小説

□おやすみなさい、
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廃墟と化した建物に、僕等二人はいた。塗装は禿げて色褪せており、今にも崩壊してしまいそうだ。足下には割れた硝子の破片、欠損した壁からは鉄筋が剥き出しになり、先端が曲折していた。パラパラと音をたて今も崩壊の時を迎えている、……いや、崩壊の時を待ち焦がれる、と言った方が正しいだろうか、この建物は実に脆い建造物だと思う。此処は閉鎖し使われなくなった博物館、云わば人間から見放された物たちの慣れの果てだ。未だに硝子の窮屈な箱に眠る剥製やら無知な人間が創った大して有名でもない銅像や肖像画の山々が並ばれている。
 
もう五十年程、前のことだったろうか、この建物は人間の娯楽の一つだったというのに。それなりに賑やかだった筈の面影はもう此処にはない。既に電気は通っておらず、この永遠に似た暗闇の中で博物館の住民は今も卑下な人間共を待ち続けているのだろうが、それとは裏腹に刻々とその時間は過ぎていく。所々が破損し壊れ、支えきれなくなった建物の重量が限界に達する、その時が。

「グリード、」

此処等が引き際だろう、そう思った僕は前を歩いていた男の名前を呼んだ。つい最近お父様に造られた、そう、生まれた新しい僕の弟の名を。グリードはピタリと立ち止まり、振り返った赤い眼が生意気にも僕を睨んだ。

「……あ?呼んだか、エンヴィー」

「帰るよ」

「来たばっかじゃねぇか。まだ何も、」

「あのさ、見てわからない?ココ、もうすぐ崩壊するよ。アンタと臨終なんて僕は御免なの」

「……へいへい。そーかい」
 
結局は無駄足じゃねーか、溜め息混じりにそう言うとグリードは渋々と踵を返した。ヒタヒタと僕の足音の後に、コツコツとグリードの靴音が建物に響き木霊する。ふと埃まみれに飾られている気味の悪い絵画が目に映った。それに描かれている赤黒い竜の白い目玉が僕等を嘲笑っているように思える。これを描いた人間の心情は如何なるものだったのか、今となっては知る術もないし、人間の心の有り様なんて知りたくもないけど。

そんな僕の視線に気づいたグリードは視界の先にあるその絵に近づき、それをまじまじと見入った。

「おーおー。ひっでー絵だな、こりゃあ。これが芸術、ってヤツかよ?」

「さあね。人間の造り出すものに興味なんてないよ僕は。……まあ、在るとしたら人間の苦悶し発狂する姿、かな」

「相変わらず、えげつないことで」

「今更だよ」

苦笑した僕にグリードは慮り、そして小さくゲテモノ、と唇を動かした。その一言に怒りを覚えた僕は両の腕に錬成光を纏い、右腕を刃に、左腕を大蛇へと変える。そして躊躇なくグリードに叩き込んだ。が、上手く避けられ先程の絵画だけがバラバラになって床に散った。静寂した館内に虚しさが残る。
 
「あっぶねーなあ。手加減しろよ、ただでさえ崩れかかってるっつーのに」

「アンタが悪い。このエンヴィーの何処がゲテモノなわけ?」

「見た目と中身」

「……一回、死んどく?」

そういえば。前のグリードも僕をそう罵倒し、ケラケラと笑っていたな、と今になって忘れていた記憶が蘇った。アイツは金も女も富も名声も、世界の全てが欲しいと言ってたっけ。よくもまあ、そんなに欲しがるもんだと僕は呆れていたが、強欲を名に持つアイツだからこそ欲深いのだと勝手に解釈していた。

そんな他愛もない会話をしている内に、いつの間にやら館外へと出ていた僕とグリード。辺りにはもう人気がない。そうして暗い路地を暫く歩いたところで背後から爆音のような地響きがした。振り返らずともそれは、崩壊の音律とわかる。僕は崩落する博物館の末路を耳で感じていた。ゆっくりと重力に従い沈んでいくソレは既に原形を留めていないだろう。ついに眠るのか、と他人事のように思いながら僕たちは歩みを進めた。

土埃の匂いが鼻を擽る。

 


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