短編集(2018)
□日没の画廊
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日没。今日の展示時間は終了した。
「お疲れ様」
「お疲れ様です」
私はこの小さな画廊でアルバイトをしている。基本的な業務は受付と案内。それと閉めた後の掃除ぐらい。
「ここだけで食べていけるの?」
管理人は私にそう問った。
私はホウキを動かし、考えた。
実際食べていけているのが現実で、けれど、贅沢はない。貧乏ではある。
「僕は帰るけど戸締まりお願いしてもいい?」
「はい。すぐ終わるので」
「ありがとう」
結局、私は管理人に返事を出さなかった。
どうして私がこのアルバイトに執着するのか。それはとても単純な理由。
私を必要としてくれるから。
貧乏は嫌だと掛け持ちを心掛けたけれど、そこでは誰でもいいその中の一人でしかなく、すぐにやめてしまった。
「あの! まだ大丈夫かな?」
「え?」
いきなり開いた扉。
荒れた息。
大きく揺れる肩。
流れる汗。
ビシッとスーツを着たその男性は酷く疲れていた。
「大丈夫ですか?」
大丈夫? と聞きたくなるのは私の方だった。
「落ち着いてからゆっくりしゃべってください」
私は男性を受付のパイプ椅子に座らせると、ペットボトルのお水を差し出した。
「ありがとう」
一気に半分を飲み干した男性は大きく息を吐いた。
「この展示明日までですよね?」
「そうですけど」
「明日からしばらく帰省するんだ。だから見れるのは今日までだから」
「そういうことですか。ゆっくり見ていってください」
「でも、もう閉めるところだったのでは?」
「私はここが好きですから、私を必要としてくれるなら、是非」
「君、名前は?」
「狭山優希です。あなたはこちらにサインしてくれると助かります」
「では」
木村という男性はゆっくりと歩き始めた。
「この画家さんが好きなんですか?」
私はある一定の距離を置いて、後を追う。別にこの画家さんについて詳しいわけでもなんでもない。説明なんて出来やしない。
「まぁそんなところです」
木村さんは濁した。
私はこの人の何者でもない。少し気にはなったけれど、これ以上の深追いはお節介すぎると、察した。
商店街の明かりはほとんど消えていて、唯一の明かりがこの画廊。
まるで砂漠のオアシスのよう。
「狭山さんはここの社員さんですか?」
「そんなそんな。ただのアルバイトですよ」
「就職はしないの?」
この問いかけを何度聞いたことだろうか。
私はその度に答えを濁した。
私を必要としてくれている。それだけの理由では答えにはならないと決めつけていた。
そして本当の理由は胸の奥深くにしまっている。
「僕は悩んでいるんだ。今の会社に僕の必要性を見出だせない。けど、もう三十過ぎてるし、やめて次が見つかるのか不安で……あ、何言ってるんだろう僕は」
「好きにしたらいいんじゃないですか?」
「え?」
「あ、えっと、投げやりにしたわけじゃなくて……人生は一度きりなんですから、やりたいことをした方が良いんじゃないかなと思いまして」
「勇気がないんだ。彼は画家になった。それで食べていて生きている」
「彼って言うのはもしかして」
「そう、この絵を描いた人さ。僕の幼馴染み……僕も絵を描いていたんだ。けれどいつしかここにいる。僕はなんだろう。夢を諦め、サラリーマン。なんてつまらない人生なんだ」
「私ももう三十です。人に言うことなんて滅多にないんですけど」
この人なら打ち明けてもいい。そう思えたのは彼の瞳の中にはまだ輝きが残っていたからだ。
「私は小説家になりたいんですよ。中学生の頃から書いていて、社会に出たときに気づいたんです。お金を稼ぐ大変さを。だから三十までに叶わなかったら諦めよう。そう思っていました。けれど今日で三十一です。諦められないんです」
「今日誕生日なの?」
「そうですけど……」
「それなのにすまない。鉛筆でいいかな」
「え?」
「記念に一枚、そこに座って」
私は受付の時と同じ場所でパイプ椅子に座った。膝の上に両手を置く。そんなに律儀に座ったところで机に隠れて見えないのだけれど。
「綺麗だ」
私は髪が乱れていないか気になった。
「ダメ。動かないで」
「はっ。はい」
時はあっという間に流れ、画用紙に描かれたその一枚の絵は、木村さんが言うところの彼の隣に並べられた。
「見てみて。この差」
「上手ですね。私はそこまで美人ではないけれど」
この線とか。この輪郭とか。こことか。こことか。
色々と木村さんは彼と比べたけれど、私一言言い切った。
「人それぞれですよ」
「人それぞれ……」
「小説だってそうです。純文学、ライトノベル、官能小説。詰めて書いたり、改行したり。それだけじゃない。感性は人それぞれで個性があって、まぁけれどそれでも夢が叶わないのは私の努力が足りないの、かも?」
「狭山さんは凄いですね」
「それに素人だって、依頼を受けて原作を書いたり脚本を書いたり、そういうこともあります。絵のことはよくわからないですけど、似たようなものあるんじゃないですか?」
「なんだか少し、前向きになれた気がします。会社のことも絵のことも。これプレゼントです」
木村さんは私にその描いた絵をプレゼントした。
「ありがとうございます。ここの画廊。プロじゃなくても大丈夫なんで」
「ありがとうございます。もう日が沈んでいるのに」
「いえ」
「お邪魔しました」
「いつかお待ちしてます」
「では、また」
木村さんはオアシスから一歩踏み出し、夜の闇へと姿を消した。私はその後ろ姿を完全に見えなくなるまで、見送り続けた。そして、手に取っていた画用紙を見た。
「上手いのになぁ」