小説 モノスペース

□モノスペース 本編
3ページ/59ページ



「あんたも実際に暮らしてれば、何にも楽しいこと無いくらいわかるでしょ。」

 ポットにお湯を注いで、カップと揃えて居間に戻ってきたイリサにラナンキュラスが目を合わせた。
すでに椅子に座ってお茶の用意を待っているラナンキュラスの前に、イリサはポットとカップを並べる。

「まぁ…。何も無いっていうか、穏やかだなと思うくらいだけど。」
「穏やかなんて、いつか必ず飽きるものよ。」

 ラナンキュラスはそれらに手を伸ばすと、勝手に注いですすり始める。
そしてふと思い立ったかのようにつぶやいた。

「穏やか過ぎて、ある時ふっと何かを思い出すんだよね。」
「何を?」
「例えば、楽しかった時の事とか。何かあるでしょ、心の奥底に残るような、自分にとっては激動の瞬間って。」
「僕は今が激動の瞬間だよ。」
「じゃぁ、いつか思い出したりするかもね。」
「そんな事を懐かしむ日がくるまで、僕にここに居ろっての?」
「この仕事引き継いでくれる人、必要だし。ちょうどいいんじゃない?」
「あなたにはね。」

 冗談なのか本気なのか、つかみ所の無いラナンキュラスの言葉の意味にイリサは顔をしかめる。
イリサはずっとここにいるつもりはない。
ここに居る理由が無い。
…そう思いながら一ヶ月も経つが、療養中なのだとイリサは自分に言い訳している。
なんたって、重体だったのだ。
 イリサも飲みかけのお茶を飲もうとしたが、カップがすっかり冷めてしまっていることに気付く。

「…そういえば、もし本当に僕がこの仕事を引き継いだとしても、大して意味無いんじゃないの?」
「あら、真剣に考えてくれるの?」
「例えばの話!」

 からかう様に、ふっとラナンキュラスが笑む。

「どうして?」
「だって、大して歳離れてないでしょ?…ラナンって、何歳?」
「二十一だけど。」
「ホントに?」
「歳ほどあてにならないものはないよ。」
「自分で言わないでよ。」
「で、どうして?」
「だから、僕が継いだところで、すぐに誰かに引き継がなきゃ。僕は大して働くことは出来ないと思うよ。」
「そんなことないわよ。灯台の管理の仕方や、組合とのうんぬん。憶えておかなきゃいけないことは山ほどあるし、ここでのんびり暮らしているだけが仕事じゃないのよ。」
「…つまりそれは、僕に後々つないでいけるような跡継ぎを捜してこいってこと?」
「それもあるね。」
「なんかもうすでに、隠居決める気でいない?」
「私みたいに、向こうから来てくれる事を願うのね。」
「だから、引き継ぐかはまだ決まってないってば。」

 しばし沈黙が続く。
いつも聞こえてくる風が壁を叩く音が、今日はやけにおとなしく、いつになく静かで、会話をやめただけで何か不安を感じさせる。
 そんな空気に耐えられなくて、イリサは何でもいいから口を開いた。のだが、深く考えていなかった為、口が滑ったのかもしれない。

「…気になってたんだけど。僕が来る前に、誰かいたの?」
「誰かって?…ああ。…暮らしていたのよ。私の師匠と言えば分かりがいいかしら。私の前の灯台守よ。」
「ああ、そっか。そんな人も居るはずだよね。…その人は今、どうしてるの?私物は残ってないみたいだし、街に移住したとか?」
「亡くなったよ。荷物は私が捨てた。」
「ああ…。」

 何とも返しづらい返答に、イリサは曖昧にあいづちをうつ。
 少々空いた沈黙の間に、イリサは話を逸らそうとも思ったが、本題に触れていない気がして出来なかった。

「…亡くなったのってさ、僕が来た、かなり直前じゃない?」
「どうして?」

 不意なイリサの質問に、珍しくラナンキュラスは即に反応する。
それに少し驚いて、イリサは少したじろいだ。

「あ、いや。部屋に日記みたいな手帳が残ってたから。」
「そう。…天候の観測データとかも書いてあったから、残しておいたのよ。私の部屋に無いと思ったら、そっちに置きっぱなしだったんだ。」

 なんだ、とラナンキュラスは興味を失ったように、またお茶をすすり始めた。
 ラナンキュラスの顔にまとわりつくようにカップから湯気が上がる。
そんなに熱かっただろうか?とイリアは思ったが、体が感じている以上に空気が冷たいことに気づいた。
 イリサは先ほど畑を眺めていた窓に近づくと、引き戸の窓を閉める。
ガタガタと建てつけの悪い音が部屋に響くと、先ほどよりも静かになった。




次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