もしもあの日に戻れたならば

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傾いた太陽がまだ熱を持ちながらも地面に影を作っている。
まだ少し動けば汗が滴るような生温い風が通り抜けた。

体育館横の木陰で後ろ手を組み地面を見つめる人影は、タッタッと走る音に反応し、顔を上げた。

その表情と、風でなびいた髪を耳にかける仕草は誰が見ても美しいものだ。

「っ、ごめん、おまたせ」

乱れた制服と弾んだ息を整えながら声をかけた生徒の名前はさやか。そして、その視線の先にいる生徒はみゆきといった。

みゆきはそんなさやかの姿を見て安心したように笑う。
さやかはふぅ、と息をついて顔に張り付いた髪をかきあげた。

溢れそうだった汗がついに滴った。

「んーん?お疲れ様。先生、なんやったん?」

「いや、大した用事じゃなかった。


…なぁ、みゆき」


まだ少し乱れた呼吸のまま、さやかはゆっくりと距離を縮めた。
そして、ふぅ、と一息つき鼻を掻いた。
さやかのその仕草に、みゆきはさやかが緊張しているのを感じた。

さやかの言葉を待つ。

「…卒業したら、一緒に暮らしてほしい。」

少し不安そうに、でも力強く、さやかは言った。
みゆきは驚いた顔をし、そして、嬉しそうに笑った。
その顔が答えだった。


ーーーーーーーーーー


ピピピピッ、ピピピピッ、ピピピ…



「ん…ぅ、、みゆき、、?」


懐かしい夢を見たような気がするけど、どんな夢だったかもう覚えていない。
よくある話だ。

さやかは、起き抜けに呟いた言葉ですら忘れているようだった。

一人で寝るには大きすぎるベッド

ベッドに手を着くと、左手がほんのり熱を感じた。
綺麗にかかった掛け布団をめくる。

ぼーっと数秒過ごし、クシャクシャと頭をかいた後、さやかはのっそのっそとリビングへと向かった。

ガチャリ

リビングの戸を開けると、既に朝ごはんが食卓に並んでいた。

「おはよう。」

そう、声をかけられてこちらを振り向くのはみゆき。

「おはよ。」

みゆきはにこりと微笑み
顔、洗っておいで。
と、さやかを洗面台へ送った。


キュッキュッと蛇口をひねり、冷水で雑に顔を洗うと、開ききっていなかった目が少し開いた気がする。

今日の会議の内容を考えながら
郵便受けに入った朝刊を取り、食卓についた。

2人で選んだテーブル、2人で選んだ食器
お互いプレゼントしあったマグカップは既にただの日常の一部となっている。


「いただきます。」

「どうぞ。」

新聞を片手にできていた朝食をとる。

みゆきはそんなさやかの姿を何か言いたげな顔で眺めていた。
そんなこととはつゆ知らず、さやかは黙々と新聞に目を通す。

へぇ、そうか、銀行が…ねぇ。
うわ、内定80%なんて。就活で苦しんだ頃とは違うわ…

「…さやかちゃん」

「…」

「…さやかちゃんってば」

「…」

「、、はぁ」

みゆきから出た大きなため息。
流石にそのため息はさやかの耳にも届いたようで、ヒョイっと新聞から顔を上げた。

「ん?みゆき?どした?」

さやかは眉を下げて心配そうに尋ねた。

「ううん、なんもない。」

「そう?」

「うん。」

そう訊いたのは良いものの、さやかの頭の中は既に次に見えた児童虐待の記事が占めており、みゆきの態度をさほど気にすることなくまた新聞に目を落とした。




「この資料お願い、と…それから…」

話しかけられた若手の社員はキラキラした目でさやかを見て、はい、と返事をした。

さやかは就職氷河期と呼ばれる時代に一発でこの大手企業に入社し、その努力と熱意で2年前から部下ができるほどになっていた。

だが、その表情は冴えない。

「…あー…ここ、またおんなじミスしてるやん。」

部下が持ってきた資料に目を通しながらぶつぶつと言っていると

「さやか〜」

コツ、コツ、とヒールを鳴らし、その背後で止まった人影。

「…」

「なんやねん!その冷たい目は!」

いかにも美形のこの女性は、さやかの同期である、ななだった。さやかの1つ年上で、
実はここの社長の娘でもある。
…が、1年の就職浪人をしているところを見ると、しっかりと苦労して就職したようで

