小説

□理性も道徳も羞恥も奪い去って
1ページ/1ページ



真夜中。僕は一戸建ての屋根に腰を下ろし両の足を投げ出していた。素肌にはまだ冷たい、ひんやりとした空気がこの路地を吹き抜けている。この季節のわりには随分と寒い風だ。それに此処から見えるあの木々。枝分かれした葉が今にも風力に負けて吹かれてしまいそうな程である。そして目線を少し変えれば鋼のおチビさんが泊まっているであろう、目と鼻の先にある一軒の小さな宿屋。その宿屋に覆い被さるように佇んでいる一本の大木に向かって、僕は足を蹴りあげ勢いよくジャンプした。皮膚に触れる風が気持ちいい。

そうして窓越しの、太い木の枝に足をつく。その反動で枝が軋み、上下に揺れながら葉が何枚かパラパラと散る。手を伸ばせば窓の取っ手に届きそうな距離だった。我ながらいい場所に着地したもんだ、と内心思いながら窓辺まで足を運ぶ。

「おじゃましまーす、……っと」
 
ガラララ、ガラ。鈍い音をたて僕は戸惑いもなく鍵の掛っていない硝子の窓から侵入し、おチビさんの部屋にこっそり訪れた。やれやれ、それにしても。今時鍵をしてないなんてホント無用心だなあ、と頭の隅でぼんやりと考えながらキョロキョロと辺りを見回すが、既に電気は消されていて真っ暗。どうやらおチビさんは眠っているみたいだ。微かだけど、すやすやと部屋の奥から寝息が聞こえる。

「……え、もう寝てるの?」

そう自問する僕。せっかく僕直々に来てあげたのにさあ。そりゃあ、まあ一方的だけど。大して遅い時間でもないのに。どうしようか考えた末、このまま此処に居座っているのもつまらないし、どうせなら驚かせてやろうという思惑からおチビさんの眠っている部屋へ行ってみることした。

寝息の聞こえる方へ足を進めるとそこには半開きのドア。隙間からは光が溢れている。ドアノブを軽く引くと、おチビさんは薄着でベッドではなくボロいソファに身体を預け、無垢な寝顔でぐっすりと眠っていた。腹の上には文献が置かれ、その上に機械鎧の右腕が乗せられている。また、机の上には書類や本、書物などが積み重なっていた。

……なんだ、読み疲れて眠ってしまったのか。如何にもおチビさんらしい。
 
「……ん」

「相変わらず、幼い顔してるね。ちゃんとご飯とか食べてるの…?」

「うう、」

「こういう不規則な生活してるから身長が伸びないんだよ、おチビさん」

寝ているのをいいことに僕はおチビさんのコンプレックスをつつく。面白いことに、まるで聞こえているかのように眉間に皺を寄せるおチビさん。僕にはうなされているようにも見える。

そうして足下に散らばる数枚の紙を拾い、机に置く。ふと椅子に被せてあるコートが目に入り、おチビさんを起こさないようにそっと掛けてやった。が、そんな僕の配慮も虚しく同時に開かれたおチビさんの目と僕の目。二つが交わる。気まずい。

そしてなんとも言えない沈黙が続く。

「………は?え、エンヴィー!?」

「あ、うん。おはよう」

「ボケか!今、何時だと思ってやがる!つーか何しに来た!?」

「んー、敢えて言うなら夜這い?」

言うや否やおチビさんの右手に抱えられた、それなりに厚さのある文献が僕の頭を手加減無用で直撃した。痛い。それから間もなくして次に飛び交ったのは言うまでもない、怒声。バカだのアホだの拙い言葉を一通り暴露した後、最後にギロリと睨まれた。

「遊びに来ただけなのになあ」
 
「へっ!よく言うぜ。調子のいい奴」

「ハイハイ。おチビさんって以外と寝起き悪いんだね」

「余計なお世話だ!……ん?」

そう言い、僕が掛けてやったコートを見つめるおチビさん。そのままピタリと口を閉ざしてしまった。

「コレ、お前が掛けてくれたのか?」

「ん。おチビさん薄着だったし、寒そうだったから」

「……ゴメン、サンキューな」

さっきまでの怒濤のような声が嘘のように小さくなった。気のせいか、おチビさんの金色の瞳には罪悪感のような感情を含んでいるようにも見える。それに言葉を詰まらせ、頭を垂れたまま何か考えているようだった。

……ああ、なるほど。おチビさんは僕に向けた態度とか言動なんかを悔恨しているのか。おチビさんらしいや。それを感じとった僕は気にしないで、と言葉を続ける。そうしたらおチビさんは僕を見上げて朗らかに笑ってくれた。それから他愛もない会話をしながら時を過ごした。

夜も更けてきた頃。気づけば僕たちは二人揃ってソファに座る形で眠っていた。外では木の葉が風に運ばれ、空を舞っている。小窓から射す月の光が仄かに温かく心地いい。

 


[戻る]
[TOPへ]

[しおり]