小説 モノスペース

□モノスペース 本編
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遭難 三十日目


 海原に突き刺さる様に突き出た崖の先に立つ、古ぼけた灯台。その横に建つ総レンガ造りの建物がラナンキュラスの自宅だった。
居間と部屋が二つと台所に、浴室。最低限暮らすには十分快適だが、建っている場所が場所なので、横風の強さに酷い騒音と、いつか壊れるんじゃないかという不安を感じさせた。
 イリサはここに来たばかりの頃、ラナンキュラスはよくこんなところで長々と暮らしていけてたもんだと、常々思ったものだ。しかし最近は、自分も今じゃすっかりなれてしまっている事に、気が付いたりしている。
 イリサがここにきたきっかけは、ラナンキュラスが海に漂っていたイリサを見付け、引き上げられたのだ。
イリサは、航海中の船から落ちたのだった。数日意識不明の重体で、ここに生きたまま流れ着いただけでも奇跡だと、診てくれた医者に言われた。
 実際地図で確かめてみたところ、イリサは住んでいた国から一家そろって海を挟んだ隣国へ行く最中の船で落ちたとして、イリサが流れ着いた灯台のある所までは数千キロと離れていて、奇跡というレベルじゃないようにイリサは思えていた。
 その話をラナンキュラスにしたところ、「神秘ね。」とあっさりと片づけられてしまった事の方が、イリサにはショックだったが。

 そんなラナンキュラスは、今日もせっせと畑仕事に精を出している。
気候が穏やかな地域なので、年中収穫があるのは有り難いことだ。
その日は珍しく風の弱い日だった。
 居間の窓からイリサは畑を見渡して、お茶をすすっていた。
草抜きをしていたラナンキュラスがふと顔を上げると、窓辺に寄りかかっていたイリサを目が合う。

「…いいわね、何飲んでるの?」
「ただのお茶だけど?飲みたい?」
「いただくわ。」

 そう言って立ち上がると、ラナンキュラスは家の方へ向かってくる。
イリサもすぐ横の台所に向かうと、やかんに水を足し、火にかけた。ちょうどその時、キィとドアを開ける音がする。

「今日はいつもよりあったかいね。この天気が続けば、野菜の成長も早いんだけど。」
「…隠居生活じゃないんだからさ。何か、畑仕事が生き甲斐になってない?」
「他に楽しいことがないからねぇ。」

 イリサが来た時からラナンキュラスは一人で暮らしているようであったし、誰かが訊ねてくるような事もまったく無かった。
 けど、イリサは気になっているものがあった。
この家には、ラナンキュラスの物以外のものが、あちこちに在るように感じるのだ。 
例えば食器とか、必ず二人分以上に揃えられている。
けど別に、これは特に珍しい事ではないかもしれないが。
 しかし、今イリサが使っている寝室は、明らかにラナンキュラス以外の誰かの部屋である。
客室、かもしれない。
タンスや棚があるが、服などの個人の私物のような物は一切入ってはいなかった。
 けれど、窓辺に立てかけられていた手帳。
読んでみたところ、ラナンキュラスの字ではなく、日付も比較的新しかった。
その手帳の横に植木鉢が並ぶ。
ラナンキュラスは度々その植木鉢に水をやり忘れる。
毎日のことなのに忘れるなんて、ラナンキュラスは世話し慣れていないように思えた。
イリサが変わりにやる度、居間に移したらいいのにと言うのだが、日当たりがいいからとラナンキュラスは応じようとしない。     
 普段滅多に出入りしないような部屋にしか思えないのに、そこにわざわざ置いておくのは他に理由が在るようで、気がかりだった。




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