【短編】 鉄血のオルフェンズ

□月光
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 「何だ、俺を知ってるのか」

 知らない女がこの社交界にいるものか。

 本気で驚いた顔をするあたり、彼が私の事を舐め切っているのは明白。

 大方、どこかの成金の娘だとでも思っているのだろう。一人でいるのを見かけて、ちょっと興味が出たから話しかけた、といったところか。

 確かに、我が家も元をたどれば単なる成金のポッと出だが、今ではそれなりの地位を獲得している一応の名家だ。

 そんなわけで、私はこのパーティに出席しているお偉いさんからその腰ぎんちゃくまで全員の顔と名前を丸暗記している。

 勉強は嫌いだが、暗記は得意なのだ。

 「はい、もちろんです」

 だからもちろん、いやだからこそ、ギャラルホルン関係者の基本データは全て叩きこんできた。

 誰々の誕生日は、好物は、趣味は、住いは、嫌いなものは……好みの女は。

 「先ほど、ボードウィン様のお父様とも、少しだけお話させていただきました」

 彼には、年の離れた妹がいる。

 恋愛対象に入らなくていい、好印象を与えれば、後はどうにでもなる。

 わざわざ手土産を持って話しかけてくるあたり、家庭内では世話焼きで面倒見のいい兄なのだろう。

 私は意識して、話す速度を落とした。

 「父と?貴方のような女性と話が合うとは思えないが」

 バルコニーの柵に前腕をついて、私の顔を覗き込むように自然と距離を詰める御曹司。その行動から、女慣れしているのがありありとわかる。

 私は彼から少し身を引いた。

 「そうですか?だとしたら、私に合わせて下さったのかも…本が好きだとお話したら、いくつかお勧めの作品を教えて下さいました」

 「本か…それにしたって、貴方とでは世代が合わないんじゃないか?」

 首をかしげて続けざまに質問を繰り返され、私が主導となって話が進んでいく。

 このままでは私ばかりが話す羽目になる。私の事は別に知られずとも良いのだから、ここらで立場を変わっていただこう。

 「そんなことは…ボードウィン様は、何かお読みにならないのですか?」

 少々雑な切り返しだが、まぁ女の言うことだ。鷹揚な彼がいちいち気にとめることはあるまい。

 案の定、彼は大げさに肩をすくめて苦笑した。

 「本はあまり。でも貴方が何か勧めてくれるなら、今度それを読んでみようかな」

 私に喋らせようと意図的にこんな言葉を選んでいるのなら、彼は意外と頭の回転が速いのかもしれない。

 いや、実際そうでなければ、戦場で機敏に立ち回るのは困難なのだろう。

 子生意気な悪戯っ子のように可愛らしい笑顔が似合う彼は私から目をそらさず、そして私が目をそらすとも思っていない。

 だから私はこの面倒な会話の意趣返しに、視線をバルコニーの柵へ落とした。

 「…それこそ、ボードウィン様のお父様にお聞きした方が良いのでは…」

 「ああ…いや、最近じゃ父の口からは縁談の話しか出なくてな」

 横目で顔を窺えば、疲れ切った様子で眉を顰める横顔が映る。名家の子息も大変なようだ。

 特に彼は長男で、ボードウィン家の後継ぎでもある。後を継げば、その逞しい双肩にかかる責任は更に大きくなるだろう。

 そしてその妻になる女が背負うのは、きっと一般家庭における苦労の比ではない。

 私が絶対に嫁ぎたくない場所が、セブンスターに連なる家柄だ。そんな大仰な家に入ろうものなら、私の精神が摩耗してしまう。

 まあ心配しなくても、我が家程度の地位では彼の家と身分が釣り合わないのだから、縁談が持ち上がることはほぼ間違いなくあり得ないのだが。

 「まったく、俺はまだ三十路にもなっていないというのに…」

 溜息をつく御曹司殿はどうやら、本気で飽き飽きしているらしい。媚びる女は嫌いなのか、それともまだまだ遊びたいのか。

 どちらにせよ、私の今の最優先事項は(入っているのか不明だが)彼の恋愛対象範囲から逃れることだ。

 彼に気に入られれば、結構な数の女性の敵を作ることになる。それは死活問題だ。

 「心配、なさっているのだと思いますよ。きっと、ご自分のように、温かな家庭を…」

 「そう言う貴方は、もうお相手がいるのかな?」

 会話の中で、初めて彼が話題を切った。

 どうやら縁談話は地雷だったらしい。何をそんなに嫌がっているのか知らないが、これ以上その話題に踏み込むのはやめにしよう。

 私は眉を寄せ、顎を引いて視線を庭へ移す。

 相手、それはおそらく、恋焦がれる相手がいるか、ということだろう。婚約者やそういう類ではない、本当に慕う相手。

 残念ながら、そんな相手は私にいない。つくる気もない。

 「…いいえ。私には……」

 何と言うべきだろうか。ただ「いない」というだけでは、更に掘り下げられそうだ。

 しばし迷って、やはり的確な言葉が見つからず、私はそのままの表現を引いた。

 「…そのようなお相手は、必要ありませんから」

 そう、必要ない。相手は父が持ってくる。

 私はそれに従えばいい。愛のない親ではないのだ。優しく、厳しく、この社交界に必要な知識や所作を教えてくれた。
 
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