名前のない喫茶店

□ナポリタン
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  ナポリタン





「美優紀さーん!」

「あ、なぎちゃん、いらっしゃい。」

ドアベルがきちんと鳴らないほど勢いよく扉を開けて入ってきた凪咲を、美優紀は笑顔で迎え入れた。

「おー凪咲か。」

丁度2階から下りてきた彩は、凪咲の姿に笑みを溢す。

「彩さん、どうも〜。夢莉ちゃんは?」

「あー、調子悪いから上で寝てんで。」

「あら、残念…。じゃ、また来まーす。」

「おい、なんも頼まんのかいっ」

「嘘です〜、いつもの下さい!」

「はいはい、いつものね。」

カウンターに座り、
いつもの、と頼んだ凪咲の前に
オレンジジュースとビスケットが差し出された。


「それにしても、いつ来てもお客さんがいませんね。」

ストローでオレンジジュースを飲みながら凪咲が言う。

「凪咲、ちょっとは言葉を選べや。」

「彩ちゃん、仕方ないよ。事実やねんから。」

「…」

彩は美優紀の言葉に何も言い返さないようだった。

「くっ、、凪咲のタイミングが悪いんや!見てろ、すぐに満席に…」


カランコロン


綺麗なドアベルの音に3人が視線を向けると、若い女性が1人。
首を直角に曲げ、地面をじっと見ている。

美優紀がいらっしゃいませ、と声をかけた。


「ほらみろ!」

「たったの1人じゃないですか!」


ぅ…っ、、ぅっ、グスッ…

彩と凪咲が小声で言い合っていると、
その女性の嗚咽が聞こえてきた。

2人は目を見開いて顔を見合わせる。

「お一人ですか?」

美優紀に尋ねられ、女性はコクリと頷いた。

「どうぞ、お好きなところへ。」

そして、そう言われた女性は、すんすんと鼻をすすりながら窓際の席に座った。


「…ガン泣きですよ、あれ。」

「、、私、夢莉の様子見てくるわ。」

「え、彩さん!逃げるんですか?!」

「うっさい!凪咲は客なんやからそんなこと考えんでええねん!」

逃げるように2階に上がってしまった彩を睨んでいた凪咲に美優紀が声をかけた。

「ちょっと、手伝ってくれへん?」



2階に上がった彩は扉を開けた。
ベッドの上には、真っ赤な顔で苦しそうに寝ている夢莉が居た。

「…」

彩は夢莉の頭をゆっくりと撫で、近くにあったタオルで汗を拭く。

小さく溜息をついた彩は、その部屋を出て、別の部屋に入っていった。



凪咲は、美優紀に頼まれた買い物をしていた。

「えーっと、ハムとマッシュルームとパセリ…ね。」

喫茶店に入り浸り始めた凪咲は、もはや店員である彩よりも働いていることになんの疑問も抱いていない。

「ただいまかえりましたー」

凪咲が買い物を終え喫茶店に戻ると、
美優紀が女性の前に座って話をしていた。

凪咲はその話し声に聞き耳を立てる。

「…そっか、、麻央ちゃん、こんなに優しくて可愛いのにね。」

「そんなっ、そんなことないんですけど、本当にこっぴどくふられちゃって…」

「理由は?」

「それが、よくわからないんです…」

凪咲は、恋愛の相談だとワクワクし、そのまま耳を澄ませることにした。



美優紀は、凪咲に買い物を頼み、
女性が落ち着いた頃にオーダーを取りに向かった。
彼女が知らないであろう切ない真実が見え、憂鬱な気分を隠しながら。

女性の名前は麻央、と言った。

3ヶ月前、付き合っていた恋人に酷く振られ、なかなか立ち直れないで居るという。

「あてもなく歩いてたらここを見つけて…何となく入ってみたくなったんです。」

そう言う麻央の言葉に、美優紀はありがとうと微笑んだ。



「あ…」

「…なぎちゃん、何してるん?」

注文を取り終えた美優紀がカウンターに戻ろうとしていると、
