ダイアモンド・クレバス

□愚かなる賢者たち
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ただ静かに、廊下を歩く。
おそらくその先にいるであろう兄のもとへ。

角を曲がれば見えたのは彼の人の背中。



「──来ると思っていた」



その無機質な声に苛立ちが募り、鋭くその背中を睨みつけた。



「では…俺が言いたいことも汲み取ってらっしゃるのでしょう?」



未だこちらを向かない──玖哉兄様。表情が見られない分、心情も読み取れない。



「相変わらず優しいんだな…祐哉兄様は」



挑発的な笑みと共に吐き捨てられた言葉。
逸る気持ちを抑え、グッと踏みとどまった。



「…あなたの意図を、教えていただきたい」



あれほどまでに愁哉を傷付けるその意図を。
口には出さずとも俺の問いの意味など、此の人は最初からわかっているんだ。
ただ無慈悲に愁哉を組み敷いて、その先の行為。
……それが愁哉を傷付けていることも。



「意図?はっ…そんなもの聞いてどうする」



そう吐き零して兄様はこちらを向いた。
月明かりに照らされた兄の顔は無表情で、その瞳に、果たして俺と云う存在が映っているのかもわからぬほど不気味なモノだった。



「俺はただ、──愁哉を守りたいだけです」



そんな玖哉兄様を見据え、俺は迷いなく言い放つ。
少し玖哉兄様の表情が崩れたように思うのは、俺の気の所為だろうか。



「祐哉、…果たして“罪”とはなんだ」



夜空を見上げ、ぼんやりと呟かれた言葉に俺は顔を顰める。
罪──それは兄様に対するものなのか、それとも



「俺の、ですか」


咎められるようなことはない、そう言い切れるはずなのに何故か言葉にならなくて。
俺は掠れる声で告げた。



「俺の罪は愁哉を陵辱したこと」



濁りなく告げられた言葉に、知らず、唇を噛み締めていた。
自覚しているのなら、尚更たちが悪い。
だが玖哉兄様は更に続ける。



「ならばお前の罪はなんだ?」


刺さるような視線。
思わず息を詰める。
俺の、罪──さっきまでは考えもしなかったのに、此の人の言葉は深く突き刺さる。
口を噤んだ。



「禁忌の行為が罪と云うのなら、お前の罪は…無知だ」

「無、…知?」

「そう…ときに無知は大罪だ」



何も知らぬこと、それこそが罪だと?
何を、言っている?
それが俺の罪──?



「何も知らないからこそ、愁哉を守りたいなどと口走れる。…だが、それこそが愁哉を傷つけているのだと、何故気付かない…?」

「っ…どういう…」



あぁ、此の人は本気だ。
本気で愁哉を縛るつもりだ。
此の人の中で俺はただの弟で、同時に愁哉が信頼を寄せる邪魔な男でもあるんだ…──



「お前が愁哉の為に俺に口添えをする度に、その矛先が愁哉に行くことを……お前は理解出来ないんだな」



音が、止まった。
周りの、音が。
此の人の言葉が、ただ頭の中で繰り返される。
俺が愁哉を傷つけている──?



「俺はお前が考えているほど優しくはない。愁哉を此の手に収めるためならば、何だってするんだよ…」

「……ッ」



酷く落ち着いた、それでいて冷たい目。
俺は声を発することが出来なかった。……いや、赦されていなかったんだ。




「お前が俺に何か言う度に、俺が愁哉を手酷く扱うということを忘れないことだな」



去っていく玖哉兄様の背を見つめ、俺はただ、立ち尽くしているしかなかった。









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