「………隠れてないで姿を現しなさイ。エンヴィー」 シャオメイが熱を出してから今日で二日目。早く熱が治まるように風邪に効く薬草をこの深い森まで採りに来たまではいいものの、帰る最中で私は異様な気配を感じていた。其れも酷く禍々しさのある気配を。ですが同時にその気配には何処か寂しさのようなものも肌に感じたのです。私は、この歪んだ雰囲気を知っていました。 「あららー、やっぱり気づいてたんだ。気づいてないのかと思った」 声の聴こえた方を見ると案外素直に木の影から姿を現した彼。私の前まで来ると腕を組んで近くにある岩に腰を降ろす。相変わらず笑顔の仮面をつけたこの表情が苦手な私は少し離れて会話を続けた。 「此れ程の禍々しい気、私には見つけて下さいと言っているようなものでス」 「随分な言い方だねぇ。このエンヴィーが本気出したらお前みたいな虫ケラ、プチっと殺れちゃうのに」 「貴方は人間を解っていませン」 「はっ、知りたくもないね。雑魚は雑魚なりに嬲られて死ぬのがお似合いだよ」 「そんなに人間が嫌いですカ」 「当たり前だろ。あんなに弱っちくて生意気な存在、消えてなくなればいい」 陽が沈みがかり、ちらほらと星が見えてきた夕方の空。夕日の朱から段々と夜の青紫に近い色に変わり始めていた。 「可哀想な人」 貴方が屑だ塵だとヒトを嫌うように、私はヒトの可能性や限界を知らずに見下すだけの空っぽな貴方が嫌いです。貴方自身の奥に潜む感情すらも解らずに隔心や勝手な邪念でヒトを殺す、そんな貴方が私は嫌いなのです。 貴方は気づいていないのですね。憎いだの醜いだの、ヒトを罵倒している時の自分の表情が酷く苦汁に満ちていることに、貴方は全く気づいていない。貴方はそうまでして何を得られたのです。一体、何を手に入れたというのですか…? 「このエンヴィーが可哀想、だって?」 「そうでス。貴方には何もありませン。貴方の心を包む愛も、貴方の涙を拭う手モ。そして貴方を支える柱となるべきヒトさえモ」 「……………ふざけるなよ、人間……。僕には力がある!永遠がある!お前が欲しがってる賢者の石もな!お父様だっているんだ!」 先程までの余裕は消え、まるで糸が切れたかのように興奮した彼に私は酷く憐れに感じた。彼の必死さが私には何かを訴えているように見えてならなかった。そしてその叫びが合図だったかのようにポツポツと小雨が降り始め、私の頬を濡らしたのです。 「貴方は孤独でス」 貴方の心を其れほどまでに縛りつけているのは他の誰でもない、貴方が従っているお父様と呼ばれる存在なのでしょう。貴方にとって唯一無ニの存在である父だからこそ、嫌われたくない。突き放されたくない。なによりも、下手に逆らって身体の一部に戻りたくない。少なくとも私にはそう感じてならないのです。貴方の父に対する想いは親子愛や敬意などではありません。其れは恐怖や畏れでしかない。 先程からパラパラと降り続ける雨粒は次々と私の髪を流れ、毛先で雫となってポタポタと落ちる。万物に恵みを与えてくれる雨はあっという間に私の全身を濡らした。肌にベトつく水気を含んだ衣服が気持ち悪い。 「……貴方は今の自分に憤りを感じているのではありませんカ」 「黙れ……」 「偽りでなく真の愛を欲しているのではないのですカ」 「黙れよ、」 「貴方は儚くて憎らしい存在の人間が、羨ましいのでス」 「黙れって言ってるだろっ!」 彼の中でプツリと何かが弾けた。座っていた岩から降りると私を押し倒し、両膝を地面につけて私の首を鷲掴むエンヴィー。途端に彼は叫ぶ。喚く。怒鳴る。 けれどもその手は震えていて、私は唯々彼の紡ぐ言葉を受け止めていました。顔は長い髪で隠れていて見えません。不意にポタポタと頬に流れる感触。その感触に私ははっとしました。私の頬に感じたのは雨粒だったのか、或いは彼の瞳から溢れた涙だったのか、私には解りません。けれど、もし。後者だったのならば目の前の彼は何を思って泣いたのでしょうか。私には其れすらも解りません。 たった一つ解ることと云えば貴方は生まれながらの嫉妬。それだけです。 「クソ、が。散々見下しやがって、」 「ならば殺せばいいでしょウ。貴方なら他愛のないことじゃないですカ」 「……もういい。次に会った時がアンタの最期だ」 そう言い残した彼。そうして手を緩ませ離すと首の圧迫感は消えた。彼はそのまま膝立ちの状態から立ち上がる。それから舌打ちをして踵を返すと闇に呑まれるように森の奥へと去った。彼は一度も此方を振り向くことはなかった。雨のせいで視界が当てにならず、彼を追うことが出来ないまま。無力な私は彼の去って行った森の奥を見つめていたのです。 「……何故、今すぐに私を殺さなかったのでス」 夜の闇に消えた彼に届くこともなく、私の言葉は虚空に溶けてしまった。そして彼が私の元へ来た目的も解らずに私は茫然と其処に佇んでいたのでした。
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