さよならの向こう側

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“明日暇。来る?”

“はい、行きます。”

彩さんからの連絡は、ストレートで簡潔だ。
私たちは、暇さえあれば一緒にいるようになっていた。

とはいえ、会ってやることは大体同じ。

「美味しいです。」

「ふふ、いつもそう言ってくれるな。」

「本当のことですから。」

私の仕事終わりなら、彩さんが作ってくれていたご飯をいただく。

彩さんのご飯はいつも美味しくって、
彩さん家に行く日は、菜々さんがくれるおやつをお断りするくらい。
「なんでよー!私のクッキーよりも彩の料理のほうがいいわけー?」って菜々さんは頬を膨らますんだけど。

お互いが休みなら、私が作ったご飯を2人で食べたり、一緒にご飯を作って食べたりする。
私が作る料理なんて、大したものじゃないのに、彩さんはおいしいおいしいって嬉しそうに食べてくれる。その顔に私も嬉しくなっちゃって、菜々さんを試験台に練習しているのは内緒だ。

そんな日が続くうちに、
私は彩さんに対し、”彩さん”と呼ぶことや、敬語を使うことに違和は無くなっていった。

彩さんを”お姉ちゃん”と呼べないのは、離れていた時間が長い上、そもそも私があまり覚えていないから。

いろいろ考えたけど、彩さんとお姉ちゃんは一緒の人なのに、どこか繋がっていない気がする。

私にとって彩さんは、お姉ちゃんで、先輩で、友だち、そんな不思議な感覚だった。


「夢莉、この音何やとおもう?」

「…雨?」

そう答えると、彩さんは立ち上がりカーテンを開けた。

「うわ…」

その声に、見なくても彩さんが顔を歪めたのが分かった。
そんなに酷いのかな。
振り返ると、彩さんが開けたカーテンの隙間から、歓楽街のネオンに照らされた雨粒が横殴りで降っているのが見えた。

うーん。
さすが梅雨。すごい雨だ。

彩さんは顔を歪めたまま、カーテンをシャッと閉めた。
今日、彩さんは夜勤明け。それから用事があって寝てないらしい。「明日は休みやし平気やで」と私を迎えてくれたけど、
よく考えたら2日寝てないってことだな。

うーん、あんまり長居するのも迷惑やし、そろそろ帰らなくては。
私は鞄をこちらに寄せた。

「もうちょっと遅い時間の予報やってんけどな。」

「傘、持ってきてます。」

「…歩いて帰るんか?」

「えっと、、それしか無いかと…」

彩さんはうーん、と少し考えた後、
明日、休みやろ?と尋ねた。

「はい。休みです。」

「泊まっていき。」

「え…あ、、え?」

予想外の言葉だった。

嫌ならええけど、と付け加えた彩さん。

「嫌じゃないんですけど、着替えとか、ないです。」

「貸したるし。」

「迷惑じゃないですか?」

「濡れて帰られるほうが迷惑や。」

う、、そう言われると、どうしようもない。
彩さんともっと一緒に居られるのは嬉しい。

「じゃあ、お言葉に甘えて…」

私は自分に寄せた鞄を再度隅に置いた。


「ぷっ、ちょっと小さいな。」

彩さんがクスクスと笑う。

借りたシャツとズボンを当てがってみると、
手首、足首が丸見えだった。

ちんちくりんだ。
彩さんはこのサイズなのかと思うと可愛い。
普段はかっこよくて、私を包み込んでくれるお姉ちゃんなのに、こういうところはなんだか可愛くて、、
ギャップってやつやな。


「夢莉細いし、入るとは思うから、これで我慢な?で、歯ブラシと、、」

彩さんが手渡してきたのは、歯ブラシと下着。

え…下着?

「これも?」

「大丈夫、新しいやつやから。着たらそのまま持って帰って使っても捨ててくれてもええし。」

「あ…はい、、」

あっけらかんと言われたけど、衛生面とかそういうことじゃなくて
彩さんの下着…をもらうのはさすがにちょっと恥ずかしいって反応だったんだけど。

そんな考えは読み取れていないようで、
じゃ、ゆっくりしていいから、と彩さんは扉を閉めて行った。



「お風呂上がりました。先にすみませ、、ん…寝ちゃった?」

彩さんはこちらに顔を向けて机に突っ伏していた。

その目は閉じており、規則的にゆっくりと背中が上下している。一緒に見ていたテレビは、チャンネルが変わっていた。
誘わないと観ないと思っていたけど、一応彩さんもテレビを観るようになったんだ。