さやかもその仕事っぷりを認めていた。

「怖い顔して、ぶつぶつ言うてるから、お昼ご飯にも誘ってあげようと思って!」

「え、もうそんな時間?!…はぁ。今日も残業や。」

「…まぁ仕方ないけどさ、みるきー、寂しがってない?」

「んー…しゃーないやろ。」

「、、そっか。」

ななは何か言いたげだったが、先にエレベーターに向かってしまったさやかを見て
何も言わずにただその背中を追いかけた。




ピロリン

「あ、さやかちゃん…」


ごめん、遅くなる。


みゆきは画面を見てため息をついた。
わかった、ただ一言返信して
大きく伸びをした。

キッチンに立ち、1人分のご飯をよそって、
食卓に並べられたおかずを少量取った後、
丁寧にラップをかけ、
みゆきの座る前のテーブルに並べた。



私って、必要なのかな



最近強く思うようになったこの気持ち。

私も日中は働いてるし、さやかちゃんがご飯を作ってくれることもある。
家事だって任せっきりな訳じゃない。
できるときはしっかりやってくれる

でも、もしかしたらその気遣いがさやかちゃんの負担になっているのでは?

…それに、疲れていて、しんどいはずなのに
私に頼ってくれないのが1番苦しかった。

同じ職場のななちゃんにはよく相談するらしい。
もういっぱいいっぱいって顔してるのに
どうして頼ってくれないんだろう。

いつも、布団に入ったらすぐ眠れるのに
今日はなかなか眠れなかった。


ギィ…


控えめに寝室の扉が開いた。
さやかちゃんが帰ってきたんだ。

でも、そんなことを考えていた手前、なんとなく後ろめたくて寝たふりをしていた。

さやかちゃんが近づいてくる気配がし、そっと頬に手が当たった。
表情は分からない。

寝室を出ていく切なそうな背中に
胸の苦しさだけが残った。


「おはよう。」

「おはよ。すまん、今日は早く行かんとあかんから行くわ。行ってきます。」

バタバタと出て行ったさやかちゃん。

キッチンをみると、夜ご飯のお皿が綺麗に洗ってあった。





結局今日も遅くなってしまった。

「ただいま…あ、起きててくれたん」

「おかえり。うん、お疲れ様。」

リビングに向かうといつも通りラップに包まれたご飯が用意されていた。

「いただきます。」

「どうぞ〜」

みゆきはもう食べ終わった後だけど、私の前に座ってこちらを見ていた。

んー…結局今日全部終わらんかったし
明日早く出てやるかな、、

「なぁ、さやかちゃん、大丈夫?」

「ん?」

頬杖をついてぼーっとこちらを見ていたみゆきが口を開いた。

「疲れた顔してるもん。大丈夫?」

「あぁ、まぁ忙しいけど大丈夫やで。」

心配はかけたくない。
それに、大丈夫なのは事実だ。

「、、大丈夫じゃないやん。」

みゆきは悟ったような顔をした。
わかったようにされたのにイラついたのか、
心がもやっとする。

「あー、ほんまに大丈夫やって」

その心を押さえつけるように味噌汁をかきこんだ。

「ご馳走さま。」

「嘘!」

みゆきが大きい声を出して机を叩いた。
急な大音にビクッと肩が上がる。

みゆきをみると目があった。
怒ったような、泣きそうな顔をしていた。

「…は?」

「大丈夫なんて嘘やんか!」

「…嘘じゃない。」

「なぁ!」

「うっさいな、大丈夫やって!」

「っ…」


言ってはっとした。
うるさい、つい出た言葉。
売り言葉に買い言葉、それともこれは本心なのか。

「…ごめん、片付ける。」

みゆきの顔は見ることができなかった。





「最近あんたらうまくいってないやろ」

「なんで?」

「あんたの顔にそう書いてある。」

その言葉に動揺する。

「…」

昨日の喧嘩を思い出して、胸が痛んだ。
ついムキになってみゆきに酷いことを言った自覚はある。


あの後、みゆきとは顔も合わせないまま。
帰ったら謝るか…

とはいえ、いつも通りの残業。

ごめん、遅くなる。

もはや毎日の日課であるこの定型文。

返事は来なかった。
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