Coin toss Drive 〜 C to D 〜

□Contrast
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 キン…と微かな音を立てて、1枚のコインが宙に跳ね上がった。一瞬目映く夕陽を反射したあと、ゆっくり弧を描いて落ちてくる。それを手の甲に受けながら、逆の手を伏せて隠す。その仕草を注意深く見守っていた青年は、出された拳を凝視しながら唸った。
「うーぬ…」
 クセのある黒髪を揺らしながら、上へ下へと角度を変えて拳を観察している。きりっとした眉を寄せ、透視でも始めんばかりに見つめている鳶色の瞳は真剣そのものだ。
「そんなに見たって判んないだろ。さっさと決めろよ」
 拳を突き出した方の男が、少し長めの栗色の髪を揺らしながら苛立ったように言った。つり上がった細い眉の下で、垂れ気味の眼が相手を睨む。小さめの顔は中性的で幼くも見え、実際の年齢を図りづらい。
「だってさあ、俺ずっと負けてんだもん。そろそろ当てにいきたいから…」
「ンなもん、カンでスパッと行け!」
 今にもその拳で相手の顔を殴りそうなくらいに突き出しても、黒髪の青年は怯みもしない。しきりに唸りながら更にたっぷり見つめて、ようやく、
「よし、決めたっ! 表にする!」
 ビシッと指差して宣言した。
「はいはい表ね」
 長考の末に出した結論を軽くあしらって、伏せていた掌をどける。銀のコインには見知らぬ蔓草のようなデザインが刻まれているが、この辺りで使用されているものではなかった。黒髪の青年ががっくり項垂れているところを見ると、どうやらこちらは裏側であるらしい。
「ぬああぁ、また俺…」
「うるせーな。いいからさっさとやれよ。日が暮れちゃうだろ」
「そう言うんなら、たまにはCがやってよ。俺、今日運転もしてたのに不公平だぁ」
「文句言う体力あんなら平気だろ。ま、せいぜい次頑張れ」
 “C”と呼ばれた方は、しょげる青年の肩をぽんぽん叩いてにやりと笑う。それから思い出したように、
「D」
 青年を呼んだ。Dがむくれた顔を向けると、宥めるように言う。
「上手く出来たらご褒美やるよ」
「え?」
 予期せぬ言葉だったのか、Dは驚いたように目を見張った。それから、ふわんと嬉しそうに頬を緩める。
「ほんじゃあ、頑張っちゃおうかなぁ」
 デレッとだらしない声で言って背を向けたDの後ろで、Cはぺろりと舌を出している。毎度毎度チョロい。そう言いたげな顔だ。
 そんなCに気付かないDは、目の前にある古びた車からキーを抜き取った。クリーム色した車体のあちこちに錆が浮いているような、相当年期の入ったワゴンカーは、先程まで彼らが乗っていたものだ。
 生い茂る荒れた森に続く細い路地の近辺に目立った建物はなく、辛うじて建物の体裁を保っているものにも使用されている気配はない。森の向こうには山々が連なっているだけで、道は途中で整備もされていない獣道に変わり、それも途中で途切れているのだという。どこに通じているわけでもなければ、物好きな誰かが住んでいるという話もついぞ聞いたことがないから、人気がないのも当たり前で、町から随分離れているせいもあり、陽の落ちる時間ともなれば通りがかる者すらいなかった。
 こんな何もない、ただ薄気味悪いだけの場所が彼らの目的地、という訳ではなさそうなのだが、迷い込んできたにしてはあまりに緊張感が無さすぎる。この二人は一体何者で、何をしに来たのだろうか。
 Dは薄暗くなり始めた空を仰ぎ、軽く目を閉じると息を整えた。それから車のドアにキーを差し込み、一言唱える。
「……」
 呪文じみた言葉は小さく発せられ、何と言ったのかは判らなかった。ほんの僅かに拾えた言語はコインと同じく馴染みのないもので、聞き取れたとしても理解はできなかっただろう。それに、そんな考察を続ける間などは次の瞬間に奪われてしまった。
 Dがキーをゆっくり回すと、それに合わせて車に変化が起こった。鍵穴の周囲からドアの材質が変わっていく。錆びかけた鉄から、艶やかな木材へと。変化はそれだけではなかった。ぼんやりと景色に溶けていくように拡がっていく輪廓を追っているうちに、車は重厚な両開きの扉を持つ建物へと完全に変わってしまっていた。どこがどう変わって、と言うよりは、写真を写真で塗りつぶしていくかのような変化であった。
 あっという間に現れた一軒の古めかしい木造の建築物は、夕闇の中、鬱蒼と繁る暗い森を背に不気味にも荘厳にも見えた。ただ、何か違和感がある。何だろうと考えるまでもなく、違和感の正体はすぐに知れた。この建物は、なんだか中途半端なのだ。凝った細工の張り出し窓も、見事な彫刻も、不自然な大きさで途中までしかない。フレームに収まりきらなくて見切れた写真みたいに、いきなりちょん切れているのだ。全体像ではなく、ほんの一部分だけを再現した。そんな風に見えた。そのせいか、やりきったドヤ顔で振り返ったDに、Cは冷たく、
「…30てーん」
 と投げ遣りに言った。
「えええええ」
「まあいいけど。どうせドアさえありゃいいんだし」
 言いながら、Cは塩採点にショックを受けているDを押し退けてドアに手をかけた。
「いいからさっさと入れよ。最初のお客様がお待ちだ」
 Cはこちら( 、 、 、 )に視線を向け、にっこりと微笑(わら)った。細い目を更に細める前に、ばっちり目が合った。…合ってしまった。
「あのさあ、そんなとこでずっと座っててしんどくない?」
 気のせいではなかった。Cは開きかけたドアの取っ手から手を離し、完全にこちらに向き直ると、つかつかと近づいてきた。
「え…っ? あの…」
 見つかってしまったことに動揺して、思わず立ち上がってしまっていた。生い茂った草むらが、ガサガサと派手に音を立てる。咄嗟にとは言え、草の陰に入るなんて、子供のかくれんぼよりお粗末だった。
「自転車と一緒に隠れなきゃ。ここじゃ浮いてるだろ。明らかに」
 Cが指差しているのは、自分がここまで乗ってきた自転車だ。慌てていたから、そこまでは気が回らなかった。使い古しではあったが、ちゃんと整備された現役バリバリの自転車は、確かにこの場にそぐわない。そんな乗り物の傍には、はたして乗ってきた奴が潜んでいたというわけだ。
「別に、捕って喰いやしないよ。言っただろ? 君はお客様なんだから」
 呆れたようにも聞こえていたCの口調は、その表情と共にとても優しいものに変わっていた。素性も知れず、胡散臭い術(?)を使う、明らかに怪しい人物(そもそも人間なのか?)なのに、警戒心のようなものは不思議と感じない。しかも、
「“お客様”? どういうこと?」
 まるで最初から自分を待っていたかのような言い回しではないか。恐る恐る問い返すと、Cはくるりと踵を返してすたすたとドアに向かった。再び取っ手を掴みながら、肩越しに微笑む。
「いいから入って。夜になったら、その“虫食い”がもっと酷くなっちゃうからさ」
「!」
 はっとして、それを抱いている腕に力がこもった。腕の中には、一冊の本がある。
「なんで…? そんなこと…」
「判るよ、そりゃあ…」
 重そうな扉が開く。見た目通りに古めかしく、軋んだ音を立てて。内部(なか)から光が溢れ出す。とても明るい。
 シルエットになったCとDは、手を差し伸べて声を揃えた。
「僕らはその為に来たんだから」
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