その変化に気づいて、ちょっと嬉しい。


キッチンからツン、と香ったタバコの匂い。

私が来るようになってから、いつの間にか机からベランダに移動していた灰皿。

キッチンの換気扇が回っているところを見ると、雨だから今日はここで吸ったのだろう。

会社でもタバコを吸う人は多いし、私はそんなにタバコを気にしたことはないけど、彩さんがとても気を使ってくれていることが分かる。

私がいない隙に、キッチンで吸ってから机に座り、テレビを見ながら待ってる間に寝てしまったという彩さんの動線と行動が安易に想像できた。


「彩さん…すみません。」

控えめに肩を叩くと、彩さんはすぐに目を開けた。

「ん、あ、ごめん。くぁ…」

彩さんはググッと伸びをした。

「疲れてますね。」

彩さんの顔には、どことなく疲労が見えている。

「んー…まぁ、、でもいつもと違って夢莉いるから、全然平気。」

そう言って彩さんがくしゃりと笑った。

「、、ドライヤー使わせてください。」

私はその笑顔に照れてしまったのをバレないようにドライヤーを受け取った。



「…私、ここで寝るんですか?」

彩さんがお風呂から上がってきて、さぁ寝ようか、というとき
私は大切なことに気づいてしまった。

床に直接置かれたマットレス。

シングルサイズだし、羽毛布団も一枚だし。

彩さんは、夢莉はここな、とマットレスを指差す。

「いやいやいや、私、床で寝ます。」

「何言ってんねん。夢莉を床で寝かせるなんてできひん。」

そう言いながら彩さんは私をぐいぐい押してくる。

「掛け布団もないのに、ダメです。」

「仕事中の仮眠とかこんな感じやし。」

「んー…でも、、あ!じゃあ、一緒に寝ますか?」

それなら諦めてくれるだろうと、私はちょっと冗談のつもりだった。

「、、ありやな、それ。」

「え」

私は彩さんに押され、布団の上に。

ほらほら、と急かされて渋々横になると、彩さんも隣に寝そべった。

うそ、これで寝るの…
体が当たるか当たらないかの距離。
私にも、遠慮ってものがある。

「なに、夢莉、寝られへん?」

「いや、彩さん狭くないかな…って」

「ふふ、狭くない。夢莉、もうちょっとこっちおいで。」

「えっ」

彩さんの体の熱が伝わってくる。

「おやすみ、夢莉。」

そう言って目を瞑ってしまった彩さん。

あぁ、もう寝るしかないと目を瞑ると、不思議とすぐに意識が遠のいていった。




それから、雨が降っていなくても、翌日お互いが休みの日には彩さん家にお泊まりするのが習慣になった。

面倒やし置いときやって言ってくれるから、着替えやタオル、化粧水と、彩さんの家に私の私物が増え始めた。
洗面台に並ぶ2本の歯ブラシを見ると、カップルかよって笑ってしまう。

今日は、今から彩さんが作ってくれたご飯を食べる日。キッチンに向かうと、彩さんがご飯をよそっていた。
鍋の蓋は閉じていて、中身が見えない。今日は何を作ってくれたのか訊こうかな。