しゃがんで仕切りに隠れ、壁に耳をつけている凪咲と目が合った。

「…買い物…終わりました、、。」

「…ありがとう。」

訝しげな顔で差し出された袋を受け取った美優紀は、キッチンに入って行った。

凪咲は大人しく、カウンターに腰掛けた。



美優紀がキッチンへ入ってしばらく。

トン、トン、トン、トン、

一段ずつ階段を下りてくるその足音は、間違いない。

「夢莉ちゃん!」

凪咲はガタッと席を立ち、階段を覗いた。

名前を呼ばれた夢莉はビクッと肩を震わせ怯えた表情で階段の下を見ていたが、
覗いてきたのが凪咲だと分かり、ふにゃりと笑顔を見せた。

「冷えピタ…お熱なの?夢莉ちゃん。」

「ん。」

階段の下まで一生懸命に下りてきた夢莉を凪咲は抱きかかえた。

「美優紀さーん」

「みゆき」

2人でキッチンを覗くと、美優紀は食材を前に難しい顔をしていた。

2人に気づき、振り返って微笑む。

「あれ?夢莉、彩ちゃんは?」

「さやか、おらん。」

「えー…?もう、ほんとに…」

夢莉の返答に、美優紀はやれやれと呆れた顔をした。




「…どうぞ、おまかせのカルボナーラです。」

美優紀は麻央に、思っているものと違う料理を出すことにした。

「どうぞ」

凪咲がニコニコ笑顔で笑いかけ、

「どうぞ!」

夢莉はその真似をした。

「…」

美優紀にくっついてやってきた凪咲と夢莉を見て、麻央は不思議そうな顔をしている。

「すみません、お邪魔はしませんので。ほら、2人とも、食事の邪魔だけはしたらあかんで。」

「はーい。」

「ん!」

美優紀は凪咲に、何かあったら呼ぶように伝え、エプロンを外して2階へ駆け上がっていった。

「夢莉ちゃん、ちょっとお手洗い行ってくる!待っててね?」

凪咲はカウンターに夢莉を残し、お手洗いへ向かった。

その隙を見て、夢莉はテトテトと麻央の元へ向かう。

「おねーちゃん、おいしい?」

急に話しかけられ、ビクッとした麻央は、幼い訪問者に手を止めた。

「うん。おいしいよ。」

「…おねーちゃん、、」

「うん?」

「おねえちゃん、かんちがいしてんで。」

「?」

「ももか…」

「え?」

「わ、おこられる!ももかがおこる!わかった、いわないっ」

「え、何?百花がどうしてん!」

「どうされたんですか?」

麻央が夢莉の肩を持った瞬間に、お手洗いから出てきた凪咲が何事かと駆けつけた。

「あ、いや…すみません。そんなこと、あるわけないのに。ちょっと取り乱しちゃいました。」

麻央は悲しげに笑い、夢莉にごめんね、と言って腰掛けた。

「…あるわけないって、思うじゃないですか。」

「ん?」

「でも、それ、本当なんです。」

凪咲の言葉に、麻央は首を傾げた。

「よく分からないけど…ねぇ、夢莉ちゃん?だっけ?」

「ん?」

「お姉さんと、どこかで会ったことない?」

「??」

「うーん…だよね…なんか見覚えがあると思ってんけど、、人違いかな。
夢莉ちゃん、お熱があるの?」

「んー、、」

「汗かいてる。ちょっとおいで?痛くないから。」

そう言って麻央は自分のハンカチで夢莉の首を拭った。

「ここ、経口補水液とかあります?」

「あ…すみません、私、客なもので…」

「えっ、あ、そうだったんですね。失礼しました。」

「何か、手慣れてますね。看護師さんとかですか?」

「あ、はい。そうなんです。」

「いいなぁ、かっこいい。」

「そんなことないです。大泣きしながらお店に入ってくるような奴ですから。」

麻央は恥ずかしそうに俯く。

「ももか…たいせつなひと、ないてたってよ?」

夢莉は、麻央の方を向いて呟いた。
その声は、2人には届いていなかった。
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