたかってくるはずだ。
だったらこの笑顔が嘘だと、すぐにわかってしまうだろうか。
それはまずい、そこを突かれて吹聴されれば、今後の私の立場がなくなってしまう。
それに、嘘つきだらけの世界で嘘つき呼ばわりされるのは癪だ。
一瞬そんな不安がよぎるが、目の前の男はそんな些細なことなど気にとめない性分らしかった。