彩さんが私の気配に気づき、こちらを見る。
その表情が少し曇った気がした。

「彩さん、今日は…え?彩さ、、ん?」

彩さんが、私を見たまま無言でこちらに向かってくる。
何?何?怖いよ。

「なんか、おかしくない?」

「私、な、何かしました…?」

「…」

無言の圧を感じる。何か、やらかしてしまっただろうか。
でも、さっき来たばっかりだし…

「…夢莉、顔色わるいで、熱あるんと違う?」

「え?」

熱?彩さんの言葉に豆鉄砲を食らったように瞬きが速くなる。

「でも家、体温計ないねん。ちょっとごめん。」

彩さんがずいっとこちらに近づく。
反射的に身構えると、彩さんの白い手が目の前を通りすぎていった。
おでこにひんやりとした感触。

「んー…やっぱり熱い気がする。元気ないし。着替え持ってくるから。」

「え、ちょっと、私、なんともないです」

彩さんは私の声が聞こえていなかったのか、いや、聞いていなくて、
私のそばに着替えを置いてから、鍵を取った。そして、

「コンビニに行ってくるからその間に着替えて、布団に入っといて。」

と有無を言わさず出て行ってしまった。

…私、体調悪かった?今日普通に仕事してきたけど。
でもなんか、そう言われると体がだるいような気がしてくる。

「…まぁいっか。」

とりあえず、言われた通り着替えて、布団へ向かう。

「彩さんの匂いがする…」

何故かいつもより強く感じた香り。
いい香りに包まれながら掛け布団にくるまって、言われた通りに大人しく待つことにした。



ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ

「わっ」

私が見るよりも早く、彩さんはひったくるようにして私から体温計を取った。

何度だったんだろう。覗き込もうとすると、
彩さんは、はぁ、とため息をついた。

体温計に表示されていたのは38.2°。

「うそ、、。」

「気づかんかったん?」

「うーん…」

平熱が高い方だから、気づかなかったんだろうか。今日一日、全然、わからなかった。

でもなんか、菜々さんも何か言ってた気がする、、ような…

「たしかに、なんか体がだるい気がします。」

「ふはっ、当たり前やん。こんな熱出しといて。」

熱があると自覚した途端、体が重たくて、頭がぼーっとする感覚になる。

単純だな、私。

彩さんは、コンビニの袋をガサゴソし始めた。出てきたのはスポーツドリンク。

「とりあえずスポドリ置いとくから。何か食べれる?」

「えっと、うつしちゃったらまずいし…帰ります。」

私のその言葉に、彩さんは笑った。

「あほ、帰すわけないやろ。」

横になっとき、ゼリー持ってくるわ、と、彩さんはコンビニの袋を持ってキッチンへ向かっていった。

ゼリーも、買ってきてくれたんだ。

どうしよう、うつしちゃったら。

私、帰らなくて良かったかな…

ご飯、せっかくつくってくれてたのに…



……

………


う…ん、、?
喉の渇きに目が覚める。

「お?起きた?」

声の方を見ると、頭をタオルでガシガシと拭いている彩さんがいた。お風呂上がりだろう。

「あれ…」

「すぐ寝ちゃったから、喉乾いたやろ。ほら。」

彩さんはタオルを首にかけ、枕元に置いてあったスポーツドリンクを手渡した。
体を起こすと、頭がズキリと痛んだ。

そうだ、熱出して、

それで、ここは彩さんちで、

「お腹は?」

「あんまり…」

「わかった。横になり。」

私が素直に横になると、
彩さんは肘をついて私の隣に寝そべった。

「ねるとこ、ないですね。」

私がちょっとずれると、彩さんはクスリと笑って、ありがとうと布団にのった。

布団の上から彩さんの手が、私のお腹をぽんぽんしているのが分かる。

「こどもじゃ、ないんですから、、」

彩さんは、またクスリと笑った。

あれ、、これ、どこかで。


あぁ、これはきっと昔の記憶だ、
お姉ちゃんはいつも、こうして私が寝るのを待ってくれていた。


あの、たしか、むかしも、こうして…


言いかけた私の言葉は、届かない。

彩さんの温もりと一緒に、私の意識は深いまどろみの中に落ちていった。




ん…?

工事の音、、?

うるさいな…

目を開けると、カーテンから日が差している。

って…え!
待って、仕事は?!

ガバっと起きるとズキンと痛む頭。
全身に汗をかいていて、気持ちが悪い。

隣には、スヤスヤと寝ている彩さん。

え、うそ、昨日のまま?

ん?あれ?熱さまシート?

覚えてないけど、なんか、夜中起こされて水を飲んだような気が…せんでもない。
彩さんが夜通し様子を見ててくれた気がする。

じゃなくて、仕事!

とにかく連絡しないと、と枕元にあった携帯を開くと、

“ゆっくり休み。”

という菜々さんからのメッセージがきていた。

「ん、、あれ、夢莉起きたんや。」

彩さんはよいしょと上半身を起こした。

「あ、、えっとー…」

「どう?夜中苦しそうやったけど、だいぶよさそうやね。」

そう言って私のおでこを触る。

片手には、私の汗を拭いたのだろうか、タオルが握られている。

彩さんの目線が、私が握る携帯に落ちた。

「山田に相談したら、休ませてええっていうから。」

彩さんは、安心し、と私の頭を撫でた。

「あぁ、、ありがとうございます…。」

そんなことまでしてくれたんだ。
迷惑をかけた後ろめたさに、彩さんの顔が見れなかった。

「いたっ」

頭を撫でてくれていた彩さんが、私のおでこをデコピンした。
突然の衝撃に頭を抑えながら彩さんを見上げる。

「なんかいろいろ気にしてるやろ。そんなこと考えんでええから。」

「でも…」

「お姉ちゃんには甘えてええって。」

「、、はい。」

嬉しかった。


でも、何処かに感じた違和感。

その正体は分からなかった。
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