名前のない喫茶店

□名前のない喫茶店
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  名前のない喫茶店







「あれ?臨時休業やん…」



いつも通りやってきた凪咲は驚いた。

この喫茶店が臨時休業なんて、初めてのこと。

「…何かあったのかな?」

いつもと違う喫茶店に不安に駆られた凪咲は、控えめに扉を押した。
扉は開いていた。



カランコロン




凪咲は悪いと思いながらも、店内に足を踏み入れた。

別に、料理を出してもらわなくていい。
ただ3人の顔を見るだけでいい。



見渡した店内は、いつもと特に変わった様子はない。
しかし、美優紀の姿も彩の姿も夢莉の姿もなかった。



「2階かなぁ?」

2階に上がるのは少し気が引けるような気がして、凪咲はしばらく入り口で悩んでいた。





ガッシャン!!

パリンッ





「っ?」


突然、2階から聞こえた何かの割れる音に、凪咲はビクッと体を震わせた。



「え、何事?」



呆然と立っていると、トンットンットンッと階段を駆け下りる音がした。
そこに現れたのは、40くらいの女性だった。

凪咲の存在に気づかなかったのか、顔も見ることなく、ただ隣を通り過ぎていく。




カランコロン




ドアベルが鳴った。






凪咲は階段の方を見た。
ゆっくりと階段に近づき、恐る恐る一段ずつ上がっていった。


ガチャ




「…大丈夫、、です、、?」



凪咲は息を呑んだ。

窓は割れ、床にガラスが散らばっている。
割れたところから入った風に、皮肉にもカーテンが心地良さそうに波打つ。



その部屋の隅でヒックヒックと泣く夢莉。
夢莉を庇うようにして抱きしめている彩。
ベッドに腰掛けうなだれている美優紀。




ただ事ではない。




「え、、っと…」

凪咲に気づいた美優紀が顔を上げた。




その顔は、いつもの明るくてにこやかな美優紀の顔ではなかった。
哀しそうで、何かを諦めたような、そんな表情。

「…見られちゃったね。」

美優紀は力なく笑い、下で待っててと言った。




凪咲は言われた通り、すぐに部屋を後にして、カウンターに腰掛けた。

美優紀が下りてきたのは、不安になるくらい随分と後だった。



「ごめんね、なぎちゃん」

凪咲の前に立った美優紀は、そういって眉を下げた。



「いえ、、お怪我は?」

「大丈夫。彩がちょっと腕を切っただけ。夢莉が無事で良かった…」


そう、泣きそうになりながら話す美優紀は珍しく負の感情を露わにしていた。
凪咲はその見慣れない姿に戸惑っていた。


「あの、、さっき、出て行った人が…あんなことを?」


美優紀は、それも見ちゃったんやね、と小さく笑い、ため息をついた。


「…あの人はな、母親やねん。私ら3人の。」


凪咲にとって衝撃的なその言葉に、声すらも出なかった。
それは、きっとこの3人のことを何一つ知らないからだ。


「どういうこと…?」

「前、私と彩は双子って話したやろ?そんで夢莉は妹。やけど、夢莉と私らは父親が違うねん。
でも、私らはあの人に育ててもらってへんよ。あの人と父親は、私ら産んですぐ離婚して、父親の方に引き取られたからな。」


「…なんで、、彩さんと美優紀さんは夢莉ちゃんとここに?」


「んー…一緒に暮らしたかってん。姉妹3人、仲良く、な?…あの人から夢莉を拐うような形で逃げてきてんけど、ばれちゃった。」


凪咲はよく分からなかった。
いくら姉妹とはいえ、そんな理由であんな幼い子どもを拐うだろうか。

窓を割り、出て行ったあの人。
凪咲は聞かなかったが、きっともっと深い理由があったのだろうと察した。


「じゃあ、、これから…どうするんですか?またどこかに?」

「、、ううん、私らと逃げ続けてもしょうがないねん。夢莉はあの人の元に、帰って行っちゃう…かな。」



凪咲は、そんなことしないでと言いたかった。
だけど、美優紀の落ち込んだ様子と、何も知らない他人の家庭に意見する無責任さを感じ、結局何も言えないまま喫茶店を後にした。









ちょうどその頃、
病院の休憩室で休憩を取る紗英の後ろに、麻央が立っていた。



「紗英さん、ちょっと、相談が、、」

「うわ、びっくりした。なに?どうした?」



紗英は急な呼びかけに驚きながら、くるりと椅子を回転させた。


「あの、夢莉ちゃんのことなんです。」

「夢莉ちゃんがどうしたん?」

「ちょっと、思い出したことがあって…」



この病院には、小児病棟があった。
1年ほど前に、その病棟で親が全く世話に来ない女の子が話題となっていた。

麻央は別の病棟で働いていたため、あまり詳しくは知らなかったが、
可愛くて、不思議な魅力のあったその子は、親の来ない同情も含め、看護師からよく可愛がられていた。

「私も何回か見かけたことはあったと思うんです。名前も、ゆうり、、だった気がしてきて…」

紗英は、うーんと考え込んだ。

「…私も小児科やないから分からへん。とりあえず、小児科の先生に聞いてみよう。」

紗英は、飲んでいたリンゴジュースをゴミ箱に投げ込み、小児病棟へ向かった。
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