短編集(2015)
□キコリのイズミ
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「うおっとっと」
私はつまずいた拍子に手から大切な物をはなしてしまって、無くしてしまいました。きっと目の前にある泉に落ちたに違いありません。そこはとある人との待ち合わせ場所に近い泉でした。私は水面に自分の顔をうつしました。悲しいような辛いような顔をしています。
「大切な物を落としてしまった。今から大切な約束だと言うのに」
涙が一粒、水面に綺麗な輪を描きました。その時、泉から一粒の泡が浮き上がってきました。それを先頭にブクブクブクと次々に泡立ち、何かが上がってきました。ちょっと怖くなった私は二歩ほど下がりました。少しずつ姿を現したそれは、世界三大美女に並んでもおかしくないぐらいの絶世の美女でした。
声に出ない、キョトンとした反応で私は立ち尽くしました。全身を現した時、黒髪ロングの美女は水色のワンピースで水面に立っていました。
美女の右の手のひらには指輪がのっています。そう私は指輪を泉に落としたのです。彼女にプロポーズするための指輪でした。三万円程度の安物でしたが私には凄く重みのある指輪でした。
左の手のひらには、何ものってはおらず、左手の薬指に指輪がはめられていました。雲一つない晴天で太陽の光がガンガンに照りつけ、素人でもわかってしまうほどの輝きを放っていました。物凄く高級そうな指輪です。それともう一つ。薬指と親指で摘ままれた紙には何か文字が書かれていました。その内容は『一生遊んで暮らせる裕福な生活』を保証する内容でした。
「木こりの泉……」
私はふとこの話を思い出しました。今、自分の目の前に置かれている状況がそっくりだからです。
「あなたは勘違いをされています」
いったいなんのことだ? と、思いましたが、考える暇もないままに美女は答えを出しました。
「木こりの泉ではありませんよ。キコリのイズミです。ここは泉ではなくただの池です。キコリ池と言います。わたくしはその池に住んでいるイズミと言う者です―――カッパとでも思ってください。」
いやいやいやいや、その美貌でカッパと思えとか無理だから! とか内心突っ込みながら全身を舐めまわ―――しはせず、眺めました。よく見ると、ワンピースの胸元の辺りに何か文字を見つけました。
「胸になんて書いてあるんですか? 小さくて見えないんですけど」
「右手か左手か、選んだら手をつかんで下さい。って書いてあります」
いやそんな木こりの泉的に考えたら自分が落としたやつだろ。と思ったけれど、これは木こりの泉ではなくキコリのイズミです。別物なのです。
いや私は彼女にプロポーズするために買ったんだ。右手に決まっている。美女イズミの右手に手を伸ばした。手に触れる前にその言葉はかけられた。
「本当に右手でいいのですか? 左手に触れればこの先楽しか待っていませんよ?」
その言葉は美女イズミの誘惑でした。少し心がグラッと揺らぎましたが愛する彼女を思い、踏みとどまりました。
「私もお側におりますよ?」
その言葉は二度目の誘惑でした。美女イズミの美貌が最大のダメージでした。
「ねぇそんなとこでどうしたの?」
私の後ろから声がしました。振り向くとそれは愛する彼女でした。美女イズミによって誘惑されている自分が情けなくなってきました。彼女を見ると右手に手をかけそうになりました。しかし今の自分を見つめ直すと左手に手をかけそうになります。頼りない自分。安月給な自分。彼女にはもっといい人がいるのではないか。そう思うと左手が魅力的過ぎてなりません。
彼女を見ました。容姿は平凡、しかし気遣いのできる優しい性格。美女イズミを見ました。容姿は完璧、しかし中身はわからないことだらけ。
悩みに悩みまくっていると彼女が一歩後退りました。その一歩にどんな意味があったのか。私に呆れたのか。わからなかったのですが、照りつける太陽。考えすぎてオーバーヒートした頭。私は倒れました。
「いってぇぇ」
私はベッドから落ちていました。