お題

□寝言
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夕刻、内務卿の執務部屋。
事に至るは、此処でが最も多かった。
人が全く帰宅し終え、二人きりの内務省は水を打ったように静寂に包まれる。

秘密を守ることが出来るのは勿論。
その上、此処ならば周りにも「残業だ」とだけ言えば、全てが片付くのだ。
それに、あながち、嘘でもない。
いつでも寝物語は政治談議だった。

木戸が激昂すれば、大久保も色には表さぬが木戸の身体に無体を強いる。
そして、当然の事ながら、木戸が激昂しない日は全くと言って良い程無かった。
畢竟、気を失うまで玩ばれる。

そして、夕刻もとうに過ぎ、最後の陽光が障子を朱に染め上げ室内が薄水色に彩られる頃合い、いつも木戸は目を醒ました。
昔取った杵柄、体感温度程度の、些細な周囲の変化ですら敏感に察してしまう故なのであろう。

それは、あの時代で逃げ延び生き永らえる為には、どうしても身につけねばならない物ではあったろうが、維新の後落ち着いて以降…特にこのような場合には、有難迷惑極まりない物だった。

知らずと去ってゆくのならば、まだ離れる辛さも感じずに済もうものを。
何時も木戸はそうして、寝たふりをして大久保が自分を残し、一瞥もくれず立ち去るのをこっそり見送るだけだった。

木戸は、寂しい・とは思っていた。
しかしながら、引き留める理由も無く、唯諦めのきっかけを探していた。
そして、思い付いた。

わが子の部屋の本棚に無造作に納められた、一冊の重々しい革表紙。
それは洋行の折、覚えた戯曲。

大久保は、知っていただろうか。
これに返事を、返す事が叶うだろうか。
それが駄目なら、諦めようと。
そう木戸は縋るような決心を固め、縷望を繋ぐが如く、今日此処へ来た。

かちゃりと開く扉の音、それが再び閉ざされる前にと、震える唇を開く。
ことばを、つむぐ。

「…あれは小夜鳥」

言って、木戸は起き上がった。
ほたりと足下にシャツが滑り落ちる。
構うまいと、ひたすら大久保を見詰めた。

大久保は足を止め、暫時思考する。
そして遂に、普段なら浮かべないような穏やかで慈悲に満ちた微笑を向け、囁いた。

「木戸さん、あれはカラスです」

聞いて、木戸は、ばつが悪そうに柳眉を寄せ、返事を返す。その頬が、赤かった。
環境に由来する朱鷺色では無い。
血液が、淡い蜂蜜色の日系人の肌に透かされた所以の、桜色であった。

「ええ、勿論存じております」

「小夜鳥が鳴く迄には、未だ時が有る」

「……ええ…」

予想は、外れなかった。

(さようなら、愛しき人)

そう木戸は結論を出し、瞳を閉じた。
これが彼の望んでいた結末の筈だった。

(しかし、それは、本当に…?)

木戸の思考は、それ以上回らなかった。
大久保が、彼を強く抱きしめたからだ。
頭の中身が弾け飛び、混乱に満たされる。
木戸は抵抗すら忘れて、なすがままに大久保の胸へと身体を預けるしか無かった。

「……おおくぼ…さん…?」

問えば、髪を梳くように長い指が頭を撫ぜて、耳元で心地良い低音が響く。

「謂わんや雲雀をや。未だ夜は訪れもせず。私は、貴方や物語の人物達とは異なり、朝が明けようと構いやしませんけれどね」

それこそ、木戸が真に欲した言葉だった。
それは困る、朝にはお互いきちんと帰らねばなりません・と木戸は答えて、そのまま二つの影が一つに溶けた。






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