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1.「バレンタイン」
訳が解らない。
そう本気で思ったのは、間違いではないだろう。なぜなら、マンションの前、目の前に、まるで笑顔がないにも関わらず、腕をこちらに向けて、手には小袋に入った小さなチロルチョコが数個入っていたのだから。
「これ、何」
「チョコレートに決まってんだろ」
いや、そんなことは解っているんだけど。そう思ったが、臨也は呆れた顔で口にする余裕もなく、何故、チョコレートを自分にくれようとしているのかを困惑しながら、必死に考えることに集中していた。
彼は自分のことが嫌いな筈だ。目の前の男、平和島静雄と何度も殺し合いをしてきた事実があるのだから、確信をもって言えることだった。
どうして、という疑惑ともとれる疑問と、じんわりとした嬉しさに頬が緩んでしまわないよう必死に要らないという顔で睨んでいたはずが、静雄は何を思ったのか、臨也の顔をじっと見つめては、溜め息を吐いた。
「ほら、とっとと受け取れ。高級なチョコじゃねえが、文句言うなら妹たちにやればいいだろ」
強引に臨也の胸に袋を押しあて、受け取らせると、背を向けて歩きだした。
その無防備な背中と、渡された袋の中身を見て、臨也は怒る暇もなくただ呆然と立つしかなかった。
「……なんなんだよ、あの化け物」
───シズちゃん。
結局、静雄の真意を聞くことが出来なかった臨也は、どこかホッとしていた。聞いたら何かが変わっていたかもしれないし、なにも変わらなかったかもしれない。臨也の小さな期待が、静雄にとっては気まぐれなことに過ぎなかったかもしれない。
しかし、己のプライドがお礼すら言わせず、遠ざかる背中にナイフも向けられない。そんな自分が今どんな顔をしているのか解らなかった。だが、袋の中がチロルチョコでいっぱいになっているのを見て、視界がぼやけてしまうと、臨也は再度、誰にも届かないようなか細い声で、訴えるようにシズちゃんと呟いた。
なんなんだ、と思ったのは静雄も同じだった。それは決して彼の態度ではなく───、
「何であんな嬉しそうな顔してやがったんだ」
臨也は無意識だったであろうことで、むしろ、嫌がられては、「要らない」と怒りだすことも想定していた静雄にたいして、臨也の顔は予想外だったと言える。
まさか自分がそんな顔をしていたとはさほども思っていなかったことだろう。それを人間離れした視覚と感覚で察知した静雄は、珍しく赤くなってしまいそうになった自身の顔を隠すため、渡すものを渡して、そそくさとその場を離れることにしたのだ。
「本当、解りやすいくせに、面倒くせえよな」
顔を見て話せば解りやすいものの、彼のひねくれた、素直でない性格上、電話などで話せば確実に自分をイラつかせるのは目に見えていた。
そこで、わざわざ手渡しをしに、臨也のマンションへと訪れた静雄だったが、彼が大嫌いである臨也になぜチョコを渡すことに至ったのかは、また別の話。
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