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□MONKEY MAGIC
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キー兄のたわいもない話を適当に受け流しながら、ちびちびと牛乳を飲む。あれから三十分、核心をつく言葉は未だ出てこないので、ほんとうにただ話し相手(というより聞く相手)が欲しかっただけなのかもしれない。ほどよく酔っ払ったご機嫌な兄の、僕相手には滅多にしない”愛嬌”をへらへらとあしらいながらつまみのナッツに手を伸ばすと、振り上げた腕がテーブルにあたってナッツが音を立てて床に散らばった。
「ああっ。もう、だから気をつけろっていつも言ってるじゃん」
キー兄は僕に小言をよく言う。何度注意されても牛乳や食器を片付けない僕が悪いのだが、キー兄だって服を散らかしたままにするので人のことは言えないと思う。そもそも僕はいまキー兄に付き合ってあげているというのに。
唇を尖らせたキー兄を尻目につらつらと頭の中に文句は出てくるものの、ごめんごめん、と謝りながらナッツを両手で一粒ひと粒拾っては口に運ぶ。
「やだぁ、サルみたい」
そんな僕の姿を見たキー兄の呆れた声に悪戯心が沸いた。床にしゃがみ込んだまま振り返り、両耳を横に引っ張って鼻の下をめいっぱい伸ばして下唇を突き出して、昔友達の前でよくやっていたサルの真似を返す。ぱちぱちと目を瞬かせながらキー兄を見つめると、眉を八の字にして小さな口をめいっぱい広げて笑った。大きく仰け反って両手で口を覆うのはキー兄の癖だ。
あんまりけらけらと笑うものだから、楽しくなって続けざまにキリンやナマケモノの真似をしてリビングを歩き回る。控室などでもよくやっている遊びなのに、まるで初めて見たかのようにキー兄は涙を流して笑う。ふざけたのは自分なのに、なんだか可笑しくてつられて笑ってしまう。車のクラクションひとつ聞こえない夜更けに、二人分の笑い声が誰もいない宿舎に響く。
「ほんと、テミナが笑うと、こっちも笑っちゃう」 涙を拭いながらキー兄が笑う。
「そんなにおかしい?」
「うーん、嬉しい・・・かな」
「キー兄は、僕が笑うと嬉しいの?」
「そうだよ。僕だけじゃないよ」
みんなおまえの笑顔が好きだよ。
続いた言葉に跳ねるように視線をあげると、キー兄は涼やかな目をとろりと細めて優しく微笑んでいた。
「やっと笑ったね」
正直、してやられたと思った。
なにかを抱えた兄に付き合っているつもりだった。話を聞いてあげて慰めていると思っていた。頼られている気になっていた──他の兄たちのように。
悔しい。悔しいけれど、唇を噛み締めるのは悔しいからじゃない。
崩れそうな顔を見られたくなくて俯いたままの僕の頭に、やんわりと温かい感触がした。さらさらと髪を撫でられる感覚に鼻の奥がつんとする。それらを振り払うように頭を振って、勢いよく顔をあげる。
「えへへ」
僕は笑った。
キー兄も眉尻を下げてはにかんだ。さっきの大笑いとはちがう、花がほころぶようなその笑顔を、ただ綺麗だと思った。
僕らはたぶん、どちらのことも頼れない。キー兄は僕を頼れないし、僕もキー兄を頼れない。他の兄たちとはちがう。
互いに肩も貸せなければ手も絡められない。涙も流せない。それでも、傍で笑ってほしいと思う。
それならば、そのままの、いつもの僕でキー兄の前に立とう。
キー兄がうまく笑えないときは、隣で僕が笑おう。僕の笑顔が好きだという兄のために、僕の好きな兄の笑顔のために、僕は笑おう。誰かのために何かをするのは苦手なのに、不思議とつらくはない。
微笑む兄の肩越しに窓の外を見ると、細く細く三日月が輝いているのが見えた。
ああ、今日は新月ではなかったのだ。
月のような兄の話