短編集(2018)
□永遠の子守唄
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「またゴロゴロして!」
僕の部屋のドアを開けたお姉ちゃんは僕に怒った。僕は寝転がって漫画を読んでいた。足をパタパタとさせて気分が良い。漫画が面白かったからだ。
「もう中学生になったんだからさ」
僕は下からの目線でお姉ちゃんを見る。仁王立ちになっていたお姉ちゃんは高校の制服を着ていて、柔らかそうな太ももが光っている。
「お姉ちゃんはいいね」
「なにがよ?」
「お母さんは怒ってくれなかった。お父さんは帰りが遅いし」
お母さんは僕が小学校を卒業する少し前に亡くなった。病弱だったお母さんは病院で生活していて、お袋の味というものを知らない。お姉ちゃんの味ばかりだ。
それが美味しいんだからムカつく。
「もしかして、あんたM?」
「なんだよMって。アルファベットか?」
「踏まれたいの?」
「はぁ? なに?」
僕は起き上がると胡座をかいた。
「私たち家族だからね。ダメだよ」
「だからなんなんだよ」
「まだ孝太にはわからないか」
お姉ちゃんはたまにませたことを言う。その意味は教えてくれないし、僕はスマホを持っていなければ家にパソコンもない。年上の知り合いもいなければ、その意味を知る術はない。
「しばらくいても良い?」
「晩飯は?」
「後でちゃんと作るよ」
お姉ちゃんは僕の許可もなく勉強机に座った。そして手を伸ばした窓の鍵を開けるとガラッと全開にした。
「涼しいね」
「寒いよ」
僕はベッドに腰かけて漫画を読むのをやめた。
「読んでて良いよ」
「集中できるか」
「そう」
「で、なに?」
「お母さんはもういないし、お父さんは帰り遅いし」
そんな言葉でお母さんがいないことをたまに思い出してしまうけど、もう泣くほどの悲しみはない。
「孝太は部屋にこもってることが多いし、お姉ちゃん寂しいんだよ?」
「知るかよ。僕にどうしろって」
「もうちょっと部屋から出てこない? 別に漫画をリビングで読んだっていいじゃない」
「まぁそうだけど」
「お父さん今日は珍しく早いんだって。三人で食べれるよ」
「久しぶりだね」
「さぁ、作るんだから手伝ってよ」
「しょーがないな」
僕はお姉ちゃんに着いていってキッチンへと向かった。
「なに作るの?」
「お母さんの好物」
「お母さんって何が好きだったの? 僕知らない」
僕が幼稚園に通っていた頃。既にお母さんは病院にいた。お母さんの手料理を食べたことないのはもちろんのこと、お母さんが食べていたのは病院食ばかりでどれが好きなのかは知らなかった。
「シチューかな」
「美味しいね」
「美味しいよね」
「けど私がシチュー好きだから合わせてくれてたのかもしれないね」
「結局自分が食べたいもの作るんじゃん」
「バレた?」
「まぁ好きだから良いけど」
お姉ちゃんは食材をキッチンに並べると指示を出した。僕はその指示通りに動く。
「お姉ちゃん制服汚れない?」
「大丈夫。そんなヘマしないから」
お姉ちゃんはそんなことを良いながらリビングのソファーにかけてあったエプロンを着る。
「僕一回だけ病院で寝ちゃったことがあってさ」
「何よ。急に」
「いいから聞いて」
僕はジャガイモの皮を剥いていた。人参も玉葱も任された。
「はい」
お姉ちゃんは鍋に水を入れるとガスコンロに火をかけた。
「良い顔してたんだって。子守唄歌ってくれてたみたいでさ」
「自慢? 孝太は可愛いからね」
「なんのだよ。そうじゃなくって、それから僕がたまにお母さんに歌ってたんだよ」
「歌ってみて」
「やだよ。恥ずかしい」
「それで?」
お姉ちゃんはフライパンに油を敷くと牛肉を炒め始めた。
「それでお母さんが寝ちゃうことあってさ、最後に寝たとき僕が歌ってたらよかったなと思ってさ」
僕が歌った子守唄で最後に眠ってくれたら、僕が見せた良い顔みたいに良い顔で眠ってくれただろうか。
「ふーん」
お姉ちゃんは空を見上げた。空と言っても天井なのだけれど。
「なんだよ」
「ちょっとは良いところあるじゃない。部活でもしたらモテるんじゃない?」
「お姉ちゃんに言われたくない」
「彼氏ならいるけど」
「え? 誰? 僕に許可なく、その人なに勝手なことを!」
「なんで孝太にいちいち許可もらわないといけないのよ。それより手動かして」
「お姉ちゃんもね。お父さん帰ってきちゃうよ」
僕の手はいつしか止まっていて会話に集中してしまっていたようだ。それはお姉ちゃんも同じだった。