小説 モノスペース

□モノスペース 本編
8ページ/59ページ

遭難 三十三日目


「珍しい。」
 イリサの言葉である。
 ついさきほどまで紙の束をバサバサとさせながら組合に提出する書類とやらを作成していたラナンキュラスであったが、その紙の上にうつ伏せになって、静かに肩を上下させていた。
 普段やり慣れない面倒なことは朝の内にやっておいて方がいいと、ぶちぶち文句を言いながら、自室からファイルや紙を持ち出してきた。
朝食の後かたづけもままならないうちだったので、イリサまでバタバタとテーブルの上の物を狭い台所へと移動させる。
 作業を始めたラナンキュラスの文句はだんだんと書類を読み上げる声へと代わり、その声を頼りにイリサはどんな内容なのかを想像した。
観測データと、作業内容と、日報のようなもの。

「えっと…特になし、と。」

 仕事らしい仕事をしているラナンキュラスの姿にイリサは興味が湧いてしばらく見ていた。
ラナンキュラスは気づきもしない。
夢中になって雑務を片づけ、そしてたまに間違える。
 そのまま眺めていても仕方がないので、イリサも自分の仕事…朝食の後かたづけに戻り、そして終わった頃に再び様子を見に来たのだが、すっかり静まり返っていた。
まぁ、静かといっても昼夜問わす壁をたたく風の音は響いてはいるが。
 イリサはラナンキュラスのもとに近づくと、一枚の紙を手に取った。
ざっと表面の黒い文字を眺め、ラナンキュラスに視線を移す。
起こした方が良いのだろうか?とイリサの躊躇いをよそに、ラナンキュラスはすっかり眠りこけている様子だ。
イリサははかりかねたまま、再び紙に視線を戻す。
大した事は書いていない。

「…特記事項、特になし、か。」

 ほんとに特になんもないよな、と頭の中で呟きながらイリサは紙をもとの場所に戻す。
そしてふと、思い浮かんだ。
自分のこともこの書類、もしくは類に書かれたのだろうか?
勝手にここに住んでしまってはいるけれど、何も伝わっていないという事は無いだろう。
それがここにあるとは思えなかったが、イリサは他の書類に目を配らせた。
が、ほとんどの書類がラナンキュラスの下敷きになっていた。
 ラナンキュラスの色素の薄い髪が、無造作に紙の上に散らばっている。
ブロンド…とは言えない。
薄くしたオリーブ色と例えるのが一番近いのだろうか。
その髪が風も無いのにサラリと動いた。
 んっ…、と息を呑む声がして、ラナンキュラスの頭が少し持ち上がる。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